Memory Of Ireland

アイルランド(Ireland)から戻った2日後,アイスランド(Iceland)でエイヤフィヤトラヨークトル山が噴火した。ヨーロッパの空港が、火山灰で閉鎖した。 いつどこで何があっても不思議ではない.と思ってはいるが、もし、私が一週間も帰国できない状況になっていたら,どうしていただろうかと考えてみた。 多分、日本で仕事が待っているわけでなし,ここは放浪者の特権、開き直ってチャンスととらえ、ダブリンの休日を楽しむだろうか。あるいは船でロンドンへ・・ロンドンから列車でパリへ?などと想像していた。しかし、Panic 状況下では、いずれも簡単ではないことを知っている。 気分は、またイニシュモア島の断崖に座して波の音を聞いていたいところだが、いつ開港するかが定かでない状況では・・多分、心穏やかに大波の奏でるサウンドを楽しめまい。 Discovery Ireland の旅から戻って1カ月を経た。未だに記憶に新しいのはNational team Adventure tour のメンバーから届くFace book の写真やメッセージだ。彼女たちやガイドのDaveが写してくれたものだ。 お互いのレンズに残された瞬間には、あの時の周りのロケーションに加えて、風・音・香り・友の息づかいまで映っている。 USAの友人Courtneyのメッセージ a ha! I've been training too. We need to be ready for the next surfing session. 🙂 I was just looking at your blog. Google offers a rough translation, so I could follow what you were saying. You said some very nice things! Thank you! And I love the photos. 🙂 今日、ガイディング・アイルランドNaokoからChristy Moore のCDが届いた。専用車の中で聞いてすっかり虜になった曲「Ride On」が入っている。ボリュームを上げて再生しながら、泥炭の山と岩の台地を思い出している。 次の旅への準備の傍らBlog のカテゴリーの整理をしている。 どれも懐かしい。この記憶だけで余生を生きるに充分なのに・・・と誰かの声が聞こえそうだ。

Discovery of Ireland

2010.3.30-4.14 約2週間の旅を終えて帰国した。 Dublin→Amsterdam(ダブリン→アムステルダム)スキポール空港機内で日本の新聞(朝日)を貰った。2週間余の空白がある。日本語のニュースをむさぼるように読んだ。 浦島太朗のように劇的な変化を期待していたのだが・・・普天間問題は相も変わらず、何やら新党ラッシュの気配、・・8日間一緒に旅したアメリカのシングルキャリア女性たちは、昼食時に堂々と自分の支持政党を話題に出して話している。 彼女らはTHe Democratic PartyPolitecs はどうなっているのか? と聞かれた。一瞬、返答に戸惑った自分が恥ずかしい。  持っていた、ウォークマンに収納しているThe Innaugural Address of Barack Obama「オバマ大統領の就任演説」を聞かせたら, That's Greate Suprise!と叫んだ。 旅の前半はひとりで北アイルランドとアイルランドを動き回った。レールロードでダブリンから北アイルランドへ、後半はアメリカ女性3名、南アフリカ女性、日本のハネムーンカップルと私にガイドのグループでAdventure Tours ハイキング、サイクリング、乗馬、サーフインで体を動かしながら有名な歴史ポイント、奇観や写真ポイントでストップ、 国際交流を兼ねた密度の濃い旅であった。 今、彼女たちとfacebookで写真の交換やメッセージを交換している。                  島国Ireland(アイルランド)共和国、その島はヨーロッパの西の果て、イングランドに寄り添うように大西洋に浮かんでいた。 この国が多くのTravelerを魅了するのは、その手つかずの雄大な自然産業革命の波に遅れたがゆえに残された特異な文化にあるのだろう。世界中から観光客が訪れる。 観光シーズン直前の4月初旬、ひとりDublin Airport に降り立った。 広さは北海道と同じ程度の小さな地域、今は紛争もないのに、なぜ北と南に分かれた行政区分なのか?疑問を抱えながら空港で€と£をExchange。 入国はパスポートだけでOk, 空港前からAir Coach(バス)にBaggageを載せ25分ほどでダブリンの中心地のホテル前に到着。意外とアクセスが便利だ。午後10時を過ぎている。  旅の初日はダブリン郊外へのOne day tourを申し込んでいた。 Pickupに指定された場所でバスを待つが、風が冷たく寒い。 季節外れの寒波が来ているという。街ゆく人もダウンやコートを着ている。 ほぼ満席の専用車はすぐに市街地を抜け海岸線を走った。