まごむすめ

おバーちゃん、休みが取れたから遊びに行ってもいい?」と堺市に住む孫娘からの電話。「おじいちゃん(私の夫)のお墓参りもしたいし・・・」と殊勝な申し出であった。 彼女は、社会人3年の歯科衛生士である。折々の電話で、年々の成長ぶりは感じていたが、会うのは数年ぶりだ。  

いまの私に、若い女性と会話する機会はめったにない。娘とはまた違うであろう孫娘との会話が楽しみで、そわそわして待っていた。布団を干したり、食事のメニューを考えたり・・。 

   

 思えば、高等学校の入学祝いに、イタリヤ旅行に連れ出してから9年になる。あの時、親や妹たちへの土産を買うために同じ道を何度も往復し、真剣に品定めをしていた姿を思い出す。限りある外貨でどんなものを選ぶのか、私も興味しんしんでついて歩いた。パスポート取得や両替・出国・入国を初体験させたことが、社会を見る目を養ったと信じている。飛行機の窓から間近に雲を見て歓声を上げていた娘である。

   

 広島駅に出迎えた。そのまま、私の出入りするスポーツジムに行く。日ごろ運動不足だから動きたいという。ウイークデーのジムは、シニアがほとんどで、20代の若い女性は珍しくよく目立つ。顔見知りのインストラクターや会員に照会すると、にこやかに「(祖母)がお世話になっています」とあいさつしている。いつの間にか、社会人に育っていた。これは、わが娘を褒めねばなるまい。 

 彼女とのとりとめのない会話が弾む。観察眼が確かでリアクションが面白い。「今どきの若者は・・・」というフレーズは昔から言われてきた。“若者コトバ“などもやり玉にあがる。  

 常識をわきまえたふるまいや会話に安どする。職場の医師や同僚、患者さんたちとかかわる中で培ったものだろう。社会でもまれて“あるべき姿”を身に着けたに違いない。彼女が2泊で使った部屋に、寝具類が寸分たがわず定規で測ったように折りたたまれていた。我が娘が躾つけたのであれば、脱帽である。

 帰省してくれた愚息の運転で、大朝の墓地公園に出向き法要を済ませた。公園内を散策し、世界の美術工芸品の展示館を鑑賞。 身長161cm、体重49k抜群のプロモーション「女優さんのように写してあげるね」    

安芸の小京都

竹原街並み保存地区 かつて、瀬戸内海に港をもつこの町は、ご朱印船貿易で賑わっていた。塩田経営・廻船業・醸造業等を営んでいた豪商の住宅が保存されている。松坂邸など、当時の栄華を偲ばせる、堂々として豪華な雰囲気の建物は、江戸末期の建築物で明治に改築されもの。

竹鶴政孝とリタ夫人

数年前のNHKの朝ドラマ「マッサン」の主人公、竹鶴政孝の生誕の家があった。ウイスキーの開発に生涯をかけた生家は「酒屋」だった。 

 一月下旬、久しぶり娘と息子と3人で、竹原にある“賀茂川荘”の湯の宿でくつろぎ、保存された白壁の街を散策した。

 20年も前になるだろうか。私は、この宿にオフィシャルで宿泊したことがある。広い庭園に、薪能の催される能舞台があり、折々に季節の花が趣を添えることで知られている。

私はこの庭の池で釣り竿を垂らす初老の男性の像に、殊のほかに思い入れがあった。彼の背中の丸みが温かくほっこりと客を迎えてくれる。 あの日と変わらず、同じ場所に同じ背中で世相を語るかのように・・・。つい声をかけたくなる。「何か釣れましたか?」「いやいや‥釣れないからこうして居られるのですよ・・」    

炎の焼き物

赤穂線(岡山→姫路までのローカル線)を旅した。備前焼のふるさと伊部で下車。炎の焼き物として愛好者は多い。私もその一人で、花器や茶器に何点か所持している。自然に近い土のぬくもりがいい。火襷(たすき)やぼた餅などの模様は、窯の中で藁が自由に踊って創るという。限りない自然体、だから全く同じものはないのである。名陶工は、「炎や煙の色、肌に感じる空気で焼き上げ、温度計は使わない」と言っていた。ec8e2fba3e9452cf6d78affdf70557ea-600x4001 Windowに備前焼を並べた町並みを散策した。裏手にレンガ造りの煙突がのぞいている。 老舗に並んだ備前の器を目で愉しんだ。この皿にはこんな料理が・・と想像を膨らませて・・。どの食材でも器とけんかしないのがいい。inbemachinami1img_1117img_1120img_1123img_1129img_1122img_1126

