キリマンジャロ登頂・体験記 幻のウルフピーク

http://kimiko-world.jp/ジャイアント・セルシオ

アムステルダム駅舎

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キリマンジャロ登頂・体験記      2006.02

幻のウフルピーク    キリマンの雪 06.年2月15日、午後2時。私は初めて体験する標高4800m、キリマンジャロ山頂まであと1000mを残す地点の山腹にしがみついていた。深い呼吸を繰り返すも、わが心臓と足はもう登ることを拒否している。

 さっきまで見えていた仲間たちは岩稜の裏に隠れてしまい、視界から人ひとり見えない。キボハット(最終基地4703m)から200mの高度順応時のこと。今は、現地ガイドも付いてきていない。「いったい私はこんなところで、何をしているんだろう」と考えていた。

 聞えるのは荒涼と鳴る風の音だけ。「静寂」とはこういうことを云うのだろう。風が上空の雲の塊を忙しく動かしている。雲の切れ間からポッカリ青い空が・・・。空ってこんなに青かったかしら?

 ここは東アフリカ、世界一高い火山、キリマンジャロのピークを見上げる。その目を遥かに歩いて来た下界に移す。「広くて、大きくて、高いなア」ふと、私を拒否しているピークも、大地も独り占めしたような錯覚に見舞われた。

 キボハットに下りたらリーダーに「明日のアタックは止めます」と告げよう。ここのハットに一輪車のタンカーが置いてある。低酸素で動けなくなった人を載せ、麓のモシという街の病院に移送するものだ。私はここで壊れて一輪者に乗るわけにはゆかない。生きて戻らねばならない。どうやら思考力はある、頭はまだ高山病に冒されていないらしい。 

 低酸素の状態で私の肉体はどういう反応を示すのだろう、醒めて観察する。高山病の発症は人によって頭痛、吐き気、発熱、下痢、倦怠・眠気とまちまちらしい。

私のはまず、胃袋が働くのを止めた。全く食欲がない、唇が紫色(チアノーゼ)になり、指先が思うように動かない。心臓の鼓動だけが早い。これでは常時、有酸素運動(エアロビクス)をしているようなものだ。

 赤道直下、南緯3度に位置しながら、頂上に雪が降り氷河を載せる世界一高い火山と、コーヒーブランドで知られるキリマンジャロ(5895m)、に挑もうなんて無謀なことを考えたのは数ヶ月前のことだった。

それはいくつかの偶然が重なり、あれよ、あれよという間に具体化していった。「小林さんの脚ならキリマンジャロに登れるかも知れないよ」と某登山ガイドの一言。

 それは屋久島、宮之浦岳・縄文杉縦走を終えたときだった。「ええっ!」とびっくりしながらも半信半疑。以来、全く考えもしなかったこの山が妙に気になっていた。頂上に万年氷河を載せ、大噴火口があるという。その氷河が「年々小さくなり、あと20年は持たないであろう」とは学者の言。東アフリカの温暖化を、わが足で取材したいという思いと、今しか出来ないという「加齢との競争」が大きな理由だ。富士山と奥穂高岳程度の経験しかない私が、6000m近い低酸素地帯に耐えられるとは思えない・・・登れるところが私の取材限界と割り切り、ツワー催行会社に事情を話した。

 ともかく、東京医科大学エベレスト高山医学研究所に、循環系、換気系、抹消血、電解質、尿、胸部X線等20数項目の医師による診断書を提出することになった。

結果は「特に異常は認めません」との連絡があった。「ラッキー」と小躍りした。来年ではもう自信がない、決行を決めた瞬間だ。同時進行でビザの取得を進め、ツアー催行会社から増員が許可され実現の運びになった。広島で3回の低酸素訓練を受けた。簡単に頂上に立てるとは思わなかったが、指示とおりの登頂用の装備は準備していた。

タンザニア入国

2月9日、日本を発ち、オランダのアムステルダムで一泊、タンザニアのキリマンジャロ国際空港に着いたのは翌日の夜になっていた。2日かがり21時間のフライトである。

満席のKLM機から降り立ったのは、日本・欧州・アジア・アフリカ・アメリカと多国籍人種である。さすがに登山スタイルが目立つ。ここは国立公園内にある国際空港なのだ。

専用車に分乗しホテルに向かう。夜も遅く遠方の景色は見えないが、道路の脇をマサイ族とわかる人が歩いている。彼らは背が高く顔が長く姿勢がいい、頭上に荷物を載せて運ぶからだろう。

 1時間半、車はスピードをあげて、サバンナの集落をいくつか過ぎた。舗装されてはいるが信号がない、スピードを抑えるために、ところどころに盛り土をしてある。乗り上げるたびにガクン・ガクンと体が上下する。気温30度、湿度が少ないのでさほど暑く感じないが、窓の隙間から入ってくる、かすかな香りはサバンナの匂いだろうか。

オランダで着こんだ上着を脱ぐ。乾季の今は雨が降らないから、乾いた風が砂埃を運ぶ、ネパールのカトマンズと似ている。

同行メンバー

メンバーは北海道から熊本までと各地からの参加者14名(男性9名、女性5名)、年齢は40代-70代だが60代が大半。スイスのマッターホルンに登頂した方、数十年かけて各地の名峰を制覇した方、地域の山の会で活躍する方、毎日、山へ登り訓練を積まれた方々でそれぞれが重厚な山男・山女の兵ばかり。成田から5名とガイド兼ツワーリーダー、関空から9名がオランダのアムステルダムで合流した。ここで同行者の初顔合せである。

私は奈良から参加された女性Oさんと同室になった。豊かな登山経験を持つ薬剤師の彼女とは、直ぐに意気投合した。何かと助けあって最後まで良い旅ができたことに感謝している。

訃報{彼女はキリマンジャロから帰国4日後、友人と冬の平山系の蓬莱山に登り、道に迷い遭難し帰らぬ人となった。ウフルピーク(5895m)登頂を果しながら、1000mの雪山で倒れるとは残念でならない。7月にはモンブラン登頂を計画しておられた。100名山はもとより、日本中の山を熟知されていたベテランでした。合掌}