宮古島 その1

 着陸態勢になった。窓の外に流れる雲の動きが速い。機長から「気流の悪いところを通過しています。シートベルトを締めてください」とアナウンス。雲の中をゆっさゆっさ、横揺れがしていた。とつぜんモニターの眼前に滑走路があらわれた、同時に「ガグッン」と衝撃があって、宮古空港にランディングした。

北緯24度、東シナ海の島は亜熱帯海洋性気候である。気温29度、生ぬるい空気で上着を脱いだ。ふと、どこかでかいだ香りがよぎる。パラオ・サイパン、南国の香りだ。

宮古島空港

ハイビスカス・ブーゲンビリア花や葉の大きさがこの島の気候を語る。

ばなな

パパイヤ

マンゴ

記憶に残る高嶺の花

数年前、登った日本アルプス(奥穂高・八が岳・燕岳)北海道の利尻山・礼文島
カメラに残した高嶺の花は,今も季節違えず誇らしく咲いているのだろうか。
特に忘れ難い花をアップして見た。
ここ数年、世界の各地で珍しい花を写したが、日本独自の固有種は殊のほか愛しく思える。我が足で登ってレンズに納めたそれは、背景と空気とともに鮮明だ。

 

八ケ岳 つくもぐさ

エンレイソウ

ハクサンイチゲ

尾瀬 至仏山 クルマユリ

ニッコウキスゲ

燕岳  コマクサ

岩キキョウ

奥穂高 ひょうたん木

コバイケソウ

リンドウ

レブン アツモリソウ

カラフト アツモリソウ

キンバイソウ

礼文フウロ

エゾカンゾウ

ナナカマド 奥穂高

南緯55度 

かつての旅を切り取り、回想し楽しんでいる。

世界の果て、プンタアレーナスに横たわる、「マゼラン海峡」は、マゼランが地球が丸いことを証明したところだ。かつ、南十字星とマゼラン星雲を発見したことで知られている。

マゼランの銅像

夕暮れのマゼラン海峡


ビーグル水道は、フェゴ島のウシュアイアにある。10年前と比べると平均で5度~10度、気温が上昇、全く雪の降らない年もあるという。マチュピチュにつながるアンデス山脈はここまでのびるいた。

アンデス山脈


フエゴ島は、南緯55度地点、南極大陸まで1000km、南極点まで4000km地点。日本の昭和基地がある。観測を開始して50周年になり、
世界で初めて100万年前の氷の採集に成功した「氷床掘削技術」や、オゾン層が観測史上2番目に拡大してるデータ等は高い評価を受けている。

世界の果て・・南極まで1000km



アルゼンチンは、メルコスール経済圏(ウルグアイ・パラグァイ・ブラジル)を牽引し、首都、タンゴ発祥の地(ヴェーノスアイレス)は建設ラッシュ。チリの銅鉱山開発・中国(東アジア)との貿易拡大していた。
ヴエーノスアイレス

パタゴニア氷河 涼を探して・・

ペレトモレノ氷河


2008.02月、アルゴアの「不都合な真実」を確かめに、アルゼンチン・チリにまたがる南米の果て、パタゴニア地方を歩いた。
氷河の溶解で、海面上昇が進むエリアである。

ペレトモレノ氷河は、広さ195km2、幅2km、高さ50~70m、崩壊の頻度が多くなっている。中央部から、氷の柱が前に倒れたかと思うと轟音と共に砕け沈み、アルヘンチーナ湖に流れて行く。

氷を欠いてオンザロックにしたい スコッチウイスキーは何?

