世界の山旅 NO5 空中都市 マチュピチュ

6時間余り歩き「太陽の門」に辿り着く。ハッと息をのみ呆然と見つめた。なんと眼下に突然、石の都市が現れたからだ。尖ったワイナピチュ山(2690m)とマチュピチュ山(3000m)の間の稜線上に、その街は静かに鎮座していた。山裾からは全くその存在を確認できない。だから「空中都市」とも呼ばれている。この遺跡の総面積5k平方m、その半分は整然としたアンデネスと呼ばれる段々畑だ。ここでトーモロコシ・ジャガイモ・コカ・トーガラシなどが栽培されていたという。西側の市街区は神殿や宮殿と居住区に、東側は農耕地区に・・。周囲は城壁で固められている。尖った山の周辺は断崖、はるか下に見える渓谷を流れるウルバンバ川アマゾンの上流になる。流域は密林に覆われたジャングルだ。

雑誌やTVで得たイメージからは、このロケーションは全く想像できなかった。

石を積み上げて見事な建造物を造ったのは、難攻不落の「要塞都市」という役割が伺える。12-13世紀頃、スペイン軍が押し寄せて、インカ帝国を征服しようとしていた。インカの人々はスペイン軍から逃れるために、または復讐の作戦を練るために、ここに「秘密都市」を作ったという。やがて、この地も危ないと知った16世紀半ば、秘密を保持するために、女性(太陽の処女)と歩けない老人を墓地に葬り、街を焼き払い更に奥地へ、別のインカ帝国を求めて忽然と去ったという。「失われた都市」とも云われる所以だ。その後、400年以上、人の目に触れることがなかった。

20世紀最大の考古学的業績」といわれるこのマチュピチュ遺跡の発見は、1911年にアメリカの考古学者、ハイラム・ビンカム(1875-1956)の出現を待つことになる。

彼がこの遺跡を見つけたときは、雑木や草に覆われ廃墟となっていた。樹木を切り開き、ようやく、石積みの建造物を目の前にした時には、既に莫大な財宝は持ち去られていた。 墓地からは、女性173体、男性23体のミイラと道具、工具、陶器が発見されている。

この遺跡に住んだ人間は、どこから来てどこへ消えたのか?未だにマチュピチュにまつわる多くの謎は、解明されていない。その後の研究で、クスコで見られるようなプレ・インカ時代(2000年前)に使われていた石と同じ建築様式が証かされている。楔(くさび)も漆喰も使わない完成度の高いインカの石造り建築技術は、ガイドの説明を聞くごとに驚きの連続だ。

太陽の神殿、陵墓、神聖な礼拝広場、市街地への門、水飲み場、見張り小屋、管理人住居、牢獄、聖なる岩、石切り場、天体観測所などが解明されている。また、貴族の住居地区と技術者の住居区、庶民の住居区、農耕地区とに分けられていたらしい。

 

 

遺跡の最高地点にインティワタナという高さ1.8mの日時計が残されている。石を削って造られていて、突き出た角柱は36cm、角柱の角は東西南北をさしていた。私たちのメンバーが持っていたコンパスで確認すると間違いない。太陽の周期も月の周期も熟知していたのだろう。冬至(6月)夏至(12月){日本とは逆}を知り、種まき・収穫時期を計算したらしい。水と大地の恵みと山にあった石を、最大限に利用している。余程の幾何学・数学・天文学・農業技術に長けた頭脳集団の存在が伺える。

 