初めての景色だがどこか出会ったような・・・ 再び目にすることはないであろうSceneryをゆったり眺めながら英語のガイドに聞き入るが、歴史にまつわる説話になるとお手上げ・・、皆が笑うところで笑えない なだらかな山にまだ雪を載せている。今年は特に春が遅いという。途中の村で昼食、好きなレストランやパブで自由に過ごし、時間までにバスに戻るスタイル。私は朝食を充分に取っていたので空腹を感じない。周りの渓谷を歩き回っていた。 「7つの教会の町とも言われるグレンダーロックは、ウイックロウ・タウン(Wicklow)の北西の山間にひっそりと残されていた。近くに二つの湖があり、格好の散策路になっている。 グレンダー・ロッホ(Glendalough) ここ、聖ケヴィンはグレンダーロッホの教会で120年生きたというのは本当だろうか。620年まで修行したのが始まりで、それ以後、この地の修道院は、何千もの人を集める聖地となって栄えたという。遺跡は今も当時の形を残しており、「ラウンドタワー」と呼ばれる、33メートルの塔がグレンダーロッホのシンボルとなっている。聖ケヴィンの教会は、炊事場であったと云われている。今も聖地に墓蹟がたくさん建っている。  数年前からカトリックの司教のトップスキャンダルが取りざたされる、ここに眠る聖ケヴィンはどう思うのであろうか。 首都ダブリン 夕方8時ごろまでは明るい。観光を終えてホテルのあるオコンネルストリートの街並みを眺めながらホテルまで歩く。中心に120mの「光のモニュメント」塔が目印だ。           オコンネルストリート            アイルランド国旗  トリニティ大学 エリザベス女王の創立者。(英国ケンブリッジにも同名の大学があり、昨年、ニュートンのリンゴの樹をカメラに収めた)  ノーベル賞作家や政治家、劇作家など多くの著名人を輩出している名門校、 エドムンド・バーク(哲学者・政治家)、ジョナサン・スウィフト(「ガリバー旅行記」の作者)、ブラム・ストーカー(ドラキュラの作者)、オスカー・ワイルド(作家)、J・M・シング(作家)、サミュエル・ベケット(作家)など・・ The Hil Of Tara lタラの丘  みぞれ紛いの雪が舞う中、タラの丘を観光したが、ガイドは凍えないうちに戻るようにと・・。 映画『風と共に去りぬ』で主人公、スカーレット・オハラが力強く口にする台詞、「タラへ!」は余りにも有名だ。 アメリカに渡った多くのアイルランド系移民の娘であったスカーレット・オハラだからこそ、作者はこの台詞を言わせたのであろう。古代アイルランドの聖地であるタラの名を・・・。と傘の下で震えながら写真を数枚、急いでバスに戻った。視界がきけば相当に遠くまで見渡せるところだと・・。 資料によると  古代ケルト人は、各地方の豪族達の中から王を立て、その中から部族連合の代表者として人望と徳を備えた者を王の中の王、上王(ハイ・キング)として選び出したという。王にふさわしい者が触れた時だけ雄叫びを上げる運命の石とか、選ばれた者の夢にのみ現れる牡牛など…。その奇蹟の場所がタラの丘であり、タラの丘で選ばれた上王はケルトの神々に愛された特別の者として「タラの王」と呼ばれた。 当時のアイルランドの政治的、精神的な中心地であったと見られている。今も考古学者たちがタラの発掘をおこなっており、最近の研究から遺跡の一部が新石器時代、5,000年ほど前のものであることが分かってきた。捕虜の墓にある通路には毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、これはケルトの祭日と一致する。 19世紀にはダニエル・オコンネルがアイルランド自治を訴える演説会を開いたのがこのタラの丘であり、100万人ものアイルランド人が集まったと記されている。 ダブリン市内のメインストリートの名前がオコンネルストリート、私が何度も歩いた通りだ。 世界遺産The New Grange(ニューグレンジ)遺跡群  granges'=農場の意味 タラの丘からほど近い。アイルランドを観光する人の定番になっていて、広い遺跡を廻るシャトルバスに何度か乗り換えた。入館順番に胸にシールが貼られた。今日も誰も知った人がいない、再集合の場所や時間を聞き間違えたら大変だ。どんな仲間と一緒なのかバスの客を見憶える。 世界遺産にも登録され、ヨーロッパにおける重要な史跡といわれるニューグレンジ。 ニューグレンジは、紀元前3100年から紀元前2900年の間に建設された。約5000年前のものである。放射性炭素年代測定によれば、エジプトのギザの大ピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも約1000年先行しているという。 歴史年表で調べると、日本の縄文時代にあたり、石斧や土偶など発見された頃になる。 新石器時代には、ニューグレンジが何らかの儀式に使われ続けたと見られている。 ニューグレンジの塚は差し渡し76メートル、高さ12メートルで、面積は0.4ヘクタールである。塚の内部には塚の差し渡しの3分の1ほどの長い通路が真っ直ぐ伸びていて、その先端に十字型の部屋がある。通路自体は18メートル以上ある。