パタゴニア地方へ 

北米デトロイト→マイアミ経由で南米ヴェノスアイレスに飛んだ アルゼンチン・チリ・パタゴニア方面、マゼラン海峡を約半月の旅程の初日だ。 10時間半のフライトでデトロイトに到着。名古屋から一人で出国した私は、ここでメンバー12名と初顔合わせとなる。 Window Seatの窓からデトロイト到着1時間ほど前、眼下に見えたのは白い雪の塊の台地だ。寒波が来ているという北アメリカの自動車産業都市、今、ハイブリット・エコカーでも日本車との競合でしのぎを削る街だ。氷で覆われた五大湖が見える。 雲の切れ間から現れたのは、白く無機質な台地だ。上空から市街はモノクロの版画のように見える。白一色の画布に整然と自動車道路が黒い筋になって見える。家々の庭も黒い、降下して見ると上空から黒く見えていたのは、樹林地帯だった。よく見ると針葉樹と広葉樹が入り混じっている。冬枯れの木々は生きていて周りの雪を解かしていたのだ。 やがて、機体は除雪されている滑走路に滑り込んだ。滑走路に波型の筋が入っていた。滑り止めだろう。 アメリカ大陸は広大でこの寒さだ。飛行機や自動車は移動手段にかかせなく、暖房エネルギーも相当量だ。京都議定書の批准はそんなに簡単ではないのも頷ける。 3時間でマイアミに着陸・・・・機内から垣間見えた有名なリゾート地だ。 数時間のトランジットだが街の空気は味わえない。1時間30分遅れで離陸,・飛び立った後のマイアミの夜景に目を奪われた。よくこれを宝石箱をひっくり返したようだと表現される。 カメラを出し渋っている間に、後ろに消えた。一瞬、クスコの夜景を思いだす。 ところが帰途に4日間ここで滞在する羽目になるとは・・。このとき思いも及ばなかった。 翌朝、共和国アルゼンチンの首都、ヴェノスアイレスに到着、(実際には日付変更線を通過しているから3日目)23州からなる人口3660万人,多くのイタリー人が1800年に移民として入植した。 ブェーノスアイレスに中国人4万人、日本人3万人が住んでいるとか、ラプラタ川(46キロ)三方河に面した国、400キロ先に大西洋。 地震、台風がなく雪も降らない。高い山は見えない。赤い花の酔っぱらいの樹、ネーミングは根元から幹が徳利ように丸く膨らんでいるからとか。思わず顔がほころぶ。 1ドル=3ペソ・・絵葉書4ペソ。TAXは21%,三菱・スズキ・ニッサンの日本車も多い。トヨタはここで生産工場持っている。民営化を急いだ国、対米関係はあまり良くない、ガソリン1リッター22円。ここは産油国だ。 日本からのODAは病院や漁業の援助に・・・・産業=農業(トウモロコシ・ダイズ・レモン) 経済は上り調子、観光業が伸びている、新たに建設インフラ整備を急ぐ、ホテル建設、ビル・マンション)、女性の地位も暫時向上している。 市内観光、アルゼンチン・タンゴ発祥の地、カミニート(小径)散策、雑然としているが古い歴史を彷彿とさせる街だ。壁にはタンゴを踊る男女の絵が彫刻風に描かれている。 パタゴニア地方 名峰アコンカグア ウスパラータはアコンカグア(6962m)への登山口の街だ。 南米大陸一の標高の世界に知られた名峰に、1900年スイスの登山隊が初登頂を果たしている。私たちはアコンカグアのビューポイントと言われる小高い丘に登って、ガスが動くのを待った。双眼鏡でガスの動きを追いかけ、雄姿の一部をレンズに収めた。 見えているのは300mに及ぶ氷河や絶壁があり、登攀が最も難しいといわれる南側ルートだ。この山に登る入山料は400ドルで、遭難時のヘリ代は別とのこと。ふもとの基地プエンテ・デル・インカで数週間の高度順応をしてから登るのが常らしい。 このエリアは鉄分を含んだ岩山、銅鉱石の緑、石灰岩の白色、2000mを超える標高地帯が続くアンデス山系だ。電力は水力発電でまかなわれ、ジャガイモ・玉ねぎ・人参などが生産されている。 インカ橋 メンドーサ川沿いに自動車道が整備されている。かつて鉄道が引かれていた。 