Mongolia Horseback riding  モンゴル遊牧民の今・・・

日々、進化し続けるデジタル文化についてゆくにはエネルギーが足りない。 BLOGのカテゴリー設定に難儀している。アップした筈のタイトルがいつの間にか消えている。昨年8月,再訪した4年ぶりのモンゴルの記録だが・ 緑の風 標高1600m、4年ぶりのモンゴル草原に降り立った。風にのって漂う碧の香り(Fragrance)、今夜から宿泊するゲルの先に数匹の馬が草を食んでいる。静かだ。機械的な雑音がない。見渡す限りが草の原っぱ、無垢なAirを思い切り深呼吸。はるかに遠くキャンプ・ゲルの周辺を山々が囲んでいる、南北に20㎞、東西に60kmの距離という。 あの山々の向こうにもここと同じような景色があることを私は前回で確認済みだ。目の筋肉や神経も刺激され、たぶん視力が回復するかもと期待している。数キロ先に白い数個のゲルが見える。すぐそばにトウル川が蛇行して流れていて、馬や牛の群れが水を飲んでいた。滞在中、私は朝食前にこの周辺数㎞を小さな花々を写しながら散策していた。 2010.8月初旬、猛暑の日本を脱出した。この4月からモンゴル入国ビザが不必要になり、関空から4時間でウランバートル.ジンギス.カン空国に到着。ツアーメンバーは3名(各々個人参加)、2名は乗馬クラブに所属する上級レベル(男性)と一緒で、私には特別のガイドと通訳がつくらしい。 ウランバートルから車で2時間、ここは前回とは別のキャンプ場だ。 乗馬駆け足 4年前に駆け足まで体験しているとはいえ、私の体力も落ちている筈。その後,各地(アイルランド・アラスカ・カリブ島・メキシコ・NZ)でサラブ系の馬に乗っているが、いずれも観光用で駆け足はできない。 乗馬は一日2回、午前と午後に2時間づつ、私の馬のガイドはこの地域の馬主で53歳のラゲース(Lhagvasuren)。彼の日本語は「ありがとう」のみ。通訳の女性ガイド、ダリィア(Daria)はウランバートルに住む若い女性。幼いころ遊牧民として育ったので馬はとても上手い。彼女は3年間日本に住んだ経験があり、日本語は堪能でまったく問題ない。 初日のコースは山の方向へ足慣らし、ラゲースは私に栗毛の8歳の雌馬を選んでくれ、鐙の長さと手綱を調節し、馬に乗るときサポートしながら日焼けした顔でニッコリ笑う。 私の技量がどの程度なのかを見ながら馬を誘導してくれている。時折、右手の親指を立てて「ホイ」と後ろの私に問いかける。“万事OKか”、という意味らしい。私も同じように笑顔で「ホイ」と答える。これでコミニュケーションはOkay. Agentの注意書きに  「急に馬が暴走した時は山の方に向けて走ること。自らバランスを崩し、または馬が何かに躓いて落馬しそうになったら、まず、両足を鐙から外すこと。常に馬の左側から乗り降りすること。」と書いてある。 今回、乗馬用のヘルメットとチョッパーを新調した。ここ数か月、それなりに筋肉トレーニングに励んだ。体重48kg、体脂肪率17.5%、わずかだが筋肉量も増やしてこの日に備えた。  並足から3拍子の早足になると、お尻の坐骨が鞍にバウンドする。 しばらく、並足と早足を繰り返したあと、私が大丈夫と見たか、リーダーがやおら体を斜めに構え、鐙の上に立った。駆け足のサインである。 私も緊張・・一瞬、鐙を確かめ、手綱を緩め、腹筋に力を籠めて立ち気味になっていた。馬が宙を飛ぶ2拍子の駆け足のリズムだ。体が覚えていた4年前の記憶を・・。2拍子に呼吸をつけながら骨盤を動かし背筋と腹筋で馬と調子を合わせる。出来ている。快感!!最初の駆け足は150メートル程度だったろうか。 人工を廃した極めつけのNatureの風が頬を撫でる。思わず「ヤッホー!」 山を登って降って川を渡る。深さ腰ぐらいの川も難なく越えてくれる。 リーダーは私の動きを確認し、時折、後ろを振り向き、親指を立て「ホイ」?という。 通訳に私の乗馬の姿勢がいいと褒めてくれたそうだ。上級者の2名は同じ目的地へ向かうが遠回りして駆け足の時間が長い。彼らにも若い男性の通訳兼乗馬リーダーと馬のリーダーが付いている。 遊牧民の生活 馬で遊牧民のゲルを訪問した。一家の主婦は訪ねる客があるとどこでも忙しい手を休め、歓迎してくれる。自家製のミルクティーや馬乳酒・チーズ菓子などを振舞ってくれる。 朝早くから牛や馬の乳を搾り、小麦粉でパンを作り家族の食を整えるのだ。水は井戸を掘って汲み上げている。自給自足が基本だ。ほとんどの遊牧民は馬と牛と羊とヤギを飼っている。私の馬の脇腹にある刻印が持ち主の印だ。番犬も家畜(半野生)を守る立派な働き手だ。 この地域はラマ教を信じており、ゲルの中には小さな仏壇があり、ダライラマの写真が飾られ、そばに裁かれたヤギの生肉が並べられていた。