その4  アンデスのロマンを追って・・

インカの道③ ウンニャワイヤ遺跡②「インカ道」トレッキング                  アトランタ経由、20時間余のフライトでペルーの首都リマのホルヘ・チャペス国際空港へ到着した。日本との時差14時間、深夜にもかかわらずリマ空港は出迎えの人でごった返していた。さすが、南米大陸、太平洋岸の中心地ゲートウエイだ。  <アンデスの秘密の道> インカ道とは、クスコとマチュピチュ遺跡を結ぶ秘密の道で、古代インカ人が築いて歩いた道だ。全長43kといわれるが、今回、私たちはこのコースの一部を歩く。 クスコのオリャンタイタンボ駅から、ビスタドーム列車に乗り「104km地点」で下車。ただしここに駅舎はない。高いデッキから人の手を借りて飛び降りるのだ。アマゾンの上流、ウルバンバ川に架かるつり橋を渡り、トレッキングが始まる。 なるほど、アンデスの山々の中腹に、くねくねした石の階段状の山道は、どことなく秘密っぽい。 今回の現地ガイド3名のうち2名は若い女性だ。トップを歩く彼女はルーカスといい、クスコに住んでいる。27歳の彼女は7人兄弟の真ん中で、ケチャ語、スペイン語、英語を話し、日本語を勉強中だとか。日本人のトレッキング客が増えているという。小柄な彼女の足は速い、というより私たちが遅いのだろう。「休憩します」とか「頭上注意」などの日本語を覚えるのに熱心だ。 ルーカスは、ルートに咲く、ウィニャイワイヤ、ソープラリヤ・ディリトマ、ヤマヤマ(写真)など、この地方の珍しい花の名前を教えてくれた。しかし、ケチャ語もスペイン語も微妙に日本語では発音しにくい。前を歩く人から伝言され、後ろに届いたときには別の名前になっていた。 私たちは、クスコとインカの秘密基地(遺跡)をつないだといわれる、ビルカバンバの山道を歩いている。険しい山腹に遺跡と遺跡をつないで43k、延々と伸びた道は生活道でもあっただろう。インカ人の足は長かったのか、ところどころに段差の高い階段があった。 4時間は歩いただろうか。遠くの山の斜面に遺跡らしい物が見えてきた。花の名と同じ、ウィニャイワイヤ遺跡だ。神殿を中心に出来た小都市の跡だ。ここにも石の建築物と石の樋で造られた神聖な水場が、急勾配の段々畑の中に残されている。太陽を崇めた古代人の魂が残っているような遺跡だ。今度の山旅では各地で「石の建築技術」に出会うことになる。・・続く  

その3 交流

マッキンノン ニュジーランド ミルフォードトラック

マッキンノン ニュジーランド ミルフォードトラック

数日間、寝食を共にする中で参加メンバーと連帯感が生まれ、暗黙のうちに役割分担が出来上がることもある。特に順応性に長けている女性は仲間づくりが上手だ。 山歩きは早朝から行動し、早めに山小屋に到着するのが通例。その後の自由時間には、三々五々とよく山の話が弾む。経験の浅い私はベテラン先輩から多くを学んだ。 昨今、市販されている山登グッツも、あつかいやすく、軽く小さく「なるほど」と納得の道具を知ったのもこんな機会からだ。実に芸術的にしかも機能的に、山の荷物を整理・収納する先輩に感動していた。 <山歩きへの道程> 私は東北・山形県の置賜盆地の片田舎に生まれ、朝に夕に奥羽山脈を見ながら育った。晴れた日には蔵王の頂が見える。高校は上杉鷹山公の興した藩学、米澤興譲館に学ぶ。校風は質実剛健を旨とし修学旅行はない。その代わりに吾妻山中腹にある、白布高湯温泉までのマラソン大会と夜のキャンプファイヤーが毎年のイベントだった。この頃の体験が、50年を経て活かされていることに気がつく。 それと45歳から20年間、連続で広島国際平和マラソン10kコースに参加していた。これには裏がある。職場で着用する私服をオーダーで随分作っていたが、洋服に体を合わせる必要に迫られた。つまり、体型を維持するための「欲と二人連れ」がマラソンの理由だった。 足の筋力に多少の自信があったことが、後日に「キリマンジャロに登頂しよう」なんて無謀な挑戦を考える要因の一つかもしれない。 <ワンワールドの視点> 私は20年来、世界遺産を追いかけて、海外数十ケ国を歩いている。山旅ツワーに出向くようになったのは。ここ1年あまりである。いつしか、「楽しかった」「山の姿がきれいだつた。」「花が可愛かった」で終わっていいのだろうか?と考えるようになった。 地政学的リスクという言葉がある。生まれたところがたまたまその地域であったというだけで、生涯が決まってしまう現実。東北の僻地に生まれた私だからだろう。同じ人間に変わりないという思いが強い。ネパールのヒマラヤ山中で、タンザニアのキリマンジャロで、”人間の感情に国境はない”と実体験した。経済だけでは図れない「幸せ」のモノサシを知った、文明は人間の五感の能力を減退させる。ナビゲーターは空間把握能力や方向感覚を減退させることも・・・。ポーターはゴム草履を履き、足の指全部を使って急勾配を難なく歩く。彼らはバランスを崩して怪我をすることはない。靴下や靴の生活では、足の親指も小指も充分には使いこなせないらしい。 単なる観光では得られない、現地人ガイドやポーターとの交流に強い関心がある。貧しい語学を、勇気と好奇心で補って得た交流が、この執筆の原点になっている。なぜ、世界の観光地に日本人が圧倒的に多いのか? 世界一、豊かで平和で安全な国であり続けられるのはなぜなのか? 「地球温暖化」というビックワードで、ひと括りにされて議論される今後は? この周辺をテーマに据えて、5大陸の山を我が足で歩いて立体的に、見て、考えて、感じた「コト」と「モノ」への思いを文字につないでみた。   つづく    