経済が活性化するにつれて、チリ側との交流が盛んになっていて、大型バス・トラックが頻繁に動く。昼食時にインカの橋を見学、800年前に起きた土砂崩れで温泉が噴出し、含まれていた弱酸性のガスや硫黄成分が固まって自然にこのように黄色い岩盤のよう橋ができた。 チリへ国境越 4キロメートルのトンネルを抜けた。トンネルの中は2車線で暗い。通行可能な時間が制限されている。アンデスのいろは坂を28回カーブして国境に向かった。 観光バスや物資を運ぶ大型トラックがアルゼンチンからの出国とチリへの入国審査の順番を待っている。ここでの待ち時間、1時間~2時間は普通のことらしい。ようやく順番が来て、全員パスポートを持ってバスから降り入国審査場へ移動。バスにのせたバゲッジも手荷物もすべて検閲される。X線のみでなく抜き打ちに中も広げさせられる。 麻薬検査犬が活躍している。 迷彩服と鼻の下に口ひげを蓄えた若い係官が眼光鋭くウロウロ、ものものしい雰囲気だ。 近年、人と物資の移動が増えて、確実にメルコスール経済圏が動いている証拠であろう。 注意してみていると日本人観光客には比較的に穏便に対応しているようだ。 インカ道の果て インカの道がマチュピチュ遺跡のあるペルーから・・・ジャングルを通り、ボリビア・アルゼンチンを経てこのチリにまで延びていたとは・・。この道は、金鉱石や金細工・革製品が行き来した物流の道だ。専用車からも岩山の中腹にインカ人の作った石垣の道が見え隠れする。 昨年3月、クスコのオリァンタイタンボ駅からビスタドーム列車に乗り、104m地点からマチュピチュ遺跡に登った。その道はアンデスの山の中腹にくねくねした秘密のインカ道だった。その折の足の感触がよみがえる。感慨深い。 アンデスの山々は3000mの高地、緑はないが硫黄や銅など鉱物資源が豊富なのだが、掘削技術と資金が不足しているという。 コンドル かつてアンデス山中に多く見かけたコンドルが近年、激減しているという。えさにしていた小動物が減っているのが原因らしい。生態系が変わってきたのだろう。 3000mの上空に悠々と舞い、羽を広げると3mにもなるコンドルはアンデスのシンボルでもある。そういえば、マチュピチュの遺跡にもコンドルを形作った遺跡があった。 チリの首都サンチャゴ チリ人はイタリヤ・ユーゴスラビアなどヨーロッパからの移民が多く生真面目で時間を守る気風があるという。夕刻にホテルに到着、友人のお友達がご主人と面会に来てくださった。 翌日、6時30分ホテルを出発、マゼラン海峡に出る。緯度が高くなるから気温が低くなり、重ね着を用意した。 チリ国は、南北に4270km,東西に180kmという細長い国、よく2枚に切断した地図が使われるというのも納得だ。イースター島もこの国に・・ 乾燥地帯で地下資源に富み、近年、銅鉱山が開発が進んでいる。サンチャゴ空港からマゼラン海峡に面した街、プンタア・レーナスに到着。街の名前は“岬の先端”という意味で、パタゴニア南部最大の都市だ。プンタ・アレーナス市内にあるアルマス広場などを観光、いよいよ、マゼラン海峡を望む展望台に立つ。色とりどりの街並みの向こうに横たわる青黒い海峡! マゼラン海峡に向かって右が太平洋へ、左が大西洋につながっている。マゼランは大西洋から太平洋に航海している。1520年当時、この海峡を通過する船が寄港し発展を見たが、1914年、パナマ運河の開通で徐々に衰退していった パタゴニアの風 ここにも異常気象が発生、例年は夏でも15度C~16度Cなのに、昨年は27度Cに上昇した日があり、全く雪のない冬もあったという。 4日前、瞬間風速94mの強風が吹き、アルマス広場には人が飛ばされないようにつかまるためのロープが張られたらしい。そんな風でも屋根が飛んだりしない。カテドラルを中心にスペイン風の街づくりがなされている。これがパタゴニア風・・ フェルデナンド・マゼラン=1480年、ポルトガルに生まれる。 