また、高価な化粧品が並んでいたり、その異質さが面白い。子供たちも3歳から馬に乗るという。小学生までは馬で地域の学校へ通い、高学年になるとウランバートルの寮に寄宿して学ぶ。ロシヤ語と英語が教えられるという。丁度、夏休みで帰省している若者が多かった。 家族の寝起きする生活の場とは別に仕事場(馬乳酒やチーズや肉を加工する)専用のゲルがある。覗かせてもらった。 お礼に日本から持ってきた手芸品を渡すと、たまたま遊びに来ていた二人の友人と私と一緒に写真を撮りたいという。すると3名は一様に髪に手をやりほつれを直す。やはり女性だと微笑ましい。私は必ずプリントして送ることを約束して一緒に被写体になった。 集団移住の牛車 ゲルの近くに牛車が置いてある。草原の状態を見て集団移転するときに使うものらしい。ガイドから聞いた話に、馬と牛や羊は草の上の部分だけを食べるから草原が枯れることはないが、ヤギは草の根元からたべてしまう。そのヤギの毛はカシミヤウールとして高く売れるのでだんだん増えていて、草が少なくなるという。草原を維持するために定期的に集団でゲルを畳み、牛車に載せ、何頭もの馬か牛に引かせ、後ろに羊や馬や牛の行列が続くのだろう。遊牧民たる所以である。およそ同じような陣地を確保するという。 究極の循環型社会 冬はマイナス30度~40度にもなるという、極寒の冬期は、山の懐に作られた囲いの柵の中で過ごす半野生の馬や牛や羊たち・・春の芽吹きの時を迎え草原が萌木色から緑に変わると、一斉に草原に放たれ、繁殖の季節を迎える、その排泄物は草原の肥料になり、燃料になる。 遊牧民の冬の食材のために数匹の馬や牛や羊を丁重に裁くという。決してKill(殺す)とは言わないそうだ。皮は防寒着や日用品に加工され、ヤギの毛はカシミヤに・・。肉は塩漬けにして冬の蛋白源だ。チーズは夏の間から保存用に準備される。骨はいずれ土に還る。  オーガニックそのものだ。 満天の星 夜の9時30分、気が付くと北西の山の上に宵の明星が橙色に輝いていた。 日没になると急激に寒気が襲う。防寒具を羽織って馬糞のキャンプファイヤーをした。この馬糞、いつの間にかメンバーが周りの草原で集めてきたらしい。軽くてよく燃える。 徐々に暗くなると星が見え始める。わかりやすい北斗七星(ポラリス)、そこから北極星を探す・・カシオペア座、火星と・・・首が痛くなるほど上を向いていた。天の川(Milky way)が徐々に鮮明になる。両側に「こと座」のベガ(織姫)、「わし座」のアルタイル(牽牛)が一際大きい。誰かが「人工衛星だ」という。確かに一定の速度で動いているから、流れ星との区別がつく。メンバーが日本から星座表を持って来ていた。懐中電灯で照らしながらしばし星の世界に遊んだ    馬糞の燃料 心地よい筋肉痛 乗馬三昧も2日目の午後になると私の両内腿が悲鳴を上げている。 このあたりからは、早足よりも駆け足の方がお尻や内腿へのダメージが少ない。 全身を常に細かく動かしているからだろう、お腹や背中のインナーマッスルが相当に刺激されている。昼食後に自然に眠くなり、Take a nap, 徐々に遠くまで駆け足をさせてくれ、山の上まで・・碧のモスが岩に張り付いてまるで硫黄のように見える。カメラとビデオを回した。 そこから先もまだ同じような草原が延々と続く。ここはユーラシア大陸のど真中  大の字に寝転んで快晴の空の下、マイナスイオンを浴びる 午後の部は3時からスタート・・。夕刻6時前にゲルに戻り、シャワー(太陽光発電) 夕食は7時、うどんのような麺にラム肉とジャガイモやニンジンの入った汁物がメーンディシュ、レタスのマヨネーズサラダ、特に日本人向けの味付けになっている。 歴史と現実 世界を作った男「チンギス・ハン」のモンゴル帝国。ナーダム祭、のことは2006年7月のBlogにアップしている。 この地域も現実にClimate Change気候変動の影響は避けられず、気温が徐々に上昇しているのみならず、異常な豪雨に見舞われていた。 と同時に首都のウランバートルの人口は増えるばかり…背景に遊牧民の後継者の問題もあるという。若者が都会で住み着いてしまうからだ。多くの遊牧民が携帯電話をつかいこなしている。(フインランドのノキア製)すでに太陽光発電でTVやモーターを動かしている。生活用品しかり。その生活も変化を余儀なくされるのだろう。     太陽光発電装置     私のゲル…内部は4人用のベット 帰国前夜、ウランバートル市街地のレストランで食事をしながら、馬頭琴演奏とホーミーの生演奏を聴いた。果てしない草原のイメージが重なる。 風に牧草が震えるあの草原がいつまでも変わらないでいてほしいと願った。     馬頭琴とホーミーの生演奏     ウランバートル市街地     マーケットのチーズ売り場

