モロッコ王国紀行    2005年11月

2005年11月20日、深夜、関西空港からドバイ空港(アラブ首長国連邦)経由、20時間余のフライトで、北西アフリカ、モロッコのカサブランカに到着した。 フライト走行案内には今、注目を集める中東の国名が並ぶ。 丁度、イスラムの国はラマダーンに殉じていた。 イスラムの戒律 ラマダーンは、イスラム暦9番目の月、一年間の贖罪の意味で、日の出から日没まで食と水を断つのである。他にメッカの方を向いて1日5回の礼拝、喜捨といって貧しいものに施しをするなどである。富めるものは貧しいものに喜捨をすることで罪を減じる。施しを受ける方も卑屈にならず堂々と罪を減してあげているのだろう。スーク(市場)の片隅で老いた女性が数人佇んでいたが特に悲愴には見えなかった。 アトラス山脈を越える 翌日、マラケッシュ、モロッコ第2の商業都市に入った。 フェズについで2番目に古い、1000年前、ベルベル人が最初のイスラム国家をこの地に定めた。新市街には近代的な建物が立ち並び、旧市街(世界遺産)はすべて赤土の日干しレンガで造られた赤い街。 ジャマ・エル・フナ広場では、各地から集まった芸人がパフォーマンスを繰り広げる。夜は広場いっぱいの屋台があらゆるものを商う、エネルギッシュなカオスの街だ。 万年雪のアトラス山脈(4000メートル)を越えて、カスバ街道をワルザザードへ・・。「アラビアのロレンス」で知られた要塞の村(アイト・ベン・ハッドウ)もいまは世界遺産に。 ・・難攻不落の空間芸術とも言われるこの要塞には川が増水していて渡れなかった。銃眼を遺す塔や迷路になっている道など対岸からレンズでズームを試みる。 エルフードでは早朝4時に起床、4輪駆動車に分乗し起伏の激しいサハラ砂漠メルズーカ砂丘に向かう。パリ・ダカールラリーコースとか。 漆黒の空に満天の星が近くて大きい、四方の地平線のあたりまで星が瞬く・・オリオン座北斗七星も日本でのそれと向きを変えて天空に見える、緯度は南九州と同じ。寒さをこらえて動く砂の山際に昇るサンライトをレンズに収める。薄明かりの砂漠でモロッコ軍と思われるターバンを巻いた装甲車の隊列が見えた。アフガン戦争に出てゆくのだと思う。 古都フエズは街並み全体が世界遺産になっている。ラバト(首都)を経て再び大西洋の波高いカサブランカ(白い家)へ・・・白い大きなユリを日本ではカサブランカと云う。 北アフリカ最大の経済都市。人口280万、リン鉱石や農産物の輸出貿易港として栄える、過去、ポルトガルやフランスの占領後はヨーロッパの影響を受け急速に近代化の道を進む。 1800キロのバスの旅の終着である。 夜、オプショナルで映画カサブランカで使われたBar Casablancaに出かけた。 それは何とハイアットホテルの一角にあった。 カウンターでモッキン・バードという緑色のカクテルをオーダー、ちょっとミーハーしてみる。窓にはハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンのシルエットが描かれていた。いまだに映画にゆかりのグッツが販売され訪れる観光客が多い。 バーカサブランカ 白い街を走る 帰国の日の朝、ホテルのテラスから大西洋が眼前に見えた。無性に走りたくなって、集合時間までを逆算、急いでジョギングスタイルに着替えて海岸へ飛び出した。 緑に囲まれた白い家々と色鮮やかなブーゲンビリアがまぶしい。一見、ヨーロッパの街かと・・。大西洋の高い波は日本海のそれと似ているが、海の色はまるで違って白に近いマリンブルー。何か叫びたい気分を抑えて、波打ち際で深呼吸・・ふと目を落とした足元の雑草は日本のそれと同じだった。 なにがあっても「アラーの神の御心のままに・・・」で済ましてしまうおおらかな国民性とアラブ特有のエネルギッシュな生き様に日本人が豊かさの中で失ったもの、たとえば人との絆・ハングリーな元気・・自然に対する畏敬の念などに気づかされた。 多くの絶景スポットに加え、変化に富んだ風土と文化、幾たびも占領下に置かれたこの国の歴史、イスラム文化圏の抱える複雑な問題、ヴェールの裏に隠された女性の思いなどなど・・・。 CNNやBBC放送のニュースに、小泉総理の名前もJAPANの国名も流れてこない。ODA世界第2位の国もここでは影が薄い。日本はこの国にも潅漑プラント・燐鉱石発掘機械・漁船の修理などに開発援助をしているはずなのだが・・。 帰途のバンコクで7日ぶり日本の新聞を読む、いまだに自衛隊派遣の国益を論じていた。 モロッコ・ワルザザードの西にあるアイト・ベン・ハッドウ 日干し煉瓦造りの古い要塞の村・・小川の辺にある丘の斜面を立体的に作られ、不思議な景観をもつ。銃眼が配置された塔が何本もそびえている。迷路のよう道は難攻不落の要塞そのもの・・ 「アラビアのロレンス」「ナイルの宝石」「ハムナプトラ2」の撮影につかわれたところである。  エルフードでは早朝4時に起床、4輪駆動車に分乗し起伏の激しいサハラ砂漠をメルズーカ砂丘に走る。パリ・ダカールラリーコースとか。漆黒の空に満天の星が近くて大きい、四方の地平線のあたりまで星が瞬く・・オリオン座も北斗七星も向きを変えて天空に見える、緯度は南九州と同じ。寒さをこらえて動く砂の山際に昇るサンライトをレンズに収める。薄明かりの砂漠でモロッコ軍と思われるターバンを巻いた装甲車の隊列が見えた 古都フエズ(世界遺産)・ラバト(首都)を経て再び大西洋の波高いカサブランカ(白い家)へ・・・1800キロのバスの旅を終える。 Bar Casablancaのカウンターでモッキン・バードという緑色のカクテルをオーダー、ちょっと気取ってみる。窓にはハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンのシルエットが描かれていた。 多くの絶景スポットに加え、変化に富んだ風土と文化、幾たびも占領下に置かれたこの国の歴史、イスラム文化圏の抱える複雑な問題、アラブ特有の活き活きとした庶民の生活、ウ゛ェールの陰の女性の思いなどなど・・・。私の見たモロッコをいずれまとめたい。 ホテル環境は劣悪、何とか入ったCNNやBBC放送のニュースに、小泉総理の名前もJAPANの国名も流れてこない。ODA世界第2位の国もここでは影が薄い。日本はこの国にODAで潅漑プラント・燐鉱石発掘機械, 漁船の修理(ヤマハ発動機)などに開発援助が出されているのだが・・・。 帰途のバンコクで久しぶりに日本の新聞を読む、いまだに自衛隊派遣の国益を論じていた。 メルズーカ砂丘の夜明け前