墓室と思われる部屋の屋根は持送りアーチになっていて、最高点は床から6メートルの高さ、屋根は5000年の間そのまま保持され、防水性も保ったままだった。 ニューグレンジとその秘密は塚が崩れたため、五千年近くにわたって土中に秘匿されていた。そのために侵略者の手に荒らされなかったといわれ、入り口にある巨大な石の平板には渦巻き模様と菱形紋が残されていた。 Alien(宇宙人)のJob? 入り口の上にルーフボックスがある。 1年に1度、冬至の日にだけ太陽光が入り口から曲がりくねった通路を通り抜け、一番奥の墓室にまで射し込むように設計されている。その光の道筋は約18m。このように太陽光を考慮して設計されたものはエジプトのアブシンベルの遺跡、マヤ遺跡にも見られるが、ピラミッドが登場するより前に、紀元前3200年、今から5000年前に、地球に住む人間にこのような高度な計算力、測量技術があったとは・・・。もしやAlien(宇宙人)の仕事ではなかろうか?なんて夢は広がる。 5000年前を疑似体験石室の中に入るのに随分と待たされた。一度に24名しか入れない。観光客に石室についての説明を終えた後、突然照明が消された。1分ぐらいだっただろうか、物音ひとつない暗黒の中に立ち冬至のサンライトを待った。ガイドは静かな声で冬至の日の出の方向から電灯を使って再現して見せてくれる。やがて通路をゆっくりと伝う日の光暫し5000年前を疑似体験し現世に戻った。 往時の人々はどんな気持ちでこの光を待っていたのであろう。人々が見上げただろう天井、紋様を描くために触れただろう石の壁を見つめていた。

North Ireland(北アイルランドへ

 6時起床、簡単に朝食を済ませホテルから歩いて約15分のコノリー駅に急ぐ。駅舎は昨日下見している。指定席(D24)を用意していたので、Dの車両を捜していたが見つからない。Dはダイニングテーブル付き席の事だった。アイルランド国鉄、特急ユーロスターに乗車。 約2時間余りで北アイルランドの首都Belfast(ベルファスト)に着いた。ここはUnited Kingdom..ここの窓口でPortrush(ポートラッシュ)と云う終点駅までのチケットを10£で購入、明日使うRound Ticket を希望したがOne way Ticketしか買えなかった。パスポートは不要。UKのロゴマークの列車がホームに入ってきた。濃い青の車体に黄色の線が入っている。昨年、オックスフォードからロンドンまで乗ったあの車体だ。 春まだ浅い北の大地に羊や牛がのどかに草を食んでいる。緑のフィールドに白い壁に黒い屋根の瀟洒な農家が見える。農業で充分に自立して行ける国なのだろう。フルーツ類などを除き食糧自給率100%の国だ、1時間半で目的地に到着。 アイルランドもイギリスの鉄道も列車の出発前には軽やかな信号音がなるだけである。日本のように「危険ですから黄色い線までお下がりください」と何度も繰り返すことはない。自己責任の国なのだ。 列車内のトイレの操作に戸惑った。ドアを開けるのも閉めるのもすべてがボタン式、。ボタンで閉めたので安心していると、ピーピーと信号が鳴りだして止まない、あわてて周りのサインを捜し、ようやくロックのボタンに気がついた。 まず、ホテルを地図で探し軽装の荷をとく。シングル女性専用のB&Bだ。調度類が愛らしくまるで女学生に戻ったよう。一泊だけなので大きなスーツケースはダブリンのホテルに預けてきている。素敵なママさんだった。 私がこの国への旅を思いついた理由の一つに、北の果て、ジャイアンツ・コーズウェーにあるという6角の石柱群を見たいと思ったからだ。近辺にまだ観光地があるが今回はひとつに縛った。生憎土曜日でGiant's Causewayジャイアンツ・コーズウェー行きのバスは少ない、3時間も待つことになりAtlantic Ocean(大西洋)の海岸や街並みを散策して時間待ち、午後4:00の高速バスに乗っ て約20分。インホメーションセンターがあった。                ポートラッシュの街                ビーチの土手                       ダンルース城  Giant's Causewayジャイアンツ・コーズウェイ(巨人の石道) 最初6千万年前に火山があったロケーションを海岸の上から見て回った。黄色のエニシダの花が一面に咲いている。相当に広い。4万個の石柱がある場所を眼下に見る。直接降りられる階段もあるが、風が強く通行止めになっていた。 また戻り下から歩きだす。やがてその奇岩が目の前に・・・ほんとに6角形の石の柱がそこにもここにも・・・何しろ4万個の玄武岩・・・この石たちは何千万人の足の重みに耐えたのだろう。角がすれ減ったり、真中が窪んだ石も多かった。手で触ってみる。記念写真を1枚、寒くて防寒具を着けている。 何故にこのような形に・・・ 資料によると 「古第三紀に、この一帯は激しい火山活動にさらされ、高い流動性を持つ溶解した玄武岩が、チョーク質の地層に貫入し、広大な溶岩台地を形成した。溶岩は急速に冷却したので収縮作用が起こった。収縮は垂直方向には溶岩流の厚みを減らすだけで割れ目は形成しなかったが、水平方向では、ひび割れを生じた。