モンゴル草原でゴミ拾い

    06.07.31 年初から日本経済新聞に、堺屋 太一氏の「世界を創った男・・チンギス・ハン」が連載されている。いよいよモンゴル国家の統一に向けて佳境に入ってきた。 7月、モンゴルに訪ね、国の成り立ち、地名や習慣や風土に触れたからだろう、イメージが膨らんで毎朝、新聞を前に頭はモンゴル草原の騎馬情景・・・楽しんで読んでいる。 この壮大な草原にも観光客が激増している。それにつれて草原が汚染されてくるのは 例外ではない。 4日間の乗馬トレッキングで馬上から見えたのは美しい花だけではない。心無い旅人(?)が捨てた缶・ビン・菓子袋・針金・発砲スチロールなどなど・・・。 いづれも、馬にとってはネズミの作った穴と共に危険この上ないものばかりだ。  7月のモンゴルは夜10時半ごろまで明るい。食事の後、私たちグループメンバー6名は散歩がてら、草原のゴミ拾いを思い立ち、毎日袋を提げて1時間ほど歩き持ちきれないほどの危険物を集めた。 今回、偶然に出来た6名のメンバーの中に女性警官が2名、モンゴル歴15年の78歳の男性(元会社経営)とみんなの意識は高い。他にも日本人トラベラーが次々にゲルセンターに入って馬仲間になる。急遽、ゴミ集め仲間になった東京の菊井氏が写し取っていてくれた一枚である。 建国800年ににぎわう草原に遊びながら、この国の抱える貧困・格差と環境維持との間に横たわる「問題」の大きさに思い至る。

モンゴル馬で駆けた草原

06.07.21 その日、私はベージュの毛色のモンゴル5歳馬に跨っていた。 十数キロ先の小高い丘陵まで見渡す限り、うず緑の大地だ。乗馬の基本レクチャーを終えたばかりのビギナー騎手たちは、肩に力が入り手綱捌きもぎこちない。並み足で丘陵に立つと、そこからもまた、果てなく続く草原が視界に入る。緑の絨毯と見紛う植物群は、よく見ると白・黄・紫の丈低い高嶺の花(標高1600m)と馬や山羊の好む牧草だ。中にはエーデルワイスの群生地も・・。ハーブの香りを運ぶ風と空と馬と羊と白いゲル。 こんなロケーションの中で4日間、毎日、贅沢な5時間あまりをモンゴル馬と過ごした。 3日目で駆け足を初体験! ゲルセンターから13km離れたトルコの遺跡まで10頭と指導員数名の乗馬トレッキング時のこと、比較的安全な草原なのだろう、リーダーは後ろから馬に「チョッ」と声を放った。数頭の馬が駆け出すと他の馬も続いて走った。馬は集団で動く習性がある。なんと両足で地面を蹴って走るのである。まさに宙を飛ぶ感覚!スリルと緊張の中で瞬間、呼吸と腹筋と背筋を意識する。馬と動きを合わせないと鞍に坐骨を打って痛いばかりか、バランスを崩して落馬しかねない。時代劇映画で颯爽と走る乗馬シーンとはいささか勝手が違う。 草原のどこでも安全なのではない、ねずみの穴や心無い人が落としたビンなどがある。ポリ袋などが風でフワッと飛んでくるのが危ない。馬は飛ぶものに異状に反応し、急に横に飛んだり駆け出したりするからだ。モンゴル馬はサラブレッドやアングロアラブと比べて小柄でおとなしい。持ち主はお尻に焼印を押した後は、餌や水を与えることはない。大地の牧草や水場に放されて育つから、半分「野生」のようなものだ。神経質でないのは雄大な自然のせいかも知れない。  私たち6名のメンバーは、早足と並足と繰り返しているうちに、鐙(あぶみ)の踏み方や腰の浮かし方、手綱の引き具合などをそれなりに体得した。サポートしたのは相性の良かったモンゴル馬と草原の香りだろうか。 今、日本経済新聞に堺屋太一氏の「世界を創った男、チンギス・ハン」が連載されている。また、角川春樹氏の「蒼き狼・・地果て海尽きるまで」の大スペクタクル映画(チンギス・ハン役は反町隆史)のロケがモンゴル草原で始まっている。 この夏、蒼き狼の国、モンゴルが熱い。

