Baltic Sea …その1 オスロー(ノルウェー)

      ノルウェーの森  オスロー空港上空から 6月上旬、ノルウェーのオスロ―からアメリカ客船(Royal CaribbeanのVision Of The Seas)に乗船するために乗ったオランダKLM機は経由地のアムステルダムスキポール空港に着陸した。シュンゲン条約(欧州連合加盟国の内イギリス・アイルランドを除く)に加盟しているノルウェー国にはこのスキポール空港で入国審査を済ませる。長蛇の列ができていた。再度のセキュリティを通過し、約2時間のフライトでオスロー・ガーデモン空港に着いたのが日本時間で午前3時、うつらうつらの眠りで頭が重い。 オスロー空港ではターンテーブルからスーツケースを受け取ってそのまま外に出るだけだった。 日本でのように、健康状況の告知、再入国審査、税関で荷物の申告、荷物の取り間違いをチェックされることもない。自己責任が定着した国なのだ。問題が起きても社会問題にならないのはなぜなのだろう。  私はここから鉄道(Railroad)で約40kmのオスロー市街中心地に予約したホテルまで辿り着かねばならない。Fly to getという 特急列車が速くて便利だという。ホテルの近くに駅があるはずだが・・・。まず、Informationで聞きながらスーツケースを引いてTicket売り場を探した。目的の駅までいくつ停車するのかも聞かねばならない。ホテルの地図を見せてチケットを購入、15分後に目的の列車が来るという。200クローネ、20分程度の距離なのに日本円で約3300円、成田から東京、関空から大阪と比べると4~5倍とずいぶん高額。ちなみにこの国の消費税は24%。翌日、同じホテルに宿泊したUSAの女性がサンドイッチが17$だったとびっくりしていた。この国はEUに加盟しているがユーロ圏ではない。       Fly to get プラットホーム 列車が入ってきた。指定席とか喫煙車両などの区別はない。車両の中央から乗り降りし、中央にスーツケースや大きな荷物が置けるスペースがある。両サイドから見えるようになっていて実に便利だ。 私が日本の新幹線に不満を感じるのはこの各車両にスーツケース置き場がないことだ。最近は前日まで荷物の調節をし、極力軽くしている私は宅配便を利用しないで空港まで自分で運んでいるので・・。車窓からの景色をカメラに・・。 Norway ノルウェー王国=立憲君主制                   ロイヤルパレス              宮殿の庭に香る  ライラックの花 物価が高いことに驚いてはいられない、なぜなのか? この国は人間開発指数HDI世界トップクラス治安もよく、社会福祉の評価の高いところでもある。徴兵制が敷かれており(19歳から44歳までの男子:兵役期間は12 - 15ヵ月。代替役務として社会奉仕活動を選択することが可能という。 ノルウェーは世界第6の原油輸出国であり、原油はノルウェーの輸出の35%(1999年)を占める。石油採掘企業の多くは国が保有することにより、福祉国家ノルウェーの財政に大きく寄与している。さらに将来の石油・天然ガスの枯渇に備えて、原油売上による収益は原則としてノルウェー政府年金基金として積み立てられているとは日本の現状を見るとうらやましい。 しかし、その基金が国際的な金融市場に投資されているというと、昨今のEUクライシスの影響はどうなるのだろう。 国家財政収支は石油以外の歳入だけで均衡するよう、歳出抑制策を実施しているが、なお石油基金からの繰り入れが大きな割合(約35%)を占めているという。やはり、どの国も何らかの問題を抱えている。 ただし、街を歩いていてアメリカやイギリスのようにSaleやRentの看板は見られなかった。                     水資源が多く水力発電量も活発に行われており。欧州各国に輸出している。漁業、林業、鉱業も盛んである。漁業では日本にノルウェーサーモン大西洋サバが輸出されている。漁業文化が日本と似ており捕鯨推進国の一つ。そのほか、牧畜などその他コンクリート技術も非常に発達しており、新しい材料技術が次から次へと誕生している。 「世界最大の特殊船舶の製造会社のアケル・ソリューションズ、世界4大船級協会のひとつであるデット・ノルスケ・ベリタス、舶用通信機のNERA社、ソナーのSIMRAD社、潜水艇のArgus社、海運や北海油田に関連する産業が盛んである。ウェブブラウザのOperaを作っているオペラ社もノルウェーの企業である。 首都 オスロー この市庁舎では毎年12月10日にノーベル平和賞の授賞式が行われる。  平和賞はノーベル賞の中で選考人物にもっとも批判の多い賞であり、物議が絶えない。  平和賞はしばしば、戦争を起こした人が、和平合意するなどして受賞した例があるからだろう。 世界はいまだに残念なことに、この協定後も戦争は続いている。       早朝の市街地 朝は4時ごろにサンライト、5時ごろから街歩きに飛び出した。整然とした街並みの建物をカメラに収めた。薄いベージュ、若草色。淡いグレーに統一されている。 面白い形の自転車置き場や落書きも見つけた。 この国の環境に対する意識は高い。数時間後にはホテルの前が歩行者道路に変身していて、オーガニック食品や環境をテーマしたマーケットのテントが数多く並んでいた。聞くと特別のイベントが開催されるのだという。              温暖化キャンペーンの看板 8日後に再びオスローを観光する。 午後、日本でNetでチェックインを済ませていたので、スムースに乗船できた。 最上階からオスロー港を写す。今から始まる9日間の自由な時間をどうアレンジしようか。