音声ストーカー

Windows7からWindows10に変えた。4代目になるデスクトップの大型機種だ。幅60センチ・高さ40センチの大画面は、文字も大きく画像もクリィアでうれしいシニア判である。どっしりと私のデスクに収まった。毎回、バージョンを変える度に慣れるのに苦労する。今回も覚悟した。

設定に来てくれた技術者は、Windows10以降の新バージョンは、当分さきになるであろう・・と.  私の最後になるかもしれない新機種である。仲良くしなければと気合を入れるが、使い慣れたワードやエクセルも微妙に勝手が違う。

  IT業界の進化の速さに目を見張る昨今である。背景にバージョンを変えねばならないビジネスがあるのだろう。ついてゆくのに、マゴマゴと右往左往している我に苦笑している。若者文化に共感してこなかったからか?やたらに横文字の業界用語が多い。つまり、カタカナ語である。アプリと称する、使わない、使えそうもないあたらしい機能が盛りだくさん。無視することにした。 その中に私の声を認識して作業をしてくれる機能がついている。使ってみた。正確で美しい発音でないとAI(人口知能)は悩むらしい。しばらく続けて私の声の質やら特徴をインプットしている。 ネットの検索も、パソコン作業もすべて音声で指示できるのである。突然、わたくしが動かすマウスの動きを復唱してシャベリだした。なんとも騒々しい。

何とかして止めたい。説明書を読むのも煩わしい。あれこれ持てる知識を総動員してパソコンと格闘する。その間、わたくしの無能をあざ笑うかのように音声でシャベリ続ける。まるでストーカーである。シャットダウンか再起動と考えた。そこに見つけた設定というアイコン、もしやとクリックして見つけた、ナレーターの場所でオン→オフにした。

やっとストーカーから解放されヤレヤレ・・。いつの間にか私は、AI(Artificial Intelligence)人工知能の被験者になっていたらしい。 私は、10本の指でキーボードを叩いて検索し、文章をつづりたいのだ。大画面に向かって、「ものを言う」のは、いかにも、私の美意識にふさわしくない。

IT革命と呼ばれて久しい。この業界の進化が、人間の生活を根底から変えたことは確かだ。何事も便利になり、人の生活の質を変えた。情報過多で失敗し、情報の捨て所に迷っている。そして、大切なコトやモノをなくしてしまったことも事実だ。賢すぎる文明の利器を前にして、しばし考えこんでいる。Too muchに思うのは私だけだろうか。dscn0038

   

異国を旅して得たもの

ギリシャ デルフィー遺跡 アポロンの神託」

ギリシャ デルフィー遺跡 アポロンの神託」

異国で得た体験と見聞、出会いと交流は、私の“ものを見る眼”を広げたに違いない。地球の北と南、過酷な環境で生きる人々と出会った。アラスカの北極圏で、リビア砂漠で、自然と折り合いをつけて生きる人々に“民族の誇り”を学んだ。異文化は、気候や歴史によって培われた多様性であり、それぞれ違うがゆえに価値がある。宗教や肌の色にこだわらず「あなたは何者?」と問われたら「地球人」と答えてみたい。  

意外さにハッとして、そうだったのかと納得したことは数多い。ふんだんに“考える時間”を得た。孤独に浸って“自分”を探していた。何者で何処からきてどこへ行くのか?「妙」である。分かったことがひとつ。私の存在は、あらゆる岐路で自分が選択した結果の総和であること。自己責任の産物なのだと・・・。

多くの友人を得た。英語の現地ツアーの始まりは、決められたホテルで前日の夕刻に初顔合わせパーティから始まる。デレクターから、ネームタグと旅程をもらい、各自が英語で自己紹介することになる。どこの国のツアーでもシニアの東洋人に親切に接してもらった。日本人は歓迎され、信頼されているのを肌で感じた。 今もFaceBookやEmailで交流している。 かつて日本は世界一のODAの拠出国であった。現在は3番目。途上国に供与している、無償援助・円借款・開発援助などであるが、豊かな人がなお、豊かになるために利用されている現実も見た。十分に検証されているのだろうか?  ポリネシア・ミクロネシアなどの島は、地球温暖化の深刻な状況で環境難民を抱えています。工業化が遅れて、二酸化炭素を排出することすら出来ない後進国が、異常気象や海面上昇の被害を被っている。例えば、バングラディシュ・ツバル(メラネシア)などである。  古くから、地球上で民族紛争は、絶えたことがない。平和を口にしながら、近隣国・地域の争いはなくならない。これは、人間の業で地球上からなくなることがないのかもしれない。   