広範囲にわたった割れ目が、現在見られる奇観を形成したのである。柱の天辺はさながら踏み石のように平らで、柱の付け根は断崖の下から伸びているが、下の方は海の下に沈んでいる。柱はほとんどが六角柱で、中には、四角、五角、七角、八角のものもある。最も高い柱は12mに達し、崖で凝固した溶岩には厚さ28mになるものもある。」とある。専門用語で難しい。 玄武岩の柱は、柱状節理によって生じるものに過ぎず、世界には様々な規模のものがある。より早く冷却されれば、それだけ石柱の規模も小さくなる。 柱状節理が見られる他の有名な場所には、兵庫県豊岡市の玄武洞、佐賀県の七つ釜、福井県の東尋坊でも見られるらしい。 、ベルファスト 翌日、ベルファストで乗り継ぎ時間を利用して街の中心地を歩いた。丁度イースターDay(復活祭)と日曜日が重なり、街中に車も人もごく少ない。美しい建物を写した。             シティホール 二つの国 そんなに大きくない1つの島が2つの国に分かれている。 北アイルランド問題には、宗教Catholicism(カトリック教)とProtestant(プロテスタント教)、歴史、政治などの複雑な要素がかみ合っているという。 現在は平穏な状態にあり、国際スポーツ競技に、共同のチームとして参加することもあるらしい。列車の中で物価の安い北アイルランドにショッピングに出かけた若い女性と親しくなりポテトチップを貰った。 いつの日か北アイルランドがアイルランドに統合される事があるのだろうか。宗教がからんでいると簡単ではないように思うが、優劣を競うのではなく、徐々に共同体意識が生まれてくるまで時間がかかるのでは・・。

Adventure Tour    その1

 4月5日、U.S.Aの女性3名、南アフリカの女性、沖縄宮古島の新婚カップルと私と通訳ガイド、ドライバーガイドの総員9名は指定されたホテル前で合流。 専用車=(10人乗りバンの後ろに自転車12台と荷物収納庫を繋いだもの車)で7日間の冒険の旅にダブリンを出発した。途中、歴史の話を聞きながら大型バスでは入れない観光スポットにも立ち寄るという贅沢な旅の始まりだ。 暫く走ると、英語で自己紹介を求められた。何故この旅に参加したのか、何がやりたいか・・ このツアーでは(山歩き、サイクリング、乗馬、カヤック、サーフイン)が出来るようになっている。 お互いにFirst Nameで呼び合うようになる。 ロック・オブ・キャシェル 高さ90mの石灰岩の岩盤の丘に建つ大司教区の跡で、5世紀~15世紀ごろまで1000年以上、政治や学問や宗教の中心であり、要塞でもあったという。城や教会、塔などが集まっている。マンスター州の王、オブライアンが居住した古城、廃墟に残されたアーチの丸い天井が往時の栄華をとどめていた。丘の上から遠くまで眺望が利き、緑の農園が・・・。 日本にも古城の石壁が残されているが、この城の廃墟に残る石の残骸も多くを語っているかに・・。 無情を感じる。 Blarney Castle(ブラーニー城) やがて車はコーク市の北8kmにあるブラーニー森の村に入った。 ブラーニー城は10世紀に造られたが、現在は個人の所有になっている。近くの森の中に持ち主のお城のような家が見えた。魔女の小道とかキッチンなどと云う興味深い庭があって散策も面白い。 樹木の中に見え隠れする城はどこか神秘的 Blarney Stone この城に人々が集まるのは塔の上に載せてある「ブラーニーストーン」という石にあるらしい。その石に仰向けに寝転んでキスをすると「雄弁になり、永遠の幸せと愛が得られる」という伝説にあるらしい。 ちなみにBlarneyの英語の意味は「お世辞を言う」である。 仲間と一緒に私も行列に並んで試みた。そばに体を支えてくれるおじさんがいる。1ユーロをチップに・・。小柄な日本人は思い切りのけぞらないと件の石に唇が届かない。何万の人の唇が・・・。ウイルス? 跡でそっと消毒のティシュを使った。さて効果のほどは? 逆さになって一瞬25mの下界が見えた。カメラで写してもらった。 Adventure Tour2日目  昨夜のDinner(ディナー)風景、やはり本場のギネスビールの人気が高い。皆さん酒豪ぞろい。私はグラスワインとラムの煮込み料理を・・。少人数のこと徐々に人柄が解ってきて、話に花が咲く。ガイド兼ドライバーのディーブは今回のInternational Teamが楽しい旅になるように、気配り目配りの行き届いたSmartな好男子だ。ディーブの友人Naokoはアイルランドに10年住んでいる通訳兼ガイド Guagan Barra(グーゲンバラ)→キラーニー国立公園ハイキング アイルランドも異常気象で今年の春が遅いという。緑がもっと濃くなっているはずなのにと・・。山には雪が残っていた。今日も雨模様の天気、防寒対策で朝からハイキング。湖に突き出した小さな島に古い教会が建っていた。出発前に一枚。 Guagan Barra 森林公園をハイキング。昨夜の大雨で滝の水量が多い。雨の多い地方なので樹木の根元まで地衣類(苔)で覆われている。水苔の絨毯の上を歩いている感触。 短いハイキングを終えたところに専用車が待っていた。次のハイキング予定地はケリー周遊路の景勝地、キラーニー国立公園まで移動。 