宮古島 その1

 着陸態勢になった。窓の外に流れる雲の動きが速い。機長から「気流の悪いところを通過しています。シートベルトを締めてください」とアナウンス。雲の中をゆっさゆっさ、横揺れがしていた。とつぜんモニターの眼前に滑走路があらわれた、同時に「ガグッン」と衝撃があって、宮古空港にランディングした。

北緯24度、東シナ海の島は亜熱帯海洋性気候である。気温29度、生ぬるい空気で上着を脱いだ。ふと、どこかでかいだ香りがよぎる。パラオ・サイパン、南国の香りだ。

宮古島空港

ハイビスカス・ブーゲンビリア花や葉の大きさがこの島の気候を語る。

ばなな

パパイヤ

マンゴ

記憶に残る高嶺の花

数年前、登った日本アルプス(奥穂高・八が岳・燕岳)北海道の利尻山・礼文島
カメラに残した高嶺の花は,今も季節違えず誇らしく咲いているのだろうか。
特に忘れ難い花をアップして見た。
ここ数年、世界の各地で珍しい花を写したが、日本独自の固有種は殊のほか愛しく思える。我が足で登ってレンズに納めたそれは、背景と空気とともに鮮明だ。

 

八ケ岳 つくもぐさ

エンレイソウ

ハクサンイチゲ

尾瀬 至仏山 クルマユリ

ニッコウキスゲ

燕岳  コマクサ

岩キキョウ

奥穂高 ひょうたん木

コバイケソウ

リンドウ

レブン アツモリソウ

カラフト アツモリソウ

キンバイソウ

礼文フウロ

エゾカンゾウ

ナナカマド 奥穂高

飛騨路・・・下呂温泉

連休後半、新幹線を名古屋で下車・高山本線の11番ホームで堺に住む娘と合流。飛騨ワイドビューで下呂温泉に到着。久しぶりの親子旅である。娘も息子もフルタイムの職業人。故に同行は、混雑時の連休になる。

  初めての高山本線である。沿線は歴史の宝庫(美濃・岐阜)であり、山々を縫って渓谷美を堪能。その昔、人の足で移動するしかなかった時代、こんな山奥で歴史の舞台が動いていたのである。「天下の名泉」のひとつで知られる下呂温泉も観光客でにぎわっていた。

下呂駅

  合掌村   白川郷から移築した合唱造りの民家で集落を再現している。豪雪地域に根付いた急斜面のかやぶき屋根の葺き替え中であった。70年前、当たり前に山形・置賜地方の風景である。屋内を見学・馬小屋・囲炉裏・農機具類・蚕部屋など・・。私の幼少時の記憶とオーバーラップする。私が育った昔話を子供たちに語ってみる。理解は難しいであろうが。

屋根の葺き替え

  陶芸体験  娘と息子は、ろくろを回して記念にマイカップを創るという。私はカメラマン。一時間のレクチャーの後、エプロンを着けていよいよ土と対話。肩に力が入って指導者のように上手くできない。頭で理解していても、いわれるように、腕や指先に伝えるのは簡単ではない。二人とも力の抜き加減に苦労していた。 作品は一か月半後に自宅に届くはずだ。   水明館 下呂温泉の老舗で両陛下をはじめ著名な宿泊医者の写真が並んでいる。 毎日PM5:00に開催される“館内ツアー”に参加した。84歳になる元支配人の張りのある声、名画や彫刻の解説に引き込まれた。横山大観・伊東深水など・・。5百畳の宴会場・2000人も立食パーティー会場、能楽堂。広大な庭園。さながら博物館の中の温泉宿である。 半年前に予約した家族旅行の記録にHPは便利である。    

伊豆 下田→石廊崎

下田港 ペリー提督艦隊・・開港の歴史の舞台となった。160年前のことである。 開国博物館を訪ねた。伊豆半島の小さな港町である下田が、外国との部員か交流の先駆けとなった歴史が詰まっている。黒船に乗って湾内をクルーズした。 弁天島があった。港のすぐ近くである。幕末・明治維新の精神的指導者「吉田松陰」が、停泊中のペリー艦隊へ密航を試みた場所である。緑に包まれた小さな島は静かで、日本の夜明けにかかわったとは・・・。

ナマコ壁

ペリーロード

  ペリーロードを歩いた。ナマコ壁の建物が目立つ。 白と黒の碁盤目が斜めに交差する”なまこ壁”は、古風で独特の下田情緒をかもし出している。商家の土蔵や民家で使われていた。竹の骨組という。 石廊崎灯台 伊豆半島の最南端、石廊崎灯台に着いた。海が美しい突き出した岩によじ登る。 地中海のそれとまがう美しい海岸線、日本再発見である。