船の旅は退屈である。私は“何時間もゆっくり、のんびり過ごす”という能力を持っていない。上手な遊び方を知らないのである。“遊ぶ”は“怠惰”を連想する時代と環境に生れた性(さが)かもしれない。“自由とは、何をしてもいいし、何もしなくてもいい。何をしようかと考えなければならないのは案外不自由だ、”なんて屁理屈(へりくつ)を弄(ろう)していた。

いつも、プールサイドのサンデッキは、メタボリック症候群、間違いなしの中高年カップルで占領されている。しかし、彼らの表情は底抜けに明るい。メタボでも何でも「人生は楽しむものだ」と宣言している。それが、文化なのである。 

幻の生活の質とは?

人間は、動物の分類に属する。文字通り動く物である。

ところが、近代文明は、人がいかに動かずして、快適な生活するかに焦点を当てた。それは、あらゆる分野で目覚ましく発達し、日本をはじめ、先進国の長寿化に貢献したことは間違いない。電化製品、医薬品、工作機器、交通網、情報、ナビと枚挙にいとまがない。 

運動不足でできた病を治すために、取り過ぎたカロリーを消費するために、新たなコストとエネルギーを使う。この消費活動が、「経済指標」日銀短観、GAPなどにカウントされている現実である。 

人間は、情報過多の社会で、体で感じることを忘れてしまった。つまり,5感を研ぎ澄ますことがなくなり、出来なくなった。退化してしまったのである。ヒマラヤのポーターは、ゴムぞうりで重い荷を背負った岩山で足を踏み外すことがない。モンゴルの遊牧民は、15km先の動くものを見わける。 

自動運転の車・AI(人口知能)の社会が目の前ですに来ている。リモコンボタン一つで大抵のことができてしまう。体を大きく動かする業が無くなる。ますます、人間は動物でなくなる。人間が動く物でなくなったとき、生活の質は、何を「快適」と感じるのだろうか。

景気・経済発展という、一方通行のレールの先で、立ち往生している現実。そのひとつ、3.11による原子力発電の危機という落とし穴で、世界中が翻弄されている。アイスランドがまぶしい。自然エネルギー100%の(地熱発電80%・水力発電20%)の国の空気が美味しい。オモチャ箱のようにカラフルな首都、レイキャビックで深呼吸した。

“地球”も自然であり、そこに住む私たち人類と称する生物も“自然”以外の何物でもない。近年、地球に生息する生物のDNA(遺伝子の暗号)を読み取る解析は、進化し続けている。生命の歴史が始まって以来、遺伝子は今もコピーされ続けている。しかし、その暗号を書いたのは一体”誰なのか?何なのか?まだ、解明されていない。その“偉大なるもの”は「地球人であれ」と叫んでいるのかも知れない。宇宙の生命体も“自然”のひとつである。私も人としてたまたま、縁あってこの惑星にDrop  BYしただけに過ぎない。 