Baltic Sea  その2  コペンハーゲン(デンマーク)

Baltic Sea。 ヨーロッパの北部にあるBaltic Sea、日本語で「バルト海」 ここは世界最大の汽水域26%(塩分濃度の低い)として知られている。バルト海に隣接する国はスェーデン・フィンランド・ロシア連邦・エストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド・ドイツ・デンマークの9カ国。地図で見ても境界線がよく分からない。 かつて、この海域を航海する利権を争い幾度も世界史の舞台に登場するところでもある。 帝政ロシア時代に起きた日露戦争で知られるバルチック艦隊は、この海から日本に出撃したのである。ただし、日本とは随分離れている。資料では機動的に動ける小型船艦はスエズ運河を通過したが、大型艦船はアフリカの喜望峰を回ったとか、兵士は疲弊し船は傷み、日本海戦で大敗する因になったことは頷ける。 その歴史の舞台の海底には多くの戦艦が沈んでいるというが、今、海面は穏やかで揺れは全く感じない、6日目だったか雨と嵐の日があったが大波にはならない。 デンマーク王国・・・立憲君主制(人口520万人) 首都コペンハーゲンは日本語、(Kopenhagen)ドイツ語で ケペンハウン北ヨーロッパのパリと云われる世界都市2008年世界都市第2位に選ばれている。 大陸部分を領有していながら、首都のコペンハーゲンはシェラン島と云う島にある珍しい国だ。 農業国として知られ、教育水準が高く、社会福祉が充実しており、国民の所得格差が最も小さい「幸福度」世界一の国。どこか「おとぎの国」を連想する。     スエーデンからデンマークを救ったロシアのチャーチルの銅像 私は美しい街を歩いて巡るツァーを選んだ。北大西洋海流の影響で比較的緯度の割に温かい。 人口50万人北欧最大の商工業都市、1043年開港、商人の港として栄える。 王国のパレス(宮殿)とCastle)キャッスルとチャーチがおとぎの国の街並みに調和している。 丁度、衛兵交代を見ようと観光客は行列していた。                オペラハウス かつて、この海の通行利権をめぐり、争いが絶えなかった時代の要塞都市の名残か、砲弾のモニュメントが各所にみられた。英国の砲弾で破壊され、World war 1(第1次世界大戦)で中立に、World war 2でドイツ軍に占領された歴史を持つ。 今、かつての城塁は道路になっており、要塞はチボリ公園(8ヘクタール)として市民の憩いの場に・・。日本の倉敷にここを模した公園がある。 湾岸通りが美しい。 港は埠頭42km。 広く機能的で美しい海運国コペンハーゲン港は、デンマーク船の3分の2の母港になっている。この日もCruise船が数隻停泊していた。海運会社APモラー・マークスの本社がある。 マーメード(人魚姫)は有名なアンデルセンの作、Harbor(港9に置かれた人魚の像の後ろ姿をカメラに・・。 ここでは3時間のウォーキングツアーを予約していた。20人程度のメンバーに現地英語ガイドがつく。彼は背が高く愉快で声も大きく人ごみで見つけるのに都合がよかった。 港の近く歩いてゆける範囲に整然とした街並みと格式ある建物がある。             Plant(植物)の壁 ガイドはいう。デリの店の値段表をさしてこの国に物価の高さを教えてくれる。中程度(12cm程度)のソーセージが2本で3ドル、消費税が22%という。確かに物の値段は高いが、老後の負担や教育費用など考えると一概には言えないのかも・・。 ガイドはブレークタイムにUSAの男性メンバーと、社会保険について話をしていた。よく聞き取れなかったが、どうも行政に対する不公平の問題が話題になっているらしい。データは幸福度の高い国を示していても、不満の種は尽きないものらしい。       川の中に人間のモニュメントが沈めてあった。          この国の電力の中で風力発電が20%を占めている

