キリマンジャロ

キリマンジャロ 1日目

いよいよキリマンジャロに取り付く。

 早朝、例の専用車で登山口のマラングゲート(標高1550m)へ集結。インフォメーションセンターはごった返している。現地チーフガイドとツワーリーダーが「登山手続き」を行う。一人一人の名前が登録されて頂上登頂の暁には、下山時に、ここで英語の「登頂証明書」(A4判)が発行されるのである。 売店で水を1.5リッター3米ドルで購入し、絵葉書を見たり、バッチを手に入れたり。
 
 私達に、ここで現地ガイド6名が紹介された。他にポーター30名クッキングボーイ2名の総員50名を超えるキャラバン隊だ。荷物は次の山小屋まで必要なものだけを自分が持ち、他の衣類等はすべてポーターに運んでもらう。ポーターは全員の6日間の食材や水、調理器具、食器類なども運び上げるのだ。

高く、すっくと聳えるユーカリの白い樹林が美しいマラングゲートだ。

 

マンダラ・ハット(2727m)ヘ・・ブナ・クスの樹林帯、大木の枝からたれるゴブリンモス、シダ類が茂るジャングルの中を歩き始める。約4時間の登攀。

 世界遺産に指定されているだけに、ゲートは厳しく管理されている。登山道も広く整備され、ゴミの類はない。ポーターは頭の上に10キロほどの荷物を載せ、うまくバランスをとって難なく山を登ってゆく。山から降りてくる人とのすれ違いも容易に出来る道の広さだ。「ジャンボ!」とスワヒリ語の挨拶言葉が交わされる。

私達のパーティーのトップを歩くのは現地ガイドだが、登るスピードが速い、1時間が過ぎても休憩がない。トレッキングと登山は違うようだ。今日は初日で4時間だが、明日からは標高3000mを超える、酸素が薄くなる中の6時間を歩くことになる。一瞬、大丈夫かと不安になる。やがて樹林帯を抜け急な勾配を登ると、緑色のマンダラ・ハットの屋根が視界に入った。いくつかの三角屋根のバンガロー風のキャビンが数棟建っている。中は4人から6人用で、二段式のベットにマットレスと枕がついている。周りの草むらに張られたテントも増えて、国際色豊かに登山者で賑わってゆく。

夕食までは充分に時間がある。メンバーはそれぞれ、着替えて洗濯したり、草むらに腰を下ろし談笑したり、寝転んだり・・・。そこへ現地チーフガイドピーター(50歳)が、樹林帯の方を指差し手招きした。ついてゆくと高い樹々の間をなにやら動物が動きまわっている。ブラック&ホワイト、コロバス・モンキー(Brack and White Colobus Monkey)という猿で、顔と背中の一部と長い房々した尾は真っ白だ。数匹が高い枝を渡っているが、地上から10mはある。枝の間に見え隠れしてカメラに納めるのは難しい。

夕食は同行キッチン隊が別の小屋(ハット)で調理したものを、ガイド達が共同食堂に運んでくる。食事時間はパーティーごとに調整されている。テーブルクロスを架けてしまえば、スペース確保という具合だ。私達のリーダーはキリマンジャロに31回という超ベテランガイド佐々木慶正氏である。現地に友人や知人が多く、何かと便宜を計ってもらった。スムーズな登攀・下山が叶ったのもその恩恵によるものと思う。

さすが赤道直下、高度2727mまで半袖シャツで登ってきたが、陽が陰ると急に気温が下がる。同行メンバーとも話し合う機会が増えた。お互いの山登り経歴や、この山に挑む決意などを話題にして夕刻の食事時間を待つ。食事は基本的にスープから始まる洋食だが、野菜が多く日本人好みに工夫されている。

キャビンに太陽光発電の裸電灯が一つあるが、発電の基盤が小さくパワーは弱い、点灯しないこともあるらしい。数十m離れたところに男女別の水洗トイレがある。ヘッドランプを手元に用意し、キリマンジャロ山麓、初めてのシェラフに潜り込んだ。

キリマンジャロ 2日目  ホロンボ・ハット(3720m)ヘ

小鳥のさえずりで目が覚めた。ガイドが容易してくれた洗面器一杯の湯を分け合い、洗面を済ませ手早く身支度をする。今日も次の中継地まで登攀するに必要なものとパック・ランチ(サンドウイッチ、ゆで卵、オレンジ、チョコレート、バナナ)、水1㍑を自分の荷物に入れる。今日は、高度を1000m上げ約20kを歩くことになる。うっそうと茂る樹林地帯を暫く登ると草原に出た。草原の向こうに前衛峰のマウェンジ(5151m)が、背後に雪を戴くキリマンジャロ(5895m)が見えてきた。眼下には東アフリカの大地がどこまでも広がる。