世界の山旅・・・その2 山へ向かう中高年

今、山歩きツワー参加者の多くは中高年女性で占められている。比較的、標高の高い山にも女性参加者は多い。日本の百名山(深田久弥)を極めた中高年女性や極めつつある女性は数知れない。日本には、二百名山、三百名山もあるらしい。

世界の屋根と称されるヒマラヤ山群、8000m級の峰々を観ながら、3000mの山々をトレッキングするツワーの人気は高い。ここも参加者は女性トレッカーが圧倒的に多い。

その昔、「山に登るのは男性」と相場が決まっていた。男の高度な趣味として「山男」は誉めコトバでもあった。背中に孤高と哀愁を漂わせ、浮世の雑事と喧騒から逃れて山に向かう。肉体を鍛え、動かない対象物に挑み、制覇する。これが、男のロマンとしてよく小説の題材に取り上げられてきた。何故か男性の方が絵になるようだ。私も新田次郎の山岳小説の愛読者だ。 

意識変化と自分探し

近年の山女(やまおんな)台頭の背景にあるのは中高年女性の意識変化であろう。

一手に家計を預かり、夫を支え、子育てに奮闘し「あと何年たてば・・家のローンが終わる、あと何年で子供が成人する」と幸せの先送りをしてきた女性たち。「中高年シニア族」の入り口で彼女たちは気がついたのだ。一度だけの私の一生、これでいいの?

まだ、体力(持久力)もある、子育ても終えた、それなりの蓄えもできた、一通りの世俗の体験も卒業した。今しか出来ないこと、今だから出来ることに挑戦して、自分の今を確認したい・・。デフレ経済の最中、「物を持つことではなく、何かをしている状態」がステータスだという風潮も背中を押す。そうです。その「何かしている状態」が欲しかったのだ。「達成する」という満足を自分の肉体を使った山歩きに見つけた。そしは、加齢と共に迫る「負」の部分をきちんと見据える、自分探しであるかも知れない。

そのために優等生の妻業も仕事も両立してこなしてきた。夫との距離のとり方もそれなりに心得ている。ここぞと説得しチャンスをもらうらしい。夫婦同伴も多い。斯く云う私は2年前に夫を見送っている。赤道直下のキリマンジャロ登頂のときは、子供達の説得に時間を要した。

肩にくい込む荷物を背に、一歩・一歩足を前に運ぶ、「頂点を極める」という達成感。それは、来しかたの人生体験とは全く違う感覚なのだ。夫の庇護の下に過ごした半生、組織や仕組みに仕切られた生き方とも違う。

登山はそんなに楽ではない。日本の3000m級のアルプスともなると、頂上近くには空気も薄く、鎖場あり、ロープあり、梯子ありとそれなりの技術を要する。集中して手足の稼動域を目一杯動かす。一瞬の注意力欠落が大事故につながることは珍しくない。そんな時、ベテランリーダーは「手も足も顔も口も頭も使へ」と激を飛ばす。「集中と緊張」だからこその「達成感」なのだ。

高度を上げながら、手つかずの自然と真っ向から向き合う。高値の花々、樹林帯・小動物・小鳥の鳴き声・・。そこにあるのは日常の生活観とは違う「癒し」そのものなのだ。自然との一体感は人間に、ある種のホルモンを醸成するのであろう。

何より、登った者だけが体感できるパノラマ景観、刻々と変化する風、空気、匂いは特権であり、桃源郷と紛うお花畑は、未知への期待をふくらませる。こうなると、百名山の制覇はもとより、「山歩き」は体力確認と自分探しを兼ねた贅沢なステータスに違いない。