伊豆七東

土産物屋にキンメダイの干物が並ぶ、南伊豆である。

伊豆半島

修善寺温泉 熱海から天城峠を越え、修禅寺温泉に立ち寄った。 桂川に架かる“朱塗りの橋”と“竹林の小道”。一昨年ひとりで訪ね、歩き回った場所である。桂川に作られた独鈷の湯(空海の謂れある)から立ち昇る湯煙もあの日のままだった。   竹林のタケノコは、抜かないでください」と書いてあった。竹林を育てているらしい。湯の町の風情ある散策路である。    修禅寺物語”(岡本綺堂作)の舞台である。この戯曲は、幾度も歌舞伎・能楽で演じられた。時は鎌倉時代、この地に住む面つくり師、夜叉王とその娘、(かつら)と幽閉された源頼家の鬼気迫る情景が思い浮かぶ。死相の現れた頼家の面をつけて殺害された桂。  伊豆半島の奥座敷に伝えられるこの話。竹の林と湯けぬりに往時をしのぶ。

修禅寺

 

安芸の小京都

竹原街並み保存地区 かつて、瀬戸内海に港をもつこの町は、ご朱印船貿易で賑わっていた。塩田経営・廻船業・醸造業等を営んでいた豪商の住宅が保存されている。松坂邸など、当時の栄華を偲ばせる、堂々として豪華な雰囲気の建物は、江戸末期の建築物で明治に改築されもの。

竹鶴政孝とリタ夫人

数年前のNHKの朝ドラマ「マッサン」の主人公、竹鶴政孝の生誕の家があった。ウイスキーの開発に生涯をかけた生家は「酒屋」だった。 

 一月下旬、久しぶり娘と息子と3人で、竹原にある“賀茂川荘”の湯の宿でくつろぎ、保存された白壁の街を散策した。

 20年も前になるだろうか。私は、この宿にオフィシャルで宿泊したことがある。広い庭園に、薪能の催される能舞台があり、折々に季節の花が趣を添えることで知られている。

私はこの庭の池で釣り竿を垂らす初老の男性の像に、殊のほかに思い入れがあった。彼の背中の丸みが温かくほっこりと客を迎えてくれる。 あの日と変わらず、同じ場所に同じ背中で世相を語るかのように・・・。つい声をかけたくなる。「何か釣れましたか?」「いやいや‥釣れないからこうして居られるのですよ・・」    

マングローブ林

石垣島を拠点に八重山諸島をめぐった。2017年の初旅である。マングローブ林には、カヤックでなければ立ち入ることができない。ラムサール条約で保護されている“名蔵アンパル”である。 マングローブは、亜熱帯の海水と淡水がまじりあう汽水帯に育つ植物の総称のこと。種の形や根の張り方など、陸上の植物とは違った特徴がある。実に興味ふかい。 保護指導員を兼ねるベテランガイドは、この林で営まれている壮大なドラマを熱心に語る。八重山諸島には、五種類のマングローブがあり、それぞれに役目と特徴があるという。潮が引くと干潟に数多くの小動物が動き出す。わくわくして観察した。 マングローブ林の中を2人乗りのカヤックで探検した。カヤック初体験の我々に、水面にオールの入れ方から、レクチャーしてくれた。

マングローブ」私が、南の国で見聞したなじみの樹木である。Tampa Florida(フロリダ・タンパ)のメキシコ湾で見たマングローブは、Manatee(ナマティー)を優しくはぐくんでいた。

常緑樹のマングローブは、ひと塊の葉の中に一枚だけ黄色になる葉がある。この一枚が塩分を多く摂取して仲間を助け、やがて落下する。すると下に住むたくさんの生き物がその葉を食べてミネラルを補っている。巻貝や巨大なヒルギシジミが砂の中に黄色の葉を引き込んでいた。だから林の中に落ち葉がない。 張りめぐらされた特異な形の呼吸根や支柱根は、多くの稚魚が安心して暮らせる大切な空間なのだ。マングローブを中心とした食物連鎖が成り立っている。 さっきカヌーで漕いできた流れの川が2時間後には、なだらかな干潟になっていた。上陸した。 ぽつぽつと穴が開き、時には、多数のカニ等の甲殻類が姿を現す。 干潟の近くではシオマネキ・コメツキガニ・トビハゼなどが出現する。しばし,しゃがんで待ち、急に立ち上がると一斉に潮を吹きだす。キバウミニナなどの巻貝、ヒルギシジミなどの二枚貝が出会える。

ヒルギシジミ

気候変動がこの絶妙なメカニズムを変えることのないように・・・。