もう3000mを超えている、私の足は遅れ勝ち、後ろを歩くガイドのロッキーがpole pole (ゆっくり、ゆっくり)と励ましてくれる。どうやら私がラストウオーカーらしい。

色とりどりの高山植物が顔を出した。アフリカに注ぐ太陽の光はどのような色を創るのだろう。ルート脇の草むらから、よくカメレオンが出てくるらしい。

しかし、今の私は登るのが精一杯で、周りの景色や花々をカメラに写すゆとりはない。

マラングゲートのユーカリ

マラングゲートのユーカリ

休憩地でようやくグループメンバーに追いついた。ザックを下ろして水を飲む。水の補給は高山病予防の必須条件なのだ。のどの渇きとは関係なく呑まねばならない。今晩からは利尿剤も飲むことになる。

少し休んで元気を回復、カメラを手にする。低い丈の草原が広大な起伏の大地を覆っている。緩やかな草原帯に、一際大きく目立つのがジャイアントセネシオというサボテンの仲間(写真)だ。ユニークな姿はこの山を象徴する植物として忘れないだろう。

短い休憩を終えてスタート、ロッキーはまた、pole poleとにっこり笑う。彼は23歳で背が高く相当のイケメンだ。妻帯して子供は2人という。

タンザニアは英国の植民地時代を経ているから、英語教育を受けている。ガイドが出来る彼らは、英語を理解できることが条件のようだ。

7つの沢を越える度にアップダウンを繰り返す。下りはひとりでに足は早くなるが、登りになると酸素が欲しい。昨日、頂上を極めた登山家たちが上から下りてくる。ハロー! ジャンボ! コンニチワ! アニハセヨ!と挨拶も多国籍でパワフルだ。

ようやく今日の中継地、ホロンボハットに到着。仲間とは何分遅れたのかしら。荷物は既に届いてキャビンの部屋も振り分けられていた。

トリトマ

トリトマ

 

このハットはマウェンジ峰とキリマンジャロ主峰との間の広い南斜面の大地にある。最後の水場のあるハットだ。足元から見渡す限り広大な山陵だ、そのためだろう、富士山と同等の高所にいるという感覚がしない。下界からガスが昇り、雲が湧く。一瞬に視界が閉ざされたかと思うと数分後には陽がさし、展望が開ける。何やらいろいろの物語が聞えてきそうだ。

低酸素対策

「血流が悪くなるから、体を締め付けるものは身に着けない、指輪も外す、水をたくさん飲むこと」とリーダーからの指示が飛ぶ。低酸素域では多くの事故が常時発生しているらしい。経験豊かなリーダーの言葉は絶対だ。

パルスオキシメーターという計器がある。人差し指を差し入れて血流の酸素取り込み状態と心拍数を計るものだ。私は80%でグループメンバー中最低の数値だった。このハットで明日も高度順応することになる、リーダーは特に心配しなくても・・・という。とにかく水を飲む。しっかり食事を取る。そしてよく眠る(体を休める)ことだ。ジャイアントセネシオとキリマン

ロッジの食 

キッキン隊が作る食のメニューはバラエティに富んでいる。スープ・パン・チキン・パスタ・ジャガイモ・ニンジン・パプリカなど、スパイスを効かせたものが多いが、味付けにさほど違和感がない。よく出されたのが温野菜とか野菜のスープだ。低酸素で胃腸が調子を乱す人が増えるのは常のことらしい。食慾減退は危険信号のひとつだ。高度を上げるごとに消化の良いもの、食材のバランスを考慮されていた。

朝はパン・スープ・ソーセージ・生野菜・お粥・梅干・味噌汁・コーヒー・ミロ・などなど・・・。日本から別送で送られた嗜好品、日本茶・各種ふりかけ・味噌汁・お茶漬けの素・海苔・昆布茶・マヨネーズ・バルメサンチーズなどは、弱った胃にも納まりが良かった。夕食のデザートには甘いモンキーバナナ・スイカが良く出た。

食事が済んだらもう寝るしかない。蓑虫のような気分で2日目のシュラフに潜り込む。携帯懐炉をいくつか入れた。情報から閉ざされて5日目、毎日が初体験の連続、この非日常が新鮮なのかも・・。夜が更けるが眠りが浅い、ヘッドランプをつけて30m先のトイレに向かう。ゆっくり、ゆっくり、足元の岩につまずかないように・・。深夜2時、外は以外に明るい。頭の真上に上弦の月が・・ピンポン玉のような星が輝いていた。