Baltic Sea  その3 タリン(エストニア)

エストニア国  国旗        タリンのドックに入港  エストニアの遠景 バルト海に面し、東はロシア連邦に接する人口140万人ラトビア・リトアニアと並んでバルト三国と云われ、50年間ソ連の支配下にあった国。 エストニア共和国は、13~18世紀までスエーデンやロシアの攻撃で、何度も国土を分断された。1988年ソビエト連邦から独立を勝ち取った100万人の「人間の鎖」で知られている。当時の人口120万で、国民のほとんどが独立運動に参加し、一致団結して勝ち取った独立だといえる。歌の革命の指導者、グスタフ・エルネザッツの銅像がある。 2004年には北大西洋条約機構と欧州連合にそれぞれ加盟している。 首都タリン(Tallinn) 人口40万人、600年間も変わらずに保存されている石畳みの道古都の街並みは歩いて観光するのが最も適している。若い男性がガイドがついて、40人のメンバーにイヤホンが渡された。Walking Tour(ウオーキング)は写真を撮るのに都合がいい。イヤホンに雑音が入って良く聞こえない。ガイドの近くで肉声を聞くことにした。 丘の上から見る赤レンガの街並みに魅了され、暫し、旅情を誘われイヤホンガイドの説明を遠くに聞いていた。今日は7隻ものCruise船が寄港していて、約2万人のOne Day Tourist で溢れている。せまい路地をぞろぞろと歩いた。 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂 市街地の中心に正教会、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂が威厳を醸し出している。 内部に入って見学できたが写真撮影は禁止。エストニアの民族的英雄が葬られているという。教会の尖塔やドームがひときわ古都のロケーションを美しく見せている。 若い人は英語が話せるが、現地人にエストニア語、全く通じない。地図をもらったが建物の名前が現地の言葉で書いてあるのでよくわからない。Old town は歩いて回れるエリアだが迷路のようになっている、ガイドの後ろをついて歩いた。 手創りの土産物屋毛織物の店が並んでいる。土産ものを売っている女性の表情が明るい。執拗に買うことを勧めたりしない。 この穏やかな街にも往時の戦いの遺跡が残されていた。 北緯59度、気温12度、風が強く肌寒い。 この景色どこかで出会ったような石畳、迷路のような路地、スペインのトレド?