崩れ落ちる氷河

流れる氷河のかたまり

氷河が削った台地

名峰アコンカグアを垣間見る

 

シルクロード その3 三蔵法師をたどる 

10年前の記録である。あの日、夢中で写した画像に背景が鮮明によみがえる。リライト編集した。   古代キジ王国 クチャ滞在。この王国に699年三蔵法師が立ち寄っている。 キジル千仏洞=1・5万平方kmの広さを持つ、古代キジ王国といわれ、清の時代にクチャと改名,西域36ケ国の大国だ。 南北200km、石炭・鉄が産出され、トウモロコシ・小麦の農産物や胡桃・ブドウなど・・天山南路の中部に属し東西文化の融合地である。遺跡の発掘で3000年前の人間の生活が解明されている。当時、キジ王国の人口8万人、そのうち僧が3万人。民衆は供養する人の負担に耐えられなくなり、イスラム教に改宗していった。当時の烽火大や監視台が軍事国の名残を残す。 3-7世紀仏教文化が栄え、長安に負けない都市計画の跡が見られる。     <鳩摩羅什 千仏洞の入り口に法華経の訳者で知られる鳩摩羅什の像が建っている。哲学を語るような細見の石の像にくぎ付けになる。   天台宗、広済寺資料より {西暦350頃~409年。「羅什」とも略称される。中国の南北朝時代初期に仏教経典を訳した僧。インドの貴族の血を引く父と、亀茲(キジ)国の王族の母との間に生れた。7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始経典や阿毘達磨仏教を学んだが、大乗に転向した。主に、中観派の諸論書を研究。   384年、亀茲国を攻略した呂光の捕虜となり、以後18年間で涼州での生活を余儀なくされた。のち、401年に後秦の姚興(ヨウコウ)に迎えられて長安に入った。以来、10年足らずの間に精力的に経論の翻訳を行うとともに、多くの門弟を育てた。東アジアの仏教は、鳩摩羅什によって、方向づけられたといってよい。 鳩摩羅什と『法華経』 3種が現在に伝わっている。なかでも、鳩摩羅什が訳した『妙法蓮華経』は名訳であり、この『妙法蓮華経』は中国の隋の時代の高僧である天台大師智顗(538-597)の法華経中心とした仏教へとつながり、日本の伝教大師最澄(天台宗)や日蓮聖人(1222-82)の仏教へとつながる。また、天台大師智顗とほぼ同じ時代、日本の聖徳太子(574-622)も羅什訳の『妙法蓮華経』を読んで有名な『法華義疏』を著作された・・・・・} とある。 キジ国は隋のはじめトケツ民族を滅ぼして安政仏教文化時代に敦煌文化を作った。 その後、チベット・トバ・カイコツ民族の仏教文化が続いたが、12世紀、モンゴルがカイコツに滅ぼされ政治不安を起きイスラム教に改宗され、1200年の歴史が消えてゆく。   背景に供養する僧の数が増え供養義務に耐えられなくなって改宗したとも言われ、偶像崇拝を嫌うイスラム軍がキジ千仏洞の壁画の仏像の顔や目を抉り破壊した。また、金箔は現地の民族がはぎとっていった。四角に切り取られた跡は外国の探検者や研究者に持ちさられ、一部はその国の博物館に展示されている。 クズルガハ烽火台=漢代、異民族の来襲を睨み、クチャのオアシスを見下ろす絶好の位置これも今は砂の中だ。 天山を望む壮大なスバシ(水源、ウイグル語)古城を見学。天山山脈の雪解け水がクチャ川に流れ、古代に築かれた古城。仏塔・寺院・城壁は、日干し煉瓦の崩壊し、残骸が残されている。ここにも三蔵法師も2カ月滞在したという。 <強風で予定変更> 深夜、南疆鉄道に乗って緑のオアシス、トルファン(火州)へ向かう予定が、強風の影響で列車はストップ。急きょ、小型バスでコルラまで5時間の移動となった。 昨年、強風で南疆鉄道が横転して怪我人が出ている。それを教訓に2日間ストップすることが決定したという。 ふと、パタゴニアの風速94mを思い出した。 翌日、コルラのホテルに到着。

