ふるさとの味


丸茄子の記憶

丸小茄子

 

 テーブルに,ライ麦パンにピクルスとターキーを挟んだサンドイッチが運ばれた。まず、ピクルスに手が伸び、思い切りカリッと噛んだ。その音で、隣のテーブルの二人の中年女性が振り向いた。あっ、そうだった。ここは西洋文化圏、食べる時の音はマナー違反なのだ。

 コッツウォルズ(英国の田舎村)のフットパスを三日間、ひとりで歩き終えた日のレストランである。疲れ切った体が欲したのが、漬物代わりのピクルスだった。

 窓から見える蜂蜜色の家の屋根に、私の思いはいつしか、六十年前の郷里に飛んでいた。山形県の置賜盆地で食べた“丸小茄子の一夜漬け”である。
 巾着型にコロンとしたひと口大の丸小茄子は、蔕(へた)の下が萌黄色で下部に冴えた茄子紺色が広がる。頬張ると藍色の薄い皮が弾け、果肉のブリッとした歯触りがたまらない。噛むほどに、うまみ味が口に溢れる。これが、麦ごはんとの合性が実にいい。

 当時は、六~七歳になると家事を手伝うのが当たり前だった。丸小茄子は、朝早くに収穫する。腰に大きな籠を下げ、小鋏を持って手伝った。もぎたての小茄子の蔕(へた)には、チクチクする棘がある。屈みこむと、朝露に濡れた紫色のやさしい花が頬を撫でる。茄子の木の葉陰から、「ここにいるよ!」とばかりコロッと顔を出してくれた。直径二~三センチぐらいが収穫時だ。「ちょっと小さいから明日まで待っていてね」。中に大きくなり過ぎたのがある「葉っぱの蔭で見つけてやれなかったね」と話かけたものだ。

 堆肥と有機肥料で丁寧に造られた黒い土、そこで育つ食材は、究極のオーガニックだ。育ち盛りの胃袋は、何を食べても満足したが、あの頃の暮らしに根差したあの味は、いまや“幻の味”なのである。

 食卓から季節感が失われて久しく、待ちこがれる味がなくなった。何と多くの食材に慣れてしまっただろう。いつでも、何でも食べられる時代、これは幸せなのか?と思う。

地球をひとりで旅する私は、チーズやピクルスだけでは物足りない。
いま、長寿国日本の食材が注目されている。常々、発酵食品と共に日本の漬物文化は、世界に誇れる遺産だと思っていた。沢庵や丸小茄子を噛むときの、カリッという音にこそ価値があると思うのだが・・。願わくは、食事を楽しむ健康な音(sound)として、ハードと共に伝わって欲しいものである。

 振り返ったご婦人たちに、“うっかりマナー違反”を詫びる思いを添えて、笑顔で軽く会釈した。すると、ひとり旅の東洋の女性に優しく“No problem” と、にこやかに微笑んでくれた。

はちみつ色の家