素材革新

背景のひとつに素材研究と技術革新がある。日本の得意分野でもあり、スポーツ用品にもナノテク技術が活かされている。特に近年の繊維素材の画期的な研究はめざましい。軽く、強く、速乾性と伸縮に富む、衣類、防寒服、防水ウエア、寝袋(シェラフ)等も従来とは比較にならない。登山靴・ザック・ヘッドランプ・水筒も機能性は抜群で、且つ軽くコンパクトに納まる。バランスと持久力は持ち合わせても、筋力で劣る女性に重い荷物では限界がある。

紙一枚余計なものは持たない」のが鉄則。しかし、天候の急変に備えて晴天のときでも雨具類・水の他にも必須備品がある。そのために「如何に荷物を軽くコンパクトに収納するか」には多くの人が悩みこだわるところだ。昨今、行動食として山で補給するエネルギー源、「山行」用の食料品も工夫されている。メニューも豊富でお湯だけで遜色ない味が楽しめる。私の胃袋が低酸素のキリマンジャロ山腹で働きを停めたとき、半日後、唯一胃袋に納まったのがレトルト食品とお湯で薄めた味噌汁だった。

さらに加えて、山旅を安全に機能的に催行する、旅行会社のシステムが出来上がっていることだ。現実に語学に長け、海外添乗員の業務をこなし、尚かつ、山岳ガイドも出来る訓練を積んだ若い人材が、陸続と養成されている。

ヒマラヤ アンナプルナ

ヒマラヤ ダウラギリ

 

 

世界の山旅に魅せられて…..その1

<プロローグ>
マチュピチュ遺跡

マチュピチュ遺跡

中高年の山歩きがブームになって久しい。いまだその熱気が納まるどころか、年々拍車がかかっている。背景に何があるのだろうか?私自身がその只中に身を置き、体験して感じて納得した。それだけでなく、すっかり山旅の虜になってしまった。 ある日、ザックを背負い、マッターホルン・モンブラン・アイガー・ユングフラウの名のある名峰を仰ぎ、足元の花を愛でながら連日歩いた。そこで圧倒的に多い日本人観光客とヨーロッパ山岳交通網の完備をみた。 ある日、スカンジナビア半島、北欧三国国境(スェーデン、フィンランド、ノルウェイ)北緯70度、北極圏(ラップランド)のつかの間の秋「ルスカ」と特異な自然、ノルディク・トレールを歩きながら、社会保障の模範を誇り、クリーン環境政策を掲げる国の現状を見た。 ある日、世界の屋根、ネパール・ヒマラヤの山懐をロッジ5泊で歩いた。とある山麓の集落でのこと、涙で別れることになる女学生との出会いがあった。現地ガイドやポーターやキッチンボーイとの交流で得たものは多い。長期にわたり政情不安で夜間外出禁止令が出される貧困国だ。観光客を奪われた国民の生活を憂いる。 ある日、独自の生態系を守るために、その国の環境庁予算の大半を使っている国、ニュージーランドの人とDOCの活動に観光立国の原点を見た。ここでは「世界一美しいハイキング道」と云われている、ミルフォートトラック54kmを4日間で歩いた。ナショナルチームで歩くこのコースは草の根の国際親善の場でもある。 ある日、赤道直下の東アフリカ・タンザニアのキリマンジャロ(5895m)登頂を試みた。実際には私の頂上制覇はならず、高度5000m弱で退却、幻のウルフピークだった。 低酸素でわが肉体に生じた変化を醒めて観察すると同時に、人間(動物)は負荷を懸けることで順応してゆける存在であることも体験した。ここでも現地ガイドやポーターとの生の交流があった。彼らのひたむきさに惹かれる。人が生きるとは・・?幸せの尺度とは?と宿題を持ち帰った。 ある日、南米大陸に根づいていた古代インカの遺跡を回りながら、インカ人の歩いた道を辿ってマチュピチュ遺跡にたどり着いた。12-13世紀に誕生した、古代人の知恵と体力と社会力に感動した。傍に聳えるマチュピチュ山(3000m)の峻厳な勾配を1時間半で登攀、「失われた秘密都市」「要塞都市」とも云われる「空中都市」を実感した。アンデスの古代文明を抱え守る、この国も世界経済の影響を受けて変化を余儀なくされつつある。  