Baltic Sea その4 St. Peteruburugu(サンクト・ペテルブルグ) ロシア

Russia St. Peteruburugu(サンクト・ペテルブルグ) 英語ではセント・ピータースバーグと発音する。 かつてのロシア帝国首都レニングラード)・・社会主義革命家→マルクス・レーニン主義にちなむ) Russia(ロシア)入国 目が覚めると船はサンクロペテルブルグのドックに着いていた。 広いデルタの港にビルが見える。私はロシア初訪問になる。かつてのロシアの首都の気温17度、意外にあたたかい。船内アナウンスでしきりにパスポートと簡易VISA,、観光チケット、Sea Pass IDカードを忘れないように注意している。 入国審査は5か所のブースで空港並み、パスポートに赤いスタンプで入国が刻印された。 大形の専用バスで中央のWalkingスポットへ移動した。 バスを降りると物売りが押し寄せてきて吃驚。周辺の美しい建物に相応しくない。中年の女性ガイドは貴重品に十分注意するように促す。パスポートを失くすと3か月は日本に戻れないという。ユーロ圏のように経済のクライシスにはなってないはずだがと意外だった。どこにもある光と影。                  バスの車内から ロシアの首都モスクワとの距離は400マイルだが、違う文化や風土が根付いたロシア最大の文化都市、美しい都市として1990年世界遺産に登録されている。ドストエフスキー(青銅の騎士・罪と罰の作者)、音楽ではレニングラード・フィルが有名である。 Perestroika(ペレストロイカ)革命後にレニングラードからサンクトペテルブルグに改名。現ロシア連邦大統領メドベーシエフ、連邦首相ウラジミール・プーチンはここの出身者。 縦横に運河が巡っていて別名「北のベネチュア」と呼ばれている。 パリのように建物の高さを揃えたバロック&クラシック様式の建築、重厚な美しさに目を奪われる。薄いイエローや。モスグリーン、ブラウン、薄いピンクの色と白の調和がいい。お互いに競わない色調で統一されている。つまり、赤やオレンジの強い色がない。 馬に乗ったニコライ一世の騎馬銅像イサク大聖堂の前に高く掲げられている。 ピョートル大帝の騎馬銅像 彼はこのサンクト・ぺテルブルグの地を「ヨーロッパに開かれた窓」としてロシアの首都を築いた大帝として知られる。バルト海フィンランド湾の東端にあるNeba(ネバ)川のデルタに位置するこの都市は白海(ドニエブル川・ヴォルガ川からバルト海への船の出口になっている。            ピョートル大帝の騎馬銅像            アレクサントリニスキー劇場 Hermitage Museum(エルミタージュ美術館) =ロシア帝国時代の冬の宮殿 写真で見知っていたが現物の前に立って圧倒された。やはり目を奪われたのはその色調だった。白とグリーンの壁と柱にゴールドのアクセント。ガイドを追い越しグループから逸脱して何枚もレンズに収めた。 収蔵品は300万に及ぶという。中に入って鑑賞する時間はない。日本語のガイドブックを購入した。世界最大級の美術館である。フランスのルーブル、英国の大英博物館、アメリカのメトロポリタン美術館に並ぶと評されている。いずれも訪ねているが、外観で最も美しいのはここだと私は思う。                冬の宮殿とライラック 全面積の20%が緑地帯になっていて、街路樹が建築物に調和し街並みを美しくしている。何よりも商業ベースの看板の類は皆無である。観光地の表玄関だからでもあろう。クールに管理統率された歴史の街だ。 公園にソクラテスの銅像が・・           要塞の地に残されている兵器            民芸品の店          クリッパーにはためくロシア国旗          道路を清掃する人                  結婚式を終えてリムシンに乗る前 この国は多くの転換期を経て、今、資源国として、地下に眠る豊かな鉱物資源を活用し経済発展を進めており、国際社会で存在感を高めている。 もっとも、今回、まわったのは観光名所の表側の一部のみ・・・いつか陸路で中央部に入って見たいのだが、英語圏以外への一人旅はいささか不安だ。 ここでは町での自由行動は出来なかった。何しろパスポートを持参している。事故を想定して船側の配慮だろう。         港の出国審査場 その夜、船の劇場でロシヤの民族音楽とダンスショウが開催された。 日本でもなじみの「ヴオルガの舟歌」や「カチューシャの歌」など男性歌手のバリトンに乗せて楽しませてもらった。  コペンハーゲンで1時間、エストニアで1時間時間を進めている。サンライトは4:00、サンセットが午後11:30、白夜の国が近い。インサイドRoomを使っているので上の階に出なければアウトサイドの明るさや気温がわからない。 明日から2日間の海上航路でオスローに戻る。            ロシアの深夜のサンセット

Baltic Sea その5 Again to Oslo

再びのオスロー 早朝に船は雨のオスロー港に到着した。下船して市内ツァーへ・・そのままAir PortにTransferを予約している。私の帰国は明朝、もう一日ノルウェー滞在になり、空港近くのホテルをリザーブしている。 一般市民の言語はほとんどがノルウェー語、初日、回れなかった市内をバスの中から観光した。       かつて港に発着する船の税関事務所の建物       アメリカ領事館       シティホール 要塞(Fortress)の遺跡など・・どの国でも見て来た紛争の時代のMemoryとして残されていた。 ノルウェーのフィヨルド観光船が出るのもこの港から・・。 港のすぐ近くにオペラハウスがあった。近代的なデザインはGlacier (氷河)をイメージしたという。雨の中、大急ぎの写真ストップ。 1952年冬季オリンピックが開催されたHolmenkollen(ホルメンコーレン)ジャンプ場に立寄った。レリハンメル大会の随分前である。今もシーズンを前に整備されていた。ちなみにこの大会で日本は27位だった。             HITATIの重機が働いてた 北欧の国々Well Being(ウエル・ビーイング)=資源エネルギーを減らした生活、つまり、持続可能な社会を追求する取り組みのことだ。 日本の現状と比べると格段に進んでいると思う。それは国民の意識に浸透しているということだ。 物を大切にする、シンプルな生活など・・・それも経済の裏づけがあってのこととは思うが・・物を所有する、あくなき欲望の追求が必ずしも「幸福」でないことを知っているからだろうか。 空港郊外 明朝のチェックインを済ませ、空港シャトルバスでホテルに落ち着いた。窓から見えるロケーションに農園やフィールドが広がっている。早速、時折の小雨の中、Walkingに出た。ノルウェーの森の豊かな緑がうれしい。 広い麦畑清潔なゴミ箱収納庫瀟洒な農家や珍しい樹木をレンズに収める。 ウオークマンから音楽を聞き、深呼吸しながら、知らない村の路を当てもなく歩いていた。 いつか、幼い日、母の手につかまって歩いた田園風景を回想していた。 明日は日本へ。             Pine (松)             白樺