天山山脈の峠にできたハイウエイをバスは6時間をかけてトルファンに入った、周りに緑はない、鉄の山、赤い砂の岩の間を巡法スピードで上り50km、下り50km見渡す限りのゴビタン砂漠で見慣れた風景が続く、黄沙で万年雪を頂く峰々は視界に入らない。  漆黒であるはずの夜も星は見えないという。タクラマカンの砂が粒子となって、中国内陸の工業地帯の上空でさらに汚染され日本海を飛び越えわが国に届く。 如何ともしがたい黄沙という怪物を改めて怖いと思った。

パインゴル・モンゴル自治区に属する石油の町コルラは、火力発電所、石油開発式部ある豊かで大きな町だ。内陸からエリートが入っているという。6月から8月は最高温度40度というから覚悟!年間降雨量16ミリ、年間蒸発量2500ミリ、この環境でなぜ農作物が育ち、人が生活できるのか? 「鉄門関」を観光、南新疆への通路を守る唐の時代からの関所だ。中国に26か所あるうちの一番西にある関所という。孔雀川の上流で厳しい地形に建っている。 631年、三蔵法師も通過したとか、1980年に修復されている。「シンジン」の詩碑がこの関所の様子を詠っていた。 名産は香り梨とブドウ、乾燥した自然環境を利用した葡萄の乾燥庫が林立している。日干し煉瓦もこのように使えば美観である。乾燥材・防腐剤を入れて1週間で乾燥し輸出されているものもあるようだ。日本で安く買える干しブドウと聞いた。

新疆政府は3か月ほどかけ自然乾燥して出荷する模範農家を3か所指定している。その一つの農家を訪問した。330平方mのブドウ畑で600種の栽培をしていた。この農家で夕食、家族ぐるみで接待してくれる。暑いので果実は甘い。

<トルファン滞在>玄娤三蔵が求法の途上に手厚いもてなしを受けた高昌故城(高昌王朝のあと)を観光。紀元前140年、前漢の時代キクシが建立した王宮だ。  

三蔵法師がインドにゆく前にもてなしを受け、ここに留まるように言われたが、3日の断食をして求法の意思の堅さを示した。それに感じたキクシはたくさんの路銀を渡し、帰途に必ずまたここに戻るように約束した。出発する前、路銀のお礼に300人の僧に1か月間仏法を講じた場所がある。三蔵法師は帰途にホータンでキクシは滅ぼされ、高昌王国は唐の支配下に置かれたことをきき、別の道を通って長安に戻っている。

  シルクロードで最も保存状態の良い遺跡だ。外城・内城・宮城に分けられている。乾燥地帯のため遺跡の保存がいい。  

1400年前の唐のものが残されている。四方が5kmある。 5世紀に既に唐の長安に酷似した街つくりが出来ていたらしい。今、世界遺産に申請され、修復工事がすすめられていた。 *西遊記で有名な火焔山=トルファン盆地の北東にあり、東北100Km、幅100km標高500m。孫悟空がここで牛魔王や鉄扇姫と戦ったという伝説で知られている。 赤い山に植物は一本もなく、山全体に溝の痕跡がある。炎の燃焼する様に似ているからこの名前に・・。

トルファンとは、ウイグル人の住む町という意味、ジュンガル盆地の一番低いところ、マイナス40mの海抜。火焔山は真夏、地表温度80度でナンが焼けて、砂に埋めると卵や焼ける。   鉄分を含む火焔山

アスターナ古墳群、 乾燥・酷暑・少雨のために千年の古墳が500個もミイラになって保存されている。 役人の墓・商人の墓・庶民の墓の3つの発掘された古墳を見学。 ここは地下の博物館、ミイラの産地とも言われ、たくさんのミイラや出土品の多くはウルムチの博物館に収納されている。