私は、”地球ひとり旅”で、このような”モノ”見る眼を持ち帰ったような気がする。そして、私の脳内は、今もアマゾンの湿度90%の密林をさまようのである。

一枚皮

頭の先から足指の先までヒト族は、一枚の皮でつつまれている。どこにもつなぎ目がない。生まれたときにはバランス良く整っていた一枚皮は、加齢と共に歪んでくる。行動習慣によること大らしい。“なくて七癖”人は、長年の間に楽な姿勢(負担の少ない)に傾いてゆく。“多忙”という逃げ道を容易して・・。私もその例にもれない。体の四肢の付け根が堅く、関節が自由に動かないことに気がついたのは、50代後半である。それでも、生まれつきとか年令の精と決めつけていた。 “一枚皮”なのだから、肉体の前・後・左・右の皮の長さがほぼ同じであるはずだ。いつの間にか、一枚皮の中にある筋肉や関節が歪み、委縮してくる。その不具合を庇うために他の場所が無理をする。それらは、まず歩き方に表れるらしい。足首が堅くなると歩幅が小さくなる。いきおい、膝が前に出て、腰が後ろに引け肩が前にでる。一枚皮はいつか、Cカーブの猫背体型をつくっている。皮の前後の長さが違ってくるのだ。加齢による姿勢は、順当な成長の証ではあるが、使い勝手の悪い体型や痛みは困る。そういえば、ほとんどの作業は体の前側でする。後ろ側でする仕事がない。敢えて言えば、背明きの服のファスナーを締める時だろうか。  行動習慣は、長い年数をかけて不具合をもたらす。健康診断で身長を測るたびに,数ミリづつ減少している。重力に逆らって立つ年数が比例するのだろう。背中の椎間板の厚みが減るからとモノの本に書いてある。それ以上に、姿勢が悪くなるから縮んでしまうようだ。自然な美しいS字カーブの背中が欲しい。 冬に肩が凝る。血流が悪い?長袖の厚地のコートやセーターを着るといけない。ジムスタジオで「肩の力を抜いて・・」とよく言われる。これが実にむずかしい。肩は、頭と腕の重さ合わせて12キログラムを支えている。手を上げる時に、数キロある腕の重さを感じないのは、肩に複雑に交差する小さな筋肉が支えてくれていた。腕の裏表の一枚皮は、肩甲骨につながり、足の付け根はお腹につながり、股関節の動きは腿の筋肉にストレートである。 日頃ないがしろにしている、足裏の面積は人体の1%だという。たった1%で体重○○キログラムを支え、立って歩いて○○年。足指一本一本にも大事な役目があったらしい。ジムに歩き方から呼吸法まで、さまざまなプログラムがある。専門資格を持ったインストラクターからアドバイスをもらっている。 ひとりで暮らす私には、“使い勝手のいい体つくり”は必須だ。もう手遅れかも知れないが、“今年はこれに挑戦しよう”と決めた。肩甲骨周りや骨盤周りの筋肉が堅くなっている。これらの深層筋肉(インナーマッスル)が動きを忘れてしまったらしい。姿勢と深くかかわるこれらを目覚めさせねばならない。エアロビック・筋肉トレーニングに加え、ヨガや太極拳のクラスで動きを忘れた筋肉に刺激を加えている。奥が深い。 過日、私の家に東京から取材が入った。このHPからたどりついた、某健康誌の記者である。カメラマンは、私を近くの公園に誘ってポーズを要求した。 錆びついた関節をスムーズに動かすのはそう簡単ではない。一枚皮に気がつくのが遅すぎた。s-IMGP9096s-IMGP9136s-IMGP9154s-IMGP9205 img046  

ヒヨドリの巣立ち

八月初旬、庭のキンモクセイの樹木から小鳥が飛び出した。よく見ると中に何やら黒い塊が見える。“鳥の巣”?間違いない。木の枝や枯れ葉で造られている。私が背伸びしてようやく手が届く高さだ。もしやと思いながらこわごわ巣の中に手を入れた。s-IMG_0189 “ぎょっ”卵が2つ手に触れた。生暖かい。どんな鳥なのだろう。そういえば、以前から数種類の小鳥が遊びに来ていたが・・・。親鳥は、人の手が触れた卵を孵すだろうかと気に罹る。いささか罪悪感を味わう。 数日後、台風15号の大雨に晒された。巣の中が、どうなっているか気にかかる。子育ての邪魔をしてはと傍を歩くのも控えめにしていた。数日、親鳥の姿も鳴き声もしない。巣の中は、冷たくなった卵か、卵が割れた残骸でもあるのかと・・・。 誘惑に逆らえず、また、巣の中に手を入れてみた。”ギョギョッ“思わず手を引っ込めた。私の心臓の鼓動が高まる。何と指先に触れたのは、”ぐにゃっ“とした暖かい肉片だった。孵化して雛になっていたのだ。親鳥は、「辛抱つよく強い雨風を乗り越えてくれた」と胸をなでおろした。 親鳥の番(つがい)はどんな餌を運んでいるのだろう。小さな命が無事に育つように手伝えないものか・・と子供に相談したら「何もせずに自然にしておくのが一番よい・・」と返された。なるほど。 9月1日、また、巣の中が気になって、我慢ができずに手を入れた。雛たちは毛が生えたようでざらざらしたものが手に触れた。順調に育っているらしい。ネットで小鳥の巣立ちなどを探してみている。 9月4日、一羽の小鳥が巣の傍の枝で動かない。いよいよ巣立ちの時に違いない。カメラを持ち出した。傍にレンズを向けても動かない。まだ飛ぶ練習をしていないのだ。すると近くでけたたましい親鳥の鳴き声・・。小鳥が飛んだ。中にいたもう一羽も羽を動かして巣を離れた。暫くは、親鳥2羽がキィーヨ・キィーヨと周りを飛びまわっていた。きっと巣立ちを見守っていたのだろう。私が追い払ってしまったようだ。この数週間、自然の命の育みを見守って感動をもらった。s-IMG_0181
巣立ち前

巣立ち前

s-IMG_0183hpken-hiyodoriyoko[1]s-IMG_0180 図鑑で見るとヒヨドリらしい。渡り鳥だから、来年もまたきてくれたらいいな~