4200mへ高度順応日

水とカメラと貴重品のみを持って、小高い丘の上にあるゼブラロック(シマウマ模様の岩)まで500m高度を上げて順応する日だ。ここも皆より遅れながら登った。今日も後ろはロッキーだ。私が度々要求する休憩にもにこやかに「OK」と応じてくれる。「2日後のウフルピークまでは無理かもしれない」と言うと「kimiko ノープロブレム」「負んぶして登る」と身振り手振りで冗句を云う。休憩しているメンバーにようやく追いついた。リーダーは私に「皆に追いつこうと思わなくてもいいからね」と言い残してスタートした。箱根駅伝の繰り上げスタートを思い出す。マイペースで亀の歩み、pole pole.で4250mに立てた。

ここからの展望は圧巻。東に巨大な円錐形のキリマンジャロ主峰、西に荒々しい男性的な岩山のマウェンジ峰。山をバックにシャッターを押してもらう。

どうも私にはキリマンジャロのあの白い氷河が岩に載っかった杵つき餅に見えてならない以前の絵葉書や写真に写っているのは、もっと幅広く下に長い氷河だからだ。「あと20年以内で氷河は消えるだろう」とは学者の意見だ。

キリマン(山)ジャロ(輝く)がその名のごとく輝きを失ったとき、この山にアタックする登山家が減りはしないだろうか?そうなったら、このガイドやポーターと家族の生活は・・・。「温暖化」の一言で片付けるには重いテーマだ

ゼブラロックの上で暫く休む、ここでぼんやり過ごしただけで、体は高度に慣れ、順応メニューを消化したことになるらしい。草原の別ルートを昨夜のホロンボハットへ下山、私の足は下り向きにできているのか、信じられないぐらい早い。午後は夕食まで、思い思いに時間を過ごし高度に慣れる。小屋の傍にトリトマという珍しい赤く長い花が咲いていた。(写真)

夕刻、パルスオキシメーターは87%を示していた。7%の上昇している。リーダーは順調に高度に順応しているという。それでもグループ中では最低だ。明日のことだけを考えよう。

キリマンジャロ 3日目

昨日とは別の傾斜のゆるい登山道を歩き始める。1時間余りで、最後の水場(last water point)に到着、ここから上はポーターが運ぶ水が頼りになる。

トイレ休憩場所だが私がたどり着いたときには、メンバーは休憩を終えてスタート準備だ。また、また、繰上げスタートだ。

やがて、ザ・サドルThe saddleとよばれる砂漠状大地の真ん中に一筋の道が現れた。ホロンボハットの風景②キリマンヘの道マンダラハットへ

キリマンジャロが噴火したときの火山灰大地の道だ。周りは砂地に大小の石が転がり込んだ風に見える。短い草が処どころに生えている。

数キロはあるだろう、遥かにキボ峰が鎮座まします。その峰に向かって一直線に延びている。そういえばこんな景色をどこかで見たような気がする。一瞬に車で通過する映像だったが・・。いま、目の前に現れた道は、私がこれから歩いてゆく低酸素の道なのだ。

この道も私は最後尾を歩くことになる。難なく歩けるはずの平坦に見える緩やかな登り道だが、空気が欲しい。既に4000mを超えている。今日のラストガイドはクンダサイという40歳の小柄で穏やかな男性だ。麓のモシの街に住んでいて子供が5人だという。

How many wife? と聞くとOnly one . と笑う。この国では一夫多妻が認められているがお金持ちの特権である。

こんな冗談を言いながら、私の前になり後ろになり歩調をあわせてくれる。冷たく強い風に吹き飛ばされそうになる。岩の陰で防寒雨具を身に付けたが、ファスナーや紐がうまく処理できない。冷たく痺れた指先が思うように動かないのだ。クンダサイが手伝ってくれた。高山病の発祥か?ナサケない!

6時間の予定コースだが、歩けども、歩けども果てしなく続く一本道。後ろからポーター達が頭に大きな荷を載せて、pole poleと声をかけサッサと追い抜いてゆく。何人かの登山者にも追い抜かれた。グループメンバーはとっくに見えなくなった。

クンダサイが「ランチにしよう」と風除けになる岩場で足を止めた。私の胃袋は働くのを止めたらしい。全く食慾がない。オレンジジュースだけ胃に流し、パック・ランチはクンダサイに差し上げた。少しでも身軽になりたい。

How many time to gibo-hut by my food ?  と訊くとTwenty minute.と答える。遠くハットの屋根が見えているが、とても20分では無理とわかっている。美しい「うそ」と知ってもやはり嬉しい。私は「クンダサイ start  go!」と、大きく息を吸い、カラ元気を搾り出して歩きだした。4時間以上歩いた。高度はもう4500mを超えているはず。初めて体験する世界だ。もう既に私の体にいくつか症状が出ているが、これからどんな反応を示すのだろう。