マハトマ・ガンジー


  ラージ・ガード(Raj Ghat)を訪ねた。非暴力で英国からの独立を勝ち取った「建国の父マハトマ・ガンジーは、1943年、デリーで暗殺された。この地で荼毘に付され、遺灰はヤムナー川に流されたという。黒い大理石の慰霊碑には今も世界各地から多くの参拝者が絶えない。

 非暴力とは糸車である
「搾取に暴力の本質があります。ですから、非暴力を信奉する前に農村的心情を持つべきであり、農村的心情を持つには、糸車を信じなければなりません。
建設的仕事よりも、一般民衆の不服従運動を優先させたのは私の間違いでした。人を幸福にする鍵は労働にあります。我々は農民を奴隷扱いにしてきましたが、富の本当の生産者として、彼らこそまことの主人であります。今日、インドの真の兵士は、裸の貧民に衣服を与えるために糸を紡ぎ、恐るべき食料危機に備えて食物を増産すべく土を耕す人達であります。私は非暴力を通して人々を変えることによって経済的平等を達成したいと思っております。」(ガンジーの言葉より)
「暴力は対抗的な暴力によって一掃されない
それ(暴力)は、一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。
けれども私は、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。」
 「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです。」
ガンジー語録
I am prepared to die, but there is no cause for which I am prepared to kill.
・・私は自分が死ぬ覚悟ならある。しかし、私に人を殺す覚悟をさせる大義はどこにもない。First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, then you win.
*はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうしてわれわれは勝つのだ。I can combine the greatest love with the greatest opposition to wrong.
*私はもっとも大きな愛を、間違ったことへのもっとも大きな反対と結びつけることができる。

私はマハトマ・ガンジーの静かで穏やかな肉音声で魂のメッセージを聞いた。繰り返しイヤホンをあてて目頭が潤むほど衝撃を受けた。

北インド・カシミール州・ラダック(LADAKH)に..