12才から、ポルトガル宮廷につかえるが、再度の遠征で負傷する。違う職務を願い出て、国王の怒りにふれ、スペインに追放される。 航海にあこがれ、熱心に研究していたマゼランは世界を一周して、地球は丸いということを証明しようと計画、スペイン王のカルロス1世に認められた。1591年、航海に出発、途中船員の反乱なども乗り切り、ついに、マゼラン海峡を発見し大平洋に入った。 1521年、フリッピンのマッサワ島で奴隷のエンリケと島民の言葉が通じたことから、西回りで世界を半回したことを知った。マゼランは島民との戦いで死亡するが、部下のピガフェッタの指揮で一行はようやくスペインに帰国、世界一周を果たした。マゼランの功績はピガフェタによって後世に伝えられた。航海の途中に「南十字星」を発見した。他に星雲も発見しておりマゼラン星雲」と名がつけられている。 パイネ国立公園 プンタ・アレーナスから350キロを専用車で移動。パイネグランデ・…はくっきりと勇姿を表し、泰然と構えて待っていた。 途中にオトウェイ湾のペンギン・コロニーを見物 マゼランペンギンの体長は約45セーンチ、ここに毎年、産卵し子供を育てるために南極やチリ北部からやって来る。冷たく波高い海で魚をとってきては子供に与える。陸地では視力が効かないらしい。側の人間にも気がつかずに列を作ってユーモラスに両の手でバランスをとりながら歩いてゆく。しかし、水中では視力が3mとよく見えるという。他にも、ニャンドウュ・フラミンゴも暑さを逃れてこのオトウェイ湾にやってくる。 この日の昼食はパタゴニア名物の羊の丸焼き、焼いている現場を見せてもらい写真撮影。広い大地をバスはパイネグランデビューへ パタゴニア氷河・・資料より 「 南極地域以外では南半球最大の氷塊である、チリとアルゼンチンのパタゴニア氷原から流れる氷河は、地球上の氷河の中で最も速く融解している。ここでは過去7年間、毎年42km3の氷が失われているが、これは東京ドーム3万4千個分の量に相当する。米国航空宇宙局(NASA)とチリの科学研究センター(Centro de Estudios Cientificos)の最新調査 (1) によると、パタゴニア氷河の融解は、今日、山岳氷河に起因する海面上昇の約9パーセントに相当し、その融解速度は増しつつある」 このように説明される氷河に今日向かう。 6日目=パイネ国立公園のハイキング初日、パイネの大滝を上から見る、氷河の水はどこもグレーシャーブルーだ。白や黄色の花が多い。やはり蛾が受粉を助けるのだろうか? 午後は南極ブナの林をぬけて、グレー氷河から吹き付けるパタゴニアの風は猛烈だ、しっかり足を踏ん張らないと吹き飛ばされそうになる。砂利交じりの砂浜を歩いて半島の上に出た。 人が青く色をつけたような氷河の塊が数個湖に浮いている。大きなのは縞模様に色が濃い、グレーシャスブルーの原点のようだ、各地で私が見た氷のかけらを見たが、この氷河の色は格別に見える。 オフホワイトのスーツを飾るスカーフにしたい色だ。・・がこの色いまだに探せなくている。ハッと見張るような美しさではあるが、温暖化現象が作った哀れな芸術品にも見える。 この氷河は幅4キロ長さ28k。1997年、湖岸から10キロmのところで、10年前に大崩壊があり、徐々に後退し、今に至っているという 翌日、チリから再びアルゼンチンへ国境を越える。 専用車でチャルテンに400km以上の移動になる。 車窓から見えるのは荒涼とステップといわれるわずかに茶色の草を残した原野だ。 数時間 走っても変わらない南米最果ての地をバスはひたすら北を目指す。 チャルテンに2日滞在して、フイッロイ山を真近に眺望しながらグレイ湖へハイキング・・グレイシャス氷河をズームする。ブルーの色が濃くなった。 チャルテンに2日滞在、フイッロイ山(3405m)を真近に眺望しながらグレイ湖へハイキング・・グレイシャス氷河をズームする。