背中の表情

新入社員研修で「おじぎ」を教えていたことがある。 ビジネスマンが心得て欲しい必須マナーに、最敬礼がある。謝罪の時や特別なお客様をお見送りするときの心を込めたおじぎは、四五度にシャキッと決めたい。腰から「く」の字に折った背中がまっすぐに頭部まで、これが理想なのだが、新入社員の背中がまっすぐ伸びないのである。ひと頃良くみられた地ベタリヤン(路上やホームにたむろして座り込む若者)のせいで、背骨が湾曲してしまったのだろうか。そういえば、不祥事を起こした政治家や会社経営陣が居並んでのお詫びのそれも美しくは見えなかった。 年齢より若くみえる中年女性は多いが、肌の状態や、体重(スタイル)の方にだけ関心が寄せられる。若いイメージは、その姿勢に追うところがより多いと思うのだが。歩き方から、立ち居振舞いを左右するのは背骨を支える背筋で、肩甲骨から広背筋を意識すると自然とお腹の筋肉もしっかりしてくることは、私が実験済みである。よく「背に腹は代えられない」というが両方同時に意識することは可能なのである。 昨年、スイスのローザンヌを旅し、レマン湖畔を歩いた時のことである。瀟洒なロッジの椅子で、ひとりパイプをくゆらし湖面を見ている中年男性に目が留まった。彼の背中がかもし出す自信と哀愁、大きな仕事をやり遂げたあとなのだろうか、一幅の「」になる。 とかく、「男は背中でモノをいう」とか「男は黙って勝負する」など男の後ろ姿は、かっこよく表現されることが多い。反してモノを云う「女の背中」は余り聞かない。女を三つ集めて「かしましい」と読むように、女性は口で充分にモノが言えているらしい。 確かに、湖畔に佇む女の背中に「天下国家」を憂い「仕事」を思う物語は見えにくい。さしずめ過去を引きずる生き様であり、人とかかわる悩みや恨みが先に見えてしまうのは、いにしえから受け継がれたDNAなのだろうか。 ところが、国際ニュースに見る欧米女性のそれは少し違って見える。例えば、第一線で活躍する米国のヒラリー元国務長官、ドイツのメルケル首相の背中である。男性SPを従えて闊歩する後ろ姿には、「華」がある。もてる美貌を超えて、背中が毅然とした「意志」を伝えているからだ。 わが国にも女性大臣が活躍しており、女性企業家も増加してきている。やがて、言葉少なく冷静に背中でモノを語り、人を指導できる日本女性が増えることを期待したい。 先日、かつて勤務した企業から展示会の招待状が届いた。おじぎが「う」の字になっていたあの日の新入社員は、現在、立派な中間管理職に育っていた。美しい「く」の字の礼が出来ていた。    

背中で健康を語る

背中は年齢を語るらしい。姿勢が整っていると若々しく見えるばかりか、健康のバロメーターでもある。 美しい背中は、背骨を挟んだ肩甲骨が上下左右に動くことが条件だという。私の肩は、前後左右に歪んでいる。鏡の前で両手をあげてみた。わずかに左手の指先が短い。 体の前でする作業が多い。家事万端しかり、パソコン操作も、自然に肩が前に捲く形になっている。昂じると加齢とともに猫背になる。 ヨガ教室のインストラクターはいう。「背中が丸くなるとその姿勢につり合いを取るために、骨盤が後ろに退け膝が前に出る。歩く歩幅が小さくなり、摺り足のような歩き方になる」と、年寄り歩きの見本を示しながら言う。みな大笑いしているが他人事ではない。 肩甲骨を思いきり後ろに廻してみた。「コリッコリッ」いやな音がする。私は右利き高いところの物を取るのも無意識に右手が動いていた。歪みの原因である。 体の関節は「動かさないと徐々に動かなくなる」と指導者は言う。永年、ボタン一つで事足りる日常の便利さを、生活の質を高めた気分でいた。体の歪みという落とし穴に気がつかずに・・。 もはや手遅れ?いかにもそれは情けない。あと少し、使い勝手のよい体でいたい。 そうだ、今日が一番若い日、左側の脇腹をのばして骨盤を下げてみた。前に出ている肩を回して後ろ下までおろす。この単純な動作の効果は、直ぐには見えてこない。いつか背中でモノを語れるほどになりたくて、「鎖骨を広げ鳩尾を引っ込めて、胸を張って」と自分に言いきかせて歩いている。