ベゼクリク千仏洞・・ 火焔山の木頭溝壁に彫られた洞窟が77個も現存している。壁画も残っているがドイツの研究者に持ち帰られベルリンで保存されている。大乗仏教の壁画だ。四菩薩とは、普賢菩薩・文殊菩薩・観音菩薩・弥勒菩薩のことだ。 トルファン→ウルムチへ 交河故城=天山山脈から流れる二つの川の中州にできた城、断崖絶壁の山を削って造られた堅牢なお城だ。漢書に「車師前国、交河に都を置く。河は2本に分かれて城の下を流れ、それゆえ交河という。と記されている。元の末期に戦禍に滅ぼされた。2000年前の城と大仏殿、民居、バザールあと、各地に井戸ができていて、東門の傍にある6つの中の一つは今も水が流れているという。大仏寺院、事務室、貯金箱、牢屋、仏塔、赤ちゃんの墓などが残されている。赤ちゃんの墓に2つの説がある。ひとつは当時疫病が流行ったということ、もう一つは戦いに障害になる赤ちゃんを殺して埋めたという説。 2000年前の光景が彷彿と浮かぶ。この日干し煉瓦の街は、いま世界遺産に申請しているという。 <カレーズ>

地下に流れる天山山脈の雪解け水を効率よく取り込んで使うカレーズという仕組みを説明する展示館が出来ていた。竪穴を掘り暗渠を造り斜面を流していた。これで灼熱のトルファン盆地にどうして果樹農園ができたか理解できた。暗渠から流れる水がブドウ畑に今も利用されている。現在もトルファンに1200本近く存在している。

<風力発電>

ウルムチ近くの強風地帯にアジアで一番の風力発電所が出来ていた。400基の発電機で今後も増えてゆくという。あまりに風が強すぎるときは自動的に停止する、ドイツの技術が輸入され、今では国内で調達できるという。高さが30m、プロペラの長さが15m、柱の直径が3m・・。 昨夜、トルファンに雨が降った、年間に16mというが、一夜の16ミリ降ったらしい。みんな傘なしで歩いている。恵みの雨という奇遇な偶然に遭遇したわけだ。 翌朝、いやに涼しい、ホテル前のぶどう棚の下をジョギングした。節水の看板が立てられていた。

シルクロードその1・・タクラマカン砂漠

そこはアジア・ユーラシア大陸の中心にあり、氷を載せた山脈に囲まれているという。 崑崙山脈・天山山脈・アルタイ山脈に囲まれたタクラマカン砂漠は、日本の総面積とほぼ同じ広さ33万平方キロ。  雄大で奇異な砂の台地は、シルクロードの名と共に、古来から謎めいて語られてきた。
是非、訪ねたい場所であった。 今、問題にされる温暖化・気象変動は、黄沙の源のこの砂漠にどうかかわっているのだろうか?.このあたりにテーマを据え、私の「タクラマカン砂漠縦断の旅」が始まった。2007、7月のことである。
<新疆ウイグル自治区>  中国で海から最も遠い地域にある。中国の総面積の6分の1が新彊自治区だ。東北にモンゴル、西北にはロシア・カザフスタン・キルギススタン・タジクスタン、南はアフガニスタン・パキスタン・インドと隣接する地域。日本の4倍、イギリスの7倍、フランスの3倍以上と聞けば、その広さに圧倒される。  新疆の人口2000万人の46%がウイグル族。他に、カザフ族、モンゴル族、カイ族、キルギス族・チベット族・トケツ族などの少数民族がたくましく暮らしている。
新疆の「」の字、弓は戦争を中の土は土地をあらわし、一は山脈を示し、アルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈を、田は盆地を表し、ジュンガル盆地とタリム盆地のこととガイドの説明。なんというスケールの大きさ、難解だった漢字がこれですっきり腑に落ちた。
 成田空港から西安まで5時間弱・・時差を1時間戻した。国内線に乗り継ぎ3時間のフライトで万年氷河を載せた天山山脈が右に見えた。やがて飛行機は山脈を左に越えてウルムチ空港へ着陸。茜色の夕焼け雲が黄沙に消えていた。
新疆自治区の首都はウルムチ、ウルムチとは、ウイグル語で「美しい牧場」という意味らしい。砂漠が多いのに、ここの産業の80%は農業(米、綿花、ホップ、ぶどう、杏、イチジク)近年、油田探索が進められ、各地で石油産業が拡大していた。
10年前(2007年)、中国は「西汽東輸」という政策で西域開拓に力を入れていた。新疆で豊富に産出される石油を東に送るという国策だ。多くの内陸の大学生もこの地域の石油関係の業務に就いている。北京・上海に次ぐ給与で厚遇されていると聞く。  三つのシルクロードの起点、ハミは中国の喉といわれ、ここからのシルクロードはローマに延びている。その長さは7000kmと記録されている。
西域南路=ハミ・・ニヤ・ケリヤ・ホータン・ヤルカンド・カシュガル→インド→アフガニスタン→ローマへ 。天山南路=ハミ・・トルファン・コルラ・クチャ・・・カシュガル→キルギス→イリ→ローマ 。天山北路(草原ロード)・・ハミ→パリコン・ジムサル・イーニン→キルギス・・ローマヘ。まさにすべての道はローマに通じていた。                      
ウルムチ市街
          