フイッロイ山(3405m)もセッロトーレ(3102m)も氷河を抱き、天を突くように聳える名峰だ。 フイッロイ山(3405m) パタゴニアはどうして風が強い? 「人が居住する地球上で最も風の強い地域」と言われているパタゴニア地方。 北と南ではどうしても温度差が生じてしまう。温度差の一番程度の激しいのが,中緯度地方(35度~65度)である。これが原因で偏西風が吹いている。北半球では陸地が多いため、この偏西風にブレーキがかかるが、南半球では陸地が少ない.2つの大洋を吹き抜ける偏西風はその力を失わず、南半球の中緯度地方を西から東に吹き抜けている。 この偏西風によって湿った空気が、アンデス山脈にさえぎられ、雨雲が届かないためにパタゴニア方面は乾いた風だけで、年間降雨量は150mmと少ない。30%が林、70%がステップ(コイロンの草原)である。 日本風にいうと風速何十メートルなのか? 轟音の風の音で目が覚めた。屋根が吹き飛ばないのかと・・?ここのホテルは家族で夏季だけ営業しているロッジ風のものだ。 朝には風は静かになり、雨粒がポチポチ落ちてきた。街並みに何の変化もない。鉄塔も街並みの屋根も看板も・・。強風に強い設計がなされているという。この技術、台風銀座といわれる日本の建築物に何とかならないものか? レオナ川からアルヘンティナ湖(乳白色の氷河湖)さらにサンタクルス川に流れ出た氷河の水は大西洋に流れ込む。徐々に塩分を薄めて自然のメカニズムは機能している。 北から南に延びるアンデスの山脈、悠久の時を経て黙して鎮座する、氷河を乗せた峰々に魅了される。人間が小さく見える。 フィッツロイ山を間近に見る展望ポイントまでハイキング。 南極ブナの森の中を歩いて・・マゼランキマツツキに遭遇、音をたてて樹木の中の虫を探していた。 氷河国立公園のリゾート地、尖った屋根は雪対策。瀟洒なこじんまりしたホテルがあちこちに建設中・・。何台もの観光バスがペリトモレノ氷河に向かう。 パタゴニア原野がどこまでも続く。なだらかなコクロンの草原と石、低いセネシオステップ地帯の隆起が果てまで続く・・・。この景観は、モンゴルの草原モロッコの砂漠を混ぜ合わせて出来たかに見える。車窓に見える小高い丘は、氷河期を繰り返し、氷河の異動で押し出され隆起してできたものだという。 パタゴニア氷河 Glaciar Perito Moreno 折よくクルーズ船にすぐに乗れた。氷河を真横から見られるように近づき、Uタウンする。崩れる瞬間を目撃して手を叩き歓声を挙げて喜ぶ観光客・・。1時間のクルーズの後、それぞれ好きな場所で2時間の崩壊見物・・・私も40分ほどの間に、大きな崩壊を3度目にした。その筋の資料によると近年温暖化で崩壊の頻度が増えているという。 氷の崩壊をひたすら待つ、カラフルな防寒具を見ながら、100年後を生きる人々は「昔ここに氷河見物に来たものだ・・」というのだろうか。 氷河を上から見られるポイントまでマゼラン島を45分ほどトレッキングした。ゴツゴツした石や縦横に傷ついた岩盤を歩く。上から見ると何万年も前に、角が突き出たように見える。それは寒天のように下から突き上げられてできたものだ。新しい氷は下へ下へと入り込む。クレパスもそこそこに見られる。 氷河とは、雪が積もり消えずに残り永い期間に圧縮され氷塊になり、数万年を経て中の空気を押し出しながら、上に降り積もる雪の圧力で動いてゆく氷の棚のこと。どれほどのエネルギーが発生するのだろう。氷の塊は大地を抉り、悠久の時を経て下に下にと押し流しながら、V字谷やU字谷をつくって行く。圧縮された氷は空気を含まずに、光を反射するから青く白く見えるという。 青い色は波長が短く氷に吸収されないのであのような色に見える。ネイビーブルーのように濃いブルーは空気の圧縮が強いところだ。 氷河は動く時に大地の岩盤を削り取ってゆく。やがて岩が石に砂利に細かい砂になり、粒子になる。粒子に含まれるミネラル分が光に反射して、氷河湖の水はあのように乳白色に見える。