本格的なトレールに入る。1時間半の道のりと云うことだったがもう少し長かったと思う。最初は皆一緒に写真を撮りながら歩いていたが、いつの間にかひとりだけ前を歩いていた。いつものペースを落として歩くのは歩きにくくて…。一本路であり、Daveが車を回して迎えに来ることになっている。春浅く短い草を捜して羊が食んでいた。ふと去年のイギリスのコッツウォルズを思い出しながら、私の足はポンポンと先に進む。周囲の緩やかな山波は大きくうねる泥炭地に出来た一本の草と小石の道。雨上がりで所どころ,川が出来ていて石の飛び石を渡りながら歩いた。途中でランチタイム 毎日のランチはそれぞれ好みのものをスーパーなどで購入し準備することになっている。サンドイッチ、リンゴ、バナナ、スナック、ドリンクなど。昼食の後、さらに1時間半のWalkingを続けた。程よい疲労感を得て、次の宿泊先ディングル半島に移動した。ここはアイルランド語が話されるとのこと、車内でアイルランド語の Lesson を受けた。ありがとう=ディア・グレンチ、乾杯=スローチャ!という具合。 Adventure Tour3日目 ディングル半島→スレーヘッドへ 夕食後、伝統的なアイリッシュ・パブに出かけた。日本の居酒屋のような所だ。座る場所もないような混みよう。 この地域のパブはもと靴屋さんが営業していたとかで今もその名残がインテリアにしてある。コーラの色のようなギネスビールを飲みながら、アイリッシュ・Musicに耳を傾け、陽気に語り合う人々を見ていた。旅行者も多く、肩が触れ合うような中で、暫し異文化体験・・ アルコールをたしなむことが少ない私は折角のギネスをグラス半分しか飲み干せなかった。 ディングル半島は大西洋に向かって南西に突き出した半島でヨーロッパ最西端に位置する。 ようやく天気が回復ディングル半島の海岸沿いをサイクリング・・シーズン前で車も人も少ない。自分の身長に合わせて調整してもらった6段切り替えのBicycleは軽快にに走る。大西洋岸の絶景を贅沢に眺めながら約1時間のサイクリングを楽しんだ。専用車は先に行って待っていて、もし、何かアクシデントがあった場合は無線で連絡しあうようになっている。 スレーヘットへドライブ、大西洋の断崖と大きな波を見ながら崖下でピクニックランチ。 ゆっくりと時間が過ぎてゆく。今日が何日なのかも忘れてしまった。ダブルスコアほどの年齢差があるのにまるで前からの友達のように付き合ってもらっている。 途中のフィールドの中にひっそりと建っている「ガララス礼拝堂」を見学。高さ4mの小さなものだがケルト時代(西暦800年)の遺跡と知られている。石を積み重ねただけのシンプルな造りだが雨が中に漏れない。 Adventure Tour4日目 ディングル半島で2泊。 前日,Sea Kayak(カヌー)にトライした。しかし、装備(ウエットスーツ・ライフジャケット)は身につけたものの、予備練習でインストラクターの指示通りにターンやストップがうまく出来なくて私は不合格・・海に出ることは出来なかった。やはりカリブ海のRiver Kayak のようなわけにはゆかない。、アメリカのMaryAnne,Sara、南アフリカのRianaの3人は見事、海に出て3時間後に戻ったきた。夕食のときの話題で「Kimiko you must be paddling by your leg.、「kimikoは足でカヤックを漕いだら良かったね」と云われて・・I thnk so 皆で爆笑。ハイキングで私の足が速いのをユーモアで・・・。 Surfingサーフィン 翌日、専用車はアイルランドで最も高い山岳道路コナー・パスを超えてディングル半島北部へ移動した。切り立った崖やカール湖が見える。このカール湖と云うのは水量(雨)が少ないと消えてしまう湖のことだという・・。 キャッスルグレゴリーの美しいビーチに到着。ここで私はサーフインの初体験をすることになる。私がSurfing波乗りするなんて…まったく考えたこともなかった。通訳兼ガイドのNaokoの勧め上手に「今しか出来ない」を思い出していた。恥や外聞をうんぬんする年齢でもない。旅は思考回路を柔軟にするようだ。  気温13度、ウエットスーツに着替えると思いのほか寒さは感じない。参加者は3名にガイド2名、まずは記念写真。ボードは初心者用のソフトボード指導員にLectureを受ける。Naokoが詳しく通訳してくれたが、説明通りには行かない。深さはお腰から胸のあたり、ボードは右足のリストにロープでつないである。襲ってくる白い波に直角にしていくつかの波を乗り越えるのだが、これがそう簡単ではない。斜めになっているとボードごと波にひっくり返される。何度か波の下で水を飲んだ。数回、転倒した後にボードの後方を押して自分も浮き上がるようにするとうまく波を超えられる事を覚えた。 ロープを手繰り寄せてボードを体の横に体制を整える。次の大きな波が来るまで7~8秒の間大きく深呼吸。後ろに近づく波のタイミングを計ってボードを波と直角にビーチの方に向きを変えて飛び乗り両手でPaddling(犬かき)をするのだ。これがまた容易でない。