世界の山旅 NO7 インカ帝国の都クスコ

クスコは11~12世紀頃に、海抜3400mの高地に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の首都として栄えた。「クスコ」とはケチャ語で「へそ」という意味である。インカ帝国は現在のコロンビアからチリにかけて南北5300kmもの範囲に亘って栄えていたといわれる。クスコはそのほぼ中心「へそ」に当たり、多くの人々が地方から集まってきたという。大帝国を築いた人々には、まさに世界の中心地、宇宙観の中心との思いがあったかも知れない。 しかし、16世紀になるとスペイン人の征服がクスコにも及び、インカ帝国はたちまちにして崩壊する。征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し、金銀を手当たりしだい略奪した。征服後、インカが築いた精巧な礎石の上に、スペイン風の教会を建設していった。インカ時代の美しい石組みと、スペインのコロニアル風の建築物が融合した現在のクスコには、一種、独特な雰囲気が漂う。 インカ帝国の石材建築技術を語るとき、クスコの12角の石」ははずせない。カミソリの刃一枚も通さない」という評判でよく知られている。それはアトゥン・ルミヨク通りの石の壁の一部としてはめ込まれている、比較的大き目の一枚だ。12の角に切られそれぞれの角が、四角の石とぴったりと寸分の隙もなく積み上げられているのだ。楔(くさび)も接着剤も使わず、何世紀もの間、びくとも動かずに残っている。なぜこんな複雑なことに力を注いだのか?・・・これぞインカびとの美意識とロマンの証なのではないだろうか。そして後世に残した偉大なメッセージのような気がしてならない。さて、何を受け取ればいいのか。実に痛快だ。
12角の石

12角の石

  サクサイワマン遺跡 クスコから車で30分ほどの所にサクサイワマン遺跡がある。サクサイワマン もとはインカ帝国が、支配下にあるアマゾン部族の反乱を想定して、砦として築いたという説がある。実際には逆にクスコを占領したスペイン軍と戦う、戦場となって行くのだが・・。 遺跡の頂上に立つとクスコ市街が一望でき、ここがクスコを管理する重要な拠点であったと分かる。巨大な石を三層に積み上げて造られた遺跡や、ジグザグに造られた城砦、 広場の西側に連なる巨大な石壁がある。高さ9m、推定360トンと云われるこの巨石はどこから、どんな手段でここに据えられたのだろう。ここでもインカ人の高い技術に舌を巻く。 と同時に、このために費やされた膨大な時間と労働力と犠牲者はいかほどなのか? そして、これを成しえた支配者のエネルギーは如何に?と想像を逞しくする。 この遺跡の下には、クスコ市街につながる地下道が迷路のように掘られているらしいが、誰も通過した人はいないとか・・。 いま、サクサイワマン遺跡は市民の公園になり、クスコ市民の憩いの場になっている。毎年、10万人が集まるという、インティ・ライミ(太陽の祭り)が行われるのもこの広場だ。 今日も、明るく晴れて子供達や観光客がのんびり散策している。草原の草いきれの中に佇んで、ガイドの説明を聞きながら、この地が何世紀にも及び、経験した侵略と覇権を競う紛争と政体交代の歴史に思いを馳せてみた。 広大な遺跡の中をみんなでゆっくり歩いた。高山病の兆候が出て、しばしば休みながら歩く人もいる。3400mの高地に君臨するレンガ色の屋並みと夜景の美しいクスコの都だった。   <モホス文明 第5の文明か?> 人工衛星からの映像が捉えたのが、秘境アマゾンの巨大地上絵と北東を向いて並ぶ2000個もある四角い湖の発見だ。トリニダードから35kの地、プレ・インカ時代以前の「モホス文明」の存在が今、ポリビアと日本の共同調査隊で明かされつつある。3年間の調査許可を得て、2005年8月に第一回の研究チームが現地を探索している。パンチョ・ロマといわれる居住区で、3000年前の地層から人骨・土器が出土している。 四角い湖は、高度な土木技術で掘られていた。水深110cmの人工湖であるらしい。魚の養殖に使われたと推察されている。 この文明を築いた人種が忽然と消えるのが12-13世紀といわれる、というのは、800年前インカ帝国の出現と符号する。マチュピチュの文化の原点がこのあたりに遡るのかもしれない。大いなる謎であり、興味は尽きない。どうやらこのあたりに黄金伝説を説く鍵が・・・。 謎が謎を呼び、壮大なアンデスのロマンはいやが上にも高まる。解明が待たれるような、先に延ばしたいような・・。