モンゴル建国800年祭とナーダム(革命記念日)

06.07.18 1206年、チンギスハーンがモンゴル帝国を宣言し,彼の母(オウルン)の70歳を祝す儀式と重ねて盛大に行われた。今から丁度,800年前のことである。 毎年、7月11日―12日はモンゴル最大の祭り「ナーダム」が開かれる。 モンゴル人はこのナーダムが大好きだ。ナーダムには各郡のナーダム、県のナーダムがあるが、地方に住む人の夢は「生きている間に国家ナーダムをぜひ見たい」というものだ。 国家ナーダムとはウランバートルのセントラルスタジアムで行われるもので、威厳があり、壮大で華やかなものだ。開会式には大統領をはじめ、首相、国会議員、各国大使、外国の代表たちが見学する。特に今年は建国記念とあって、諸国からの報道陣も相当な数だ。  私たちは今回この国家ナーダムの開会式を見ることが出来た。 大スタジアム満席の会場では、大統領の挨拶に続き、モンゴルの歴史や伝統、国家象徴などをテーマにした、民族舞踊や馬頭琴をベースにした音楽隊合奏など・・・三大国技、競馬、相撲、弓射をテーマにしたマスゲーム&アトラクションなど、他では見られない振り付けを興味深く見せてもらった。                  開会式 モンゴル人は男性の力、機転、勝利の象徴は「相撲」だと見ている。そして、「馬」を人間の親友で、競馬は親友(馬)の本質をどれほど理解しているかの表れと考えている。。「弓射」は眼力の鋭さ、精巧な感覚に挑戦したものという。               行進するチンギスハーンとゲル 開会式の後、専用車で数時間移動し、2歳馬の競馬を見学した。翌日は3歳馬と数日続くらしい。                スタート地点に移動する出場者 今日の2歳馬は7歳-12歳の騎手で15km・・・国内各地から民族の期待を担って200頭もの馬が出場した。鞍なしの裸馬にまたがった少年・少女達はまだあどけない。エントリーを終えた馬は、15km離れた草原のスタート地点に移動してゆく。報道陣や観客が集まっているところはゴール地点だ。遠く豆粒よりも小さくなり、待つこと久しく遠くから先導車の光が見え、徐々に動くものが視界に入ってきた。やがて、馬に鞭を当て疾駆してゴールを目指す子供の騎手と馬たち。3着ぐらいまでをカメラに写し、ガイドの指示でその場を離れた。                  誉れ高い入賞者  この中で1位から3位に入賞することは、民族のこの上ない誇りらしい。数日間はお祝いが続くという。何しろ、馬を育てた持ち主、調教師、騎手が英雄として評価されるのだから・・・。草原に数百のゲルがこのために臨時に作られている。親族一同(50人)とこのためにゲルを用意し、一族が食べる食事場所のゲルまで・・。モンゴルの子どもたちは幼いときから子馬で遊び馬に慣れてゆく。 私たちが早々に引き上げたのは、ゴールを待つ一族の知人・関係者と馬で草原はごった返し身動きが取れなくなるからである。真後ろが見えない馬は危険を感じると後ろ足で蹴る。人ごみの中を無事に6名のメンバーは専用車に戻った。 なんと壮大な草原絵巻だ。

気分はモンゴル  その1

昨日、建国800年記念行事で涌くモンゴルから戻った。 心はまだ草原に置いたまま・・・留守中の雑務と蒸し暑さと格闘しながら「心の到着」を待っている。 十数キロメートルまで見渡す限りの草原、その先の小高い丘陵、その丘陵に登るとまた、無限に続く草原・・・標高1600mに根付く緑の植物群は絨毯のように見えるが白・黄・紫の丈低い花と馬や山羊が好む牧草だ。ハーブの香りを運ぶ乾いた風、メカニックな物は何も無い、馬と羊とゲル・・・。 4日間、午前と午後、こんなロケーションの中を馬で駆けた。気分は貴族、並足・早足・駆け足とそれなりのメニューをこなし、「修了書」なるものをもらった。                群生するエーデルワイス