重心が偏っているとつまり、ボードの真ん中に乗っていないと大波は容赦なくひっくり返す 指導員は私が英語が解らないから出来ないのだと思い身ぶり、手振りで熱心に説明してくれるのだが・・。遂に何とかうまくに乗れた。 小休憩で次はサーフボードの上に立ち上がり方を教えてもらった。上体を起こし両腕で支えて両足を前後に開いて飛び乗り重心を低く・・・。とても私には無理・・・。 休憩をはさんで何度か波と格闘した。どうにか上体を起こし両腕で支えて波に乗れるまでに・・・・ いつの間にか時間が過ぎていてEnd全力疾走した後のように呼吸が荒い。一体どこに力が入っていたのだろう。 3度目というNaokoはうまくボードの上に立っていた。Harrah! 写真はビーチで待っていた沖縄のHajime撮ってくれた。 It's Naoko Not Kimiko これからは海岸の波を見る度にこの体験を思い出しそうだ。 モハーの断崖(世界自然遺産) アイルランド観光の定番になっている200mの切り立つ断崖、いよいよ真近で対面。 周りは随分と広いロケーション。断崖の周りは分厚い石の壁でガードされている。自殺者が年10名を超えるというから当然のことなのだが。背丈の低い日本人は伸びあがって写真を写すことに・・・。この鉄の壁、絵葉書やガイドブックには入っていない。自然がここに造った類まれなScenery(景観) に魅せられる気持ちも解らないではないが、世界遺産として完全に管理されると単なる「観光地」の感が強い。 今、そう思うのは翌々日に訪ねたアラン諸島の印象が強いからかも知れない。         はるかに見える2日後に渡るアラン諸島  石壁のガードが尽きるところに「Stop!」のサインボードがある。 これより先は傷害保険の対象外になるとか・・。それでも数人が柵を超えて歩いていた。            通行止めの看板        断崖の側坑に造られた管理センター                正面ゲート Adventure Tour 5日目 昨夜、専用車はDoolin(ドゥーリン)に到着した。 Hotel          写真スポットで足元に大きなつくしが・・・ 海沿い古風な石壁のホテルに宿泊。その日の夕食は歩いて10分ほどのレストランを兼ねたパブにリザーブしてあった。本格的なIrish Music の演奏が行われていた。 昔からアイルランドのパブは村のコミニュティの中心であったようだ。 楽器にはフルート、フィドル,バウロン、アコーディオン、ギターで奏でられるのが常らしい。本来ダンス音楽として引き継がれてきたものだが、この日、ダンスをする人はいなく、静かにアルコールを飲みながら演奏に聞き入っていた。今日は有名な人が演奏しているらしい、 表通りには人が少ないのにパブの中は満員、 明日は沖縄から参加している、Hitomi & Hajime とゴールウェイで別れる。別れの宴の後、写真を写し合った。Hitomiは折り紙が得意な優しい日本女性。いつの日か宮古島を訪ねる約束をした。 この辺りは街から離れていて街灯の類はない、帰りは漆黒の道トーチで足元を照らし、星を捜しながらホテルに戻った。 Horseback riding(乗馬) 今日は乗馬でアイルランド発見。アイルランドは競走馬の産地として知られ世界で活躍しているが、昨今の景気低迷で馬の取引も停滞しているとニュースで聞いた。 モンゴルの馬より背が高いが初心者用に訓練されているのだろう。おとなしく約1時間楽しませてくれた。             アイルランド語の道路標識 The Burren(バレン) バレンとはアイルランド語で石の多いところという。その名の通り、石の台地に史跡がある。2億数千年前に起きた地殻変動海の底が海面に押し上げられたところと云う。 よくアイルランドのシンボルとして使われるDolmen(ドルメン)プールナブル=巨人のテーブル。この場所からBC 3000~3200に埋葬されたという約20体の人骨が見つかっていると資料にあった。移動する氷河の流れに置き忘れられたという迷子の石(Glacier Erratic)                巨人のテーブル遺跡 氷河に置き忘れられた迷子石 Glaxier Erratic Good By 専用車はGalway(ゴールウェイ)を目指して走っている。ディーブは運転しながら、歴史や観光名所についての説明をしてくれる。Naokoが日本人グループに通訳・・・ その合間にディーブは自分で編集した音楽i―potで流してくれる。 アイルランドの伝統音楽であり、最近の話題の映画音楽だったり、いま通過している景色にぴったりの曲を選んでくれている。 時折はMovie Music Quiz(映画音楽クイズ)になる、2つのチームに分かれて、イントロで曲名を当てる、次に歌手名映画のタイトルが解れば加点される、尚、その曲を歌えれば更に加点、さすがにUSAの女性陣は強い私はさっぱり・・・どこかで聞いたような程度・・。 ディーブはアイルランド人の女性が歌う日本語の歌を流した。ゴールウェイが近い。 ここで5日間一緒に過ごした、沖縄のカップルと別れねばならない。Daveの心根がうれしく私も涙腺が緩んだ。  Forever be Happily!