デパートの開店を待つ行列
ウルムチ市街地は民族文化の融合が息づき活気がある。新時代に駆け足でそのベールを脱いでいる感が・・。人の動きが早い、あふれる車・建設中の建物が林立し、溢れんばかりのエネルギーだ。
ウルムチ→天山山脈東部の最高峰、ボゴタ峰の中腹にある氷河湖「天池」をミニクルーズ・どこでも見られた観光客相手の土産もの押し売り現象は今も変わっていない。
 
楼蘭の美女
ウイグル博物館で4000年前のミイラ「楼蘭の美女」に対面。 ニヤ遺跡(日本の小島氏が私財を投じて発掘)の小河墓地から出土したニュースはNHKでも放映されている。年間降雨量16mm、年間蒸発量2500mmの乾燥地帯は、さながらミイラの産地といわれ、各地で発掘された200体がこの博物館に保管されている。
民族の十字路、カシュガル
夜、空路、カシュガルへ移動。 西域南道からシルクロードをヤルカンド→ホータン→ケリヤ→ニヤとオアシスの街を辿り、ニヤからタクラマカン砂漠公路を縦断するコースのスタートだ。  元ソビエト領事館の後を改造したカシュガルのホテルに着いたのが午後10時を過ぎていたが日没が遅い、露店にシシカバブの売店の煙がたちこめている。中国人とは思えない鼻梁の高い顔、目の細い丸顔の漢民族、ロシア系・キルギス系とそれぞれの言語と文字を持つ、民族のるつぼだ。若者が多いが高齢者も目立つ。ぽつねんと所在なさそうに路上にたたずむ老人も・・・
翌日、世界の屋根、パミール高原へ、国道314号線はウルムチ→パキスタンまで1990kmに延びている。 天山山脈、崑崙山脈、カラコルム山脈・ヒマラヤ山脈・シントク山脈の5つの山を称して世界の屋根を総称してパミール高原という。4000m級の標高では山に名前が付かないという。K2もカラコルム山脈に入っている。      
    黄沙のキルギス族の村
止まない黄沙
朝から砂が市内を覆い全く視界が利かない、どんよりと曇って雨の前のようだ。風はない。例年、黄砂のシーズンは4月中旬から下旬までの2週間なのだが、今年は1か月も続いて長引いているという。ホータンの方からタクラマカン砂漠を吹く風が気流の変化で異常をきたしているらしい。 40名乗りのしっかりしたバスだが車内に置いたペットボトルまでがざらざらしてくる。マスクを付け、サングラスをかけ、帽子・スカーフで頭を覆うという異様な格好だ。いつしか、口を詰むんで鼻呼吸の癖が付いた。徐々に咳をするメンバーも増えている。
世界の屋根へ
 ゴビ砂漠を駆けて、標高3600mの氷河湖・・カラクリ湖までドライブ。この辺りで高山病になる人もいるという。風が強く黄沙が舞い飛び、視界がぼんやりしている。湖の後方に、コングール山、ムスターグ・アダなど7000m級のパミールの雄姿が仰げる筈であったが、まったくの幻影になった。日中の太陽もぼんやりで輪郭がはっきりしない。これでは紫外線も届かず日焼けも避けられるだろう。  そういえば、このすぐ隣はアフガニスタンだ、北にタジキスタン、南のカラコルム山脈を越えるとパキスタン・インドに続く。世界の屋根を切り開いて道路が整備されている。かつて法典を求めてインドを目指した玄宗法師が旅した道だ。 
 