2007.08.29、 インドの北部カシミール地方、ラダック(LADAKH)に、NGOのスタディツアーに参加が決まった。  この地方に残る資源循環型、すべてが自然に還リ、経済的で平和な伝統的生活方式を学ぶツアーだ。10月の日本女性会議前の最後の「地球環境」取材になる。  「日本女性会議」私の担当する分科会への応募者が定員の150%を越え、枠を広げるなど事務局は対応に苦慮しているとか・・。 連日、世界中でこの温暖化の話題が飛び交い、関心が高まっているからに違いない。  昨日の新聞も「世界規模で加速する自然破壊・・・再生能力を超える資源消費量、バランスが崩れた自然環境で多くの固有種が絶滅の危機に瀕している」と出ている。 WWJ(世界保護基金JAPAN)は緊急に政界・経済界・行政を巻き込み勉強会を行っているという。  企業は「CSR報告書」を開示し、「環境経営」に取り組まなければ、市場から退場圧力がかかるのは当然。すべての企業に社会的使命が・・・そしてすべての人間にも生存権の対価を・・の時が来ている。夏の平均気温が40度になるのも遠い先ではないのでは・・・。このところの猛暑で納得された方も多いと思う。 「死んだ地球からはビジネスは生まれない」・・というD・ブラウワーの言葉が重い。 最近、私に依頼が入るテーマは「パタゴニア氷河とタクラマカン砂漠から見た地球の今」の他に、「買い物袋を持って行くとなぜエコなの?」ラダック(シャラ)の観光と環境    そこはヒマラヤ山系の奥深い北インド、カシミール州に隣接するラダック地域,レー市から50km、標高3800mのシャラという村でした。インダス河上流を右に車はひたすら北へ山間を進んだところ、岩の山に囲まれて音を消し静かにたたずんでいた。この厳しい環境に人の住む村があったとは・・。点在する白い煉瓦の家々の周りにはポプラの樹が植林されていた。防風雪だろう。ゆったりと草を食む牛やヤギ・・刈り終えた大麦の束が乾されている田んぼ・・・。ふと、この屋根が藁葺きであったら日本の鎮守の森の農村風景を連想していた。                   インダスの流れをバックに  車を降りると足もとに流れる小川のそばに、シーバック・ソーン・ベリーの実が黄色に熟していた。促され、つまんで食べるとすっぱくてちょっぴり甘い。これが既に健康飲料として製品化されている宝の資源だ。2日間ホームステーする民家までは車は入れない。10分ほど荷物を持って田んぼのあぜ道を歩くことになる。 村の各家の屋敷は背丈ほどの石積みで囲まれ、家畜が乗り越えないように、とげのある枯葉(シーバック・ソーン)が並べてある。15年前までは大麦しか育たなかった畑に、今ではキャベツ・トマト・馬鈴薯・人参などの野菜も採れるようになったという。 その日、食するものをその時に採って調理する。畑は自然の貯蔵庫と兼ねる。  もうここでは時計はいらない。4日間の高度順応でどうにか体調が回復したメンバーは皆、この景観とナチュラルな時間を口々に絶賛する。 インドはパキスタンとカシミールの領土問題を抱えている。今は平和的に解決の方向に向かっていると聞いているが、インドにある核基地はこの北インド地方にあるという。 車窓から迷彩服に身を包んだ兵士や、装甲車が移動しているのが見えた。 そうです。ここはパキスタン・アフガニスタンに地続きで無機質な岩峰が縦横に連なっている世界の屋根だ。。遠くに氷河を載せた山々も・・。日本を出るとき家族に「ビンラディンが隠れているかも知れないから気をつけるように・・」といわれた。全くそう思えそうな景観だ。 近年、この地域にツーリストやホームスティーやトレッキングで入る外国からの訪問者が増えている。軍の基地があるので電気も入っているが、基本的には太陽とともに起きて働いている自給自足の平和な村だ。厳しい冬も来る。人が人に寄り添って生きるしかない。まさに循環型エコのルーツである。 ホストファミリーにチャイを振舞われ「ジュレー!」と挨拶を交わし、私たちのエコ生活が始まった。トイレはコンポーネント。高い所(2階)に長四角の穴が開けられて傍に砂が積まれている。用が済んだらショベルで砂を落しておく自然分解型だ。そのご主人は「1人1回の生理現象が2ルピーと8ルピーの肥料に変わる」と笑う。牛やヤギの糞は乾燥させて燃料にする。牛の乳はバターに、山羊の乳は筵の上で一日でチーズになる。 私たちが「美しい!」とロケーションに酔い、絶賛した後、気になったのは足もとに落ちている、全く不似合いな「ゴミ」だった。菓子袋やペットボトル・ビニール袋・靴などすべて街で消費されているものだ。ほとんどが南インドからやってくるトレッカーが落していったものだという。彼らには涼しくて人の少ないラダック地方は天国なのだ。ラダックフェスティバルが開かれていたレーの街もゴミで汚染されていた。  