Discovery Of Ireland …Adventure Tour 2

Adventure Tour 6日目 コネマラ国立公園のハイキング。「ヤッホー!」 Connemara(コネマラ地方)=ゴールウェイの北西にあり、アイルランドのイメージに重なる手つかずの大自然・・。泥炭層(ビート層)に延々と続くトレールを登って下って3時間ほど歩いた。視界に広がるそれはWestern Movieのイメージそのもの、見れば電柱やアンテナ、人の手で造られた建造物の類は一切目に入らない古代タイムトンネルをくぐったような気分でルンルン歩いていた。いつの間にかまた、一人になっていた。 この太古の大自然をバックにMemory写真に収まりたいのだがにしか出会えなかった。羊にHello!と云ったら横を向いてしまった。ここはアフリカのキリマンジャロのように空気も薄くなく、日本の奥穂高や槍岳のように険しい登りでもない。我がいとしい足は今日も軽快だ。 コネマラ地方の北部リナーンへ移動 Movie「フィールド」アイルランド映画 この映画に度々登場するというパブに立ち寄った。壁に主人公を演じたリチャード・ハリスの写真が掛けてあった。1990年、彼はこの映画でアカデミィー賞にノミネートされているらしいが私は鑑賞していないので初耳。             映画「フィールドで使われたパブ               主演のリチャード・ハリス Adventure Tour 7日目アラン諸島へ アラン諸島はゴールウェイ湾にあり、イニシュモア島、イニシュマーン、イニシュィア島の3島のことを言う。2日前モハーの断崖から薄く見えていただ。 私たちは車を本土に駐車して全員フェリーで島へ渡った、 45分間のCruise, イニシュモア島 海底が隆起して出来た石灰岩質の岩盤と石の島,その昔は全く土がなかったという。ケルト時代の人々は石を砕き海藻を敷き詰めて土を作ったという。 周囲40キロ、今、人口750人余りの島。交通手段は馬車とミニバス、レンタル自転車。風除けなのだろう、フィールドを囲んで積み上げられた石が延々と続く中に、ケルトの遺跡も・・。 岩陰に丈低い白い花・小さなピンクの花をを見つけた。潮風にさらされて尚、高嶺に咲くようにひっそりと精一杯に上を向いて咲いている。つい話かけたくなって・・ここは緯度が北緯53度。 切り立つ断崖 とそこに打ち寄せる大西洋の大波、数十メートルも白く飛びあがり砕け散る波しぶき、その時の大きなSound(音)が遠くまで響き渡る。高い岸壁を飛び越え海水で岩場の潮だまりに藻と塩が出来ていた。 足もとの岩盤には貝の化石が所どころに見られる。私たちは今、5000年前の海の底を歩いていることになる。 景観に酔う ここにはバスや自転車では入れない。歩いてこなければこの景観には出会えない。このAdventure Tourを出会えた幸運を思った。 みんな、崖・海・波を見て聞いて声を失い、いつまでも座り込み、黙して佇んでいた。この場所ではどんな言葉も空虚に聞こえるようで・・・。 どれほどの間、景観に酔っていたのだろうか。 天気も最高、我に帰りディーブが動き出し、ケルト文化の遺跡(祭壇のような所)でピクニックランチ。 私は、時間を止めておきたい場所にまた出会えた、ペルーのマチュピチュのように・・。 Jast wait to Jumping Adventure Tour88日目 今日が最終日になる。       ホテルの朝食で・       ラウンドストーンのホテル前で 好天気に恵まれ、専用車はサイクリング・スポットに移動した。 8日間も後ろについてきたBicycleをもう一度使ってあげたい。 の傍を走り古城の裏庭を潜り抜け、樹木の下を潜り抜け1時間ほど銀輪を漕ぎ続けた。MaryAnneは両手を離してバンザイ!をしている。写真を撮りたいが私は片手も難しい。 クロンマックノイズの修道院(廃墟)の庭でピクニックランチタイム。 アイルランドの各地にあるハイクロスの中で最も古いと云われるそれのReplicate(複製)を見た。ハイクロスというのは十字架の柱頭の部分が円環になっていて、柱の部分には聖書に書かれていることがケルト時代の文字や模様で彫り記されているもののようだ。太陽神を意識したことなのだろうか。 車は最終地ダブリンに向けて走っている。 DaveMovie Music Quiz(映画音楽クイズ)を始めた。 車内は近づく別れの時を意識しながらも陽気に音楽に聞き入った。USA組はスイングして歌いだした泥炭(Bog)という資源 地球上の泥炭(Bog)の半分がアイルランドにあるという。石炭になれずに地上に残ったものだ。昔から燃料として使われていたという。 The Wild Boglands(自然の姿をとどめる湿地)の保護運動が教育の現場でも行われていると知った。