整備された2車線の道路を、人も馬車も牛車も自転車も自動車も走っている。 オアシスの学校近くでは、、車のスピードを抑えるために盛り上がり地帯をつくっている。徐行の標識をつくっても誰
も守らないそうだ。
   
ゴビ砂漠
石と砂利と砂の平原が続く、わずかに植物は、タマリスクとラクダ草など、やがて切り立った峻厳な岩山が続く。赤い岩と山は鉄分を含み、側を流れる川も赤い水だ。黒い岩山は石炭だ。この地域に資源は豊富だが採掘する技術がない。  色彩を排した無機質な風景がどこまでも続く。ウイグル民族の住む西の果てを過ぎるとキルギス族の住む地域に入った。ヤギ・ヒツジを放牧している。 天山山脈は東西に全長2000km、幅300kmの万年氷河を頂く山並みが、砂の台地から見える筈なのだが、ここからの眺望も黄沙に阻まれた。  近年の温暖化現象は、この雪解け水を大量に流し、道路を決壊させている。2008年、北京オリンピックまでに修復を急ぐ光景に何度も出会った。  この水はミネラル成分を多量に含んでいて、周辺ではコシヒカリ並みのおいしい米が採れると、現地ガイドの説明。温暖化で降る雪が少なく、溶けて流れる水が多くなると・・・これから先の心配
も。
資源開発、原油・天然ガス・石炭・鉄
カシュガル地域は、どこも油田の上にあるらしい、中国石油(ペトロチャイナ)のガソリンスタンドが至る所に見られた。石油産出地だが原油からの精製はごく一部で、多くは原油のままタンクローリー&パイプラインで内陸に送られている。従って産油地でありながらガソリンの値段は高い。言語・宗教・文字は違えども公用語は中国語だ。山に地下に埋もれる未開発の鉱物資源は計り知れない。
早晩、このエリアに経済の論理が入ってくるのであろう。中国の国旗がはためいていた。  道路の側溝に光ファイバーのケーブルを埋設するパイプが並べられていた。 電子通信のインフラ整備が加速している。この僻地の民族の村にも世界を小さくするツールが入り、徐々に文化を変えてゆくのだろうか?数日前の新聞報道では、シリコンバレーのVC(ベンチャー・キャピタル)の投資マネーが中国向け53%増と報じていた。
しかし、上下水道インフラは手付かずのままなのだ。そこで私たちは、たびたびの青空休憩を体験することに・・。来年、8月には北京オリンピックが開催される、この道路をユーラシア大陸の各地から多くの観光客が往来するのだろう。それまでに下水道が間に合うとは思えなかった。
翌日・・・カシュガル滞在
カシュガルは中国最西端にあり、シルクロードの要地として栄えたオアシスの街。西はパミール高原、南はグジラ河まで、北はタクラマカン砂漠、西側との交易があり、特殊な文化と彫刻・工芸品などが盛んだ。 職人街(楽器や工芸品)を散策、まさに職人の街だ。楽器や織物、木工、刃物類など鉄器・タイヤなど手作業の職場兼即売店になっている。これがバザールで売られる、中に木工技術を8歳ぐらいの子供に教えている親子がいた。
20万人のバザールで迷子になる
新疆最大のバザールといわれる日曜バザールへ・・20万人が各地から集まる。ここには「鶏のミルク」以外は何でも売っているという。カラフルな布は整然と大量に陳列されており、1週間分の必要な生活用品、祝い事の品々や民族衣装を買いに来るのだという。  入り組んだ通路が迷路のようになっていて、この人込みで迷子になったら大変と思いながらも・・なんと私が迷子になってしまった。買い物に興味のない私は、集合場所がこの直線この方面だからとのガイドの説明で先に動いたのが間違いだった。
言われたところに集合場所が見つからない。(実は次々に簡易店舗が出来て様変わりしていたのだ)あせって探すが集合時間だけが気にかかる。  この人ごみではウイグル語しか通じない、日本語はともかく英語もまったく通じない。むやみに動いてもだめだと気が付き、電話機の置いてある場所を探した。ホテルに電話して現地ガイドに連絡してもらうのが先決と気が付く。ホテルの電話に出たのもウイグル語、何とか英語で自分の名前・ツアー名・ガイド名と今いる場所を汗だくで伝えた。ホテルのご主人にタクシーで迎えに来てもらうという顛末に・・・グループメンバーの時間を空費してしまってひたすら謝罪!迷子初体験だった。
 翌日・・・カシュガル郊外にある「モロ仏塔」へ→平山郁夫の世界が砂の真ん中に残されていた。物言わず土の塔が砂の平原に・・嘗てオアシスで栄えた街は砂の中に、はるかに白っぽく外堀の壁の跡と貯水池の跡が見えた。イスラム教徒が仏教徒弾圧のために水流を止めたのだといわれる。また、1600年、唐の三蔵法師が立ち寄って滞在した跡という。少し離れて烽火(のろし)台が残っていた。当時のオアシス、カシュガルの在ったところだ。他国からの侵入を知らせる軍事情報として使われていた。このようなのが各地に残っている。
カシュガルからヤルカンドへ180kmの砂漠を走る。 1999年に開通した南疆鉄道の線路がまっすぐに通っている。カシュガル→ウルムチ間を1日2往復、2週間前にはチケットが完売されると
う。
ヤルカンド王陵・・・その昔、ハン王国の王宮あったところの今は、陵墓と監視台のみが雑然とした喧騒の中にあった。
 