それらの残骸は市場経済が足もとにひたひたと忍び寄っていることを教える。 名のある観光立国にゴミの類は皆無だ。そこに決して人はゴミを捨てない。ゴミは捨てやすい場所に捨てられる。 スティ先で麦刈や農作業を手伝うことになっていたが、辻教授(明治大学・・ハチドリの一滴)たちも加わって議論が弾み時間が取れなかった。翌朝の山羊の搾乳にトライさせてもらうがこれも上手くゆかない。乾燥チーズつくりをさせてもらった。全くの「オジャマムシ」だ。これならゴミ集めをさせてもらった方が良かったのかも知れない。 ホストファミリーのご主人は「ここは経済的には弱いが社会的にはとても豊かな所だ」という。しかし・・、と続いた言葉は「働いても働いても届かない“モノ”や“コト”への飢餓だ」と熱く語る。その訳は入り始めたTVやVDから否応なしに入ってくるハイテク情報やCM、私たちが持ってくるカメラ・パソコン・モバイル・ランプ電池・などの品々にあるのは明白だ。 文明の利器は自然や人の心までも壊してしまうから「よくないものだ」と先進国の現状を語っても説得力がない。Webという怪物は渡り鳥のようにパスポートも無しに、瞬時にこの世に起きている情報を飛ばす。ゴミが長期の間に分解されずに化学物質を土壌に残し、やがて人体にも害を及ぼすことを理解させるのは簡単ではない。ストップ・ザ温暖化は遠い。こうして高度なエコであった村の生活に変化が起きている。  漆黒の夜空に敷きこぼされた無数の星、頭上にくっきりと流れるミルキーウエイ。首が痛くなるまで眺めていた。観光とはそこに住んでいる人がその土地のものを食し、その土地の衣装に身を包み、明るく活き活きと楽しく暮らしているそのことが、観光資源なのだと思う。加えてこのシャラの村には「ドンレ!ドンレ!」と客を心から歓迎する「もてなしの心」があった。 この国に、日本で開発されている省エネ技術・石油の効率利用・高地寒冷地農業技術・自然還元型製品などの支援体制が急務だと思うが、何故か私はすっきりしない。 「美しい!とか癒される!」でいいのかと・・、数日で元の生活が担保されているからなのでは・・。ここにやがて単調で厳しい冬が来る、経済の仕組みが入り、CMとのギャップは、若者には強烈で、強い家族の絆すらも壊しかねないと杞憂するからだ。  目覚しい発展を遂げつつあるインドはガンジーが非暴力で勝ち取った独立国家である。 私はガンジーの静かで穏やかな肉音声で魂のメッセージを聞いて目頭が潤むほど衝撃を受けた。それ故に膨大な軍事予算の幾分かを社会的インフラ事業に回せないものかと・・。 レー市内(標高3500m)NGO、Julay・LadakhとLEDeG (Ladakh Ecological Development Group )共同主催のワークショップに参加した。  北インド、ラダックは1974年に外国人の入域が解禁されるまで、伝統的な生活・文化を保たれていた。まさに持続可能で平和な暮らしであったに違いない。 以降、国内外からの旅行者を受け入れ、今も増え続けている。ヒマラヤ山脈に囲まれたこのエリアは、南インドの富裕層には涼しくて人口が少ない「リゾート天国」なのだという。  結果、好悪両面の影響が起きている。 ビジネスが生まれ、経済の成長は各種の豊かさをもたらした。反面、それは伝統的な生活とは相容れないものも出てくることになる。 自然環境の悪化(ゴミや化学物質汚染)と人々の幸せ感の変化である。これは嘗て日本が経験したことである。 ワークショップ参加者はレー市内の高校生・大学生の代表と観光業関係者、地域政府関係者、特別ゲスト(辻信一教授)と私たちツアー参加者だった。 終日に及んだこの会議はラダック語・日本語で語られたが、英語中心で通訳される。 私は男子High schoolのグループに入った。先ず、環境について現在、レー市内で起きていることを話してもらった。やはり多かったのは路上にゴミが捨てられること、ゴミ箱が少ないことなどが話題の中心だ。まだ下水道が整備されていない。私たちも昔の日本と今の日本の例を話しをする。「先ず自分たち自身がボランティアでゴミ集めをするのはどうか」などなど・・・議論を進める一方、進んで用紙に内容を書き出す生徒、いつか中心になって論点をまとめる生徒が出てきた。この辺りは目を見張るほどびっくりした。 その後、各チームの代表者が前に出て発表したが、女性徒チームの説得力あるプレゼン能力には感嘆しきりだった。政府や州への提言なども堂々と述べられ、その迫力に日本の学生も参加してもらいたいと思ったのは私だけではないだろう。 そういえば最近就任したインドの首相、プラティバ・パティル氏も女性でした。 この学生達が成人する数年後には、この地域も情報をうまく使って、自然とのバランスを考えた社会の仕組みが出来るのでは・・・と明るい未来が見えた一日でした。 終日、講演と議論で終えた夕刻、お別れに記念写真に納まった。