この国も環境への意識は高く、風力発電も稼働しており、波力発電の研究も・・あの断崖に押し寄せる大きな波のエネルギーが電力に変えられるのであれば・・・ 景観は損なわれるかもしれないが人間の英知に拍手を送りたい。 NaokoのGuiding Irelandより転載 「泥炭(でいたん)の不思議」 ・・緑豊かなエメラルドの島として知られるアイルランドですが、実は、アイルランドの国土面積の 14% は、「茶色」で占められています。泥炭(でいたん=bog)と呼ばれる土壌がそれにあたりますが、その正体は、実は植物。アイルランドの湿気のある気候により、長い年月をかけて木の根や草が腐って堆積し、深い層となったものです。全世界の 50% の泥炭がアイルランドにあると言われますが、これは、この国の、貴重な天然資源でもあります。アイルランドでは昔から、夏に家族総出で泥炭堀りをし、干して乾燥させ、冬場の暖炉の燃料に使用されてきました。木の少ないアイルランドでは、泥炭が唯一の燃料だったのです。現在は、直接、暖炉にくべる機会は減ったものの、工場で圧縮燃料に加工されたり、火力発電に用いられたりして、形を変えて利用されています。近年、新しい天然資源として、その利用法が世界中で話題となっている泥炭。泥炭層に生息するユニークな生態系を持つ植物スファグナン・モスは、水分をスポンジの20倍の速さで吸収する働きを持つため、ピート・モスと呼ばれて園芸に使用されたり、加工してオムツに使用されたりしています。・・・            Bog 泥炭の地           Peat 乾燥され燃料になったものでとても軽い            Bogに足跡を着けて見た やわらかい            Bogの草原で           道路わきに彫りだされたTarf エニシダの茂みの中に親子の馬が・・ 途中、オールドウイスキーの蒸留所で休憩、建物の近くはアルコールの香りに・・・。たくさんのウイスキーの樽が積み上げられていた。 Daveは皆に聞いた。今回の旅でもう一度来たいところは? どこでのActivityが最も印象が深かったか? たった、8日間とは思えないほど長く感じる。それは日ごとに違うActivity(活動)をし、日ごとに違う景観の中に身を置いて過したからと思っている。 多分浦島太郎は竜宮城でこんな気分だったのではなかろうか。 USAの彼女たちは3人とも大手Financial関係の企業に勤務するCareer Womanで、知的で陽気で前向きだ。同じ職場だが部署も支店も違うらしい。 南アフリカ共和国からひとりで参加したRianaは○○歳の誕生日を迎える自分へのご褒美だという。この国の言語はアフリカーンスなのだが英語も上手に話す。カヤックが得意な彼女は、最初のハイキングで足を捻挫してしまったが後半は皆と歩けるほどに回復していた。 南アフリカは2010年、FIFAワールドカップが開催される国だ。 Naoko(直子)は長野県出身で元日本の大手旅行会社で添乗員をしていた経験を活かし、単身アイルランドに移住し10年、Guiding Irelandを経営している。努力家でしかも人情篤く賢い女性だ。http://guidingireland.ie/spots/eastcoast_midlands.html ダブリンの各自、予約しているホテルに到着、お互いにハグをして別れた。流れた涙は無事に共通の想い出を残せ、人として解り会えた喜びであったと思う。 See you again. 最後に私が空港近くのホテルに送ってもらった。Daveは私が好きになったIreland Musicを流してくれ、その歌詞の意味を教えてくれた。クリスティ・ムーアChristy Moor の“Lie Down”この曲の入っているCDをゴールウェーでNaokoと捜し歩いたが見つけられなかった。今もネットで探しているがまだ見つからない。 このBlogの最終章になり改めて IrelandのRock & Stone (アイルランドの岩と石)を思い出している。 毎日のように目にしたのが岩と石の文化だった。この国の成り立ちに起因する。 北アイルランドのGiant's Causewayジャイアンツ・コーズウェイあった40000個の6角柱The New Grange(ニューグレンジ)遺跡群の5000年前の石の建造物とストーンサークル、巨石、Blarney Castle のStone(キスをすると雄弁になる石)、 The Burren(バレン)の石の台地に残された史跡。Dolmen(ドルメン)プールナブル=巨人のテーブル、移動する氷河の流れに置き忘れられたという迷子の石(Glacier Erraticアラン諸島、イニシュモア島の迫力ある断崖の岩、海底が隆起して出来た石灰岩質の岩盤と石積みの島を見た。 これらの石たちは護る人も形も変われど、永遠に朽ちることなく残ってゆくのだろう。 Thnak you Ireland Thank you Dave & Naoko