飛騨路・・・下呂温泉

連休後半、新幹線を名古屋で下車・高山本線の11番ホームで堺に住む娘と合流。飛騨ワイドビューで下呂温泉に到着。久しぶりの親子旅である。娘も息子もフルタイムの職業人。故に同行は、混雑時の連休になる。

  初めての高山本線である。沿線は歴史の宝庫(美濃・岐阜)であり、山々を縫って渓谷美を堪能。その昔、人の足で移動するしかなかった時代、こんな山奥で歴史の舞台が動いていたのである。「天下の名泉」のひとつで知られる下呂温泉も観光客でにぎわっていた。

下呂駅

  合掌村   白川郷から移築した合唱造りの民家で集落を再現している。豪雪地域に根付いた急斜面のかやぶき屋根の葺き替え中であった。70年前、当たり前に山形・置賜地方の風景である。屋内を見学・馬小屋・囲炉裏・農機具類・蚕部屋など・・。私の幼少時の記憶とオーバーラップする。私が育った昔話を子供たちに語ってみる。理解は難しいであろうが。

屋根の葺き替え

  陶芸体験  娘と息子は、ろくろを回して記念にマイカップを創るという。私はカメラマン。一時間のレクチャーの後、エプロンを着けていよいよ土と対話。肩に力が入って指導者のように上手くできない。頭で理解していても、いわれるように、腕や指先に伝えるのは簡単ではない。二人とも力の抜き加減に苦労していた。 作品は一か月半後に自宅に届くはずだ。   水明館 下呂温泉の老舗で両陛下をはじめ著名な宿泊医者の写真が並んでいる。 毎日PM5:00に開催される“館内ツアー”に参加した。84歳になる元支配人の張りのある声、名画や彫刻の解説に引き込まれた。横山大観・伊東深水など・・。5百畳の宴会場・2000人も立食パーティー会場、能楽堂。広大な庭園。さながら博物館の中の温泉宿である。 半年前に予約した家族旅行の記録にHPは便利である。