ハワイ  ヒロ

ハワイアイランド のヒロに宿泊した。近くの日本庭園を散策。

宿泊したホテル

日本庭園

かつて日本から移住した方たちの母国への思いが残されている。この樹なんの樹気になる樹

キリマンジャロ山腹

タンザニアのバオバオの樹

 2月15日午後2時、初めて体験する標高4800m、キリマンジャロ山頂まであと1000m地点で、私は山腹の岩にしがみついていた。高山病だろう。呼吸が浅い。わが心臓と脚は、もう一歩も登ることを拒否している。さっきまで見えていた仲間たちは、岩稜の裏に隠れてしまい、誰も見えない。最終の山小屋、キボハットから200mの高度順応なので、現地ガイドは付いていない。 「いったい私は、こんなところで何をしているんだろう」眼下に、広大なアフリカのサバンナが見える。

 聞えるのは、風の音だけ。その風が、上空の雲の塊を忙しく動かす。雲の切れ間からポッカリ青い空が・・・。空ってこんなに青かったかしら?  

 麓から4日かけてこの地点にたどり着いたが、私のパルスオキシメーターの数値が、メンバーの中で一番低い。 山小屋に降りたらリーダーに告げよう「明日のアタックは中止する」と・・。キボハットに一輪車のタンカーが置いてある。低酸素で動けなくなった人を、麓のモシの街の病院に搬送するものだ。

 私は壊れて一輪車に乗るわけにはゆかない。生きて戻らねばならないから・・。どうやら思考力は確からしい。頭はまだ高山病に冒されていない。低酸素の状態で私の肉体はどういう反応を示すのだろう、醒めて観察する。

 高山病の発症は、人によって頭痛、吐き気、発熱、下痢、倦怠とまちまちらしい。私のは胃袋が働くのを止めた。全く食欲がない、唇が紫色(チアノーゼ)になり、指先が思うように動かない。 3700mのホロンボハットでリーダーが全員に指輪をはずすことを指示した。体を締め付けるものは血流を停め、体がむくむらしい。心臓の鼓動だけが早い。常時、有酸素運動をしているようだ。 赤道直下、南緯3度に位置しながら氷河を頂く、世界一高い火山で知られるキリマンジャロ(5895m)に挑もうなんて無謀なことを考えたのは数ヶ月前のこと。
キリマンジャロの雪  登頂が叶わなかったピークの雪をヅームした。

トリトマ

それはいくつかの偶然が重なり、あれよあれよという間に具体化していった。東アフリカを、わが足で取材したいという思いと、今しか出来ないという加齢との競争が大きな理由だ。登れるところが私の取材限界と割り切った。頂上に立てるとは思わなかったが、指示とおりに頂上用の装備を準備した。使うことのなかった分厚い防寒具は、今も大切に持っている

植民地時代(USA)Williamsburg (ウイリアムズバーグ)

 2011年の秋、ワシントンDCから南へ250k余、高速道で約3時間、18世紀のアメリカを保存したテーマパーク・博物館を訪ねた。1.6k四方に130以上の歴史建造物が並び、植民地時代をリアル体験できる。

 マウイ島で出会い、交流を続けているリンダ(ピッツバーグ居住・元数学教師)が、ワシントンDCまで私を迎えに来てくれ、一緒に観光した。
 300年のタイムトンネルを潜って、Lindaと一日を過ごした。作業場で働く人もお店の従業員も植民地時代を演じる演者であり、職業人である。当時の衣装を着ている。パークの周りを乗り降り自由なシャトルバスが動いていた。馬車が走り、独自の言語もあるらしい。

靴屋さん

銃の陳列

 当時の衣装を着けて、独立戦争時代を迫真の演技で演じていた。伝統的なレストランのDinnerは、生演奏つきで幻想的なひと時を過ごす。

彼女とはFacebookの友人である。リンダの家を訪問したこともあり、お孫さんの成長の写真を見る度、この旅を思い出す。

白壁土蔵群 in 倉吉

  小運河のような玉川沿いに白壁土蔵群(国の重要伝統建造物保存地区)が残されている。各地で見られる武家屋敷とはいささか趣が違う。震災や災害を乗り越えた建物群は、江戸、明治期の建物という。当時の面影をかい間見ることができる。玉川に架けられた石橋や、赤瓦に白い漆喰壁が見られる風情のある町並みです。

 若い女性がキャンキャンはしゃぎながら、橋の上で飛び跳ねている。狭い石の橋で「危ない!」

 かつて、白壁の土蔵や建物は、造り酒屋や醤油屋として使用されていたらしい。いま、物産館、喫茶店、ギャラリーなどに様変わりしていた。レトロな魅力を醸し出している。ここにも、また、穏やかな時間がゆっくり流れていた。