そういえば氷河の麓にはたいてい乳白色の氷河湖が見られた。 ペレト・モレノ氷河の名前の由来は、アルゼンチン出身の自然科学者(パタゴニアの自然を研究)フランシスコ・パスカシオ・モレノ氏の功績を称えて名付けられた。表面積257Km2,高さ50~70m、幅2km、奥行き14km、総面積257平方km.(ヴェィノスアイレス市と同じ、中央部は毎日2m、両側面は毎日48センチ年平均500m、前進して動くという。 青いペンキを塗ったようにより一際、濃く見えるところがある。横に走る黒っぽい線は、数万年前に雪崩や風に運ばれた石がそのまま閉じ込められたものだという。 よく崩壊するのは動きの激しい中央部で柱の塊ごと前に倒れ轟音とともに湖面に沈む。同時に湖面から水しぶきが高く飛まつし、大波が四方に動く。 過日,アルヘンチーナ湖からの水蒸気が上昇し、冷たい空気と接して初めて雷が発生し落雷があったという。異常気象の兆候と云われている。「かみなり」はこの地域の住民は初体験のことで恐れおののいたとか・・。 世界の果て 最果てのウシュワイヤ、カラファテ~フェゴ島まで1時間のフライトでいよいよ世界の果てへ・・1992年、アルゼンチンの第23番目の州、フェゴ州となる。このあたりまで1100m級のアンデス山脈が続いているとは驚きだった。 標高が低くても雪と氷河をいただくのは、やはり、南緯55度地点だ。南極大陸まで1000km、南極地点まで4000kmの地点に立っている。 ウシュアイア」とは西を向いた弯という意味で、想像していた以上に整然とした美しい街だ。1920年、宣教師サレーシャンが原住民に織物を教えたことで知られ、金鉱石が発掘される。当時、1000人程の人口が現在6万人のリゾート地に・・。ヨーロッパから多くの人が押し寄せる。この島にティエラ・デル・フエゴ国立公園があり198種の鳥類がいる。 南極ブナのレンガの樹木が多く茂っている、30メートルにも生育し、パタゴニアの住宅の資材に使われる。同じ南極ブナのニレは低木で真っすぐに育たないから暖房用の薪になる。 ビーグル水道クルーズ 2時間半のクルーズを楽しむ、平均気温3度と聞いていたがさほど寒くない。フェゴ・レスエクスエノス灯台を廻って戻るコースだ。左にアルゼンチン、右にチリ領を見てクルーズ船は西へ進む180キロで大西洋、東へ180キロで太平洋に出る。 途中にペンギンに似た「う」が群れになって島を埋めている。次に現れた島にはアシカの群れが・・・オットセイも船に向かってポーズをとる。曇り空に青い海に白波が立っている。今、このビーグル水道は観光船のみで貨物船の行き来はない。貨物船はマゼラン海峡を通る。甲板の風は強い。席の先にスペイン人の素敵なご夫婦が乗船され、英語でコミニュケーション。ツーショットでカメラに・・・   フェゴ島 ここの産業は金・石油・天然ガス・漁業・観光業だ。TAXフリーの政策でここに電化製品の工場が誘致され、日本のソニー・サンヨーの工場が入っている。 天然ガスが採掘されるのでエネルギーは首都の半値、ガソリン1リッター40円、ただし、ほかの生活物資はマゼラン海峡や陸路国道3号線で運ばれるので高価になる。その分、給与はヴエーノスアイレスの2倍の800ドルが平均、15歳から35歳の人口が30%の若い街だ。 従来、平均気温が13度ほどであったが昨年の夏、23度~24度に上昇した日があり、この地方も徐々に平均気温が高くなっている。50年前には全く考えられなかった異常な現象だと現地ガイドの説明。 フェゴ島は「火の大地」という意味だという。それは、マゼランの艦隊によって発見されたとき、この地に住んでいた原住民族が寒さを避けるために夜間も炊き続けた炎が見えたからという説がある。 流刑地 このフェゴ島に1896年~1947年まで、流刑地としての刑務所があった。流刑者の手によってつくられたこの街は1930年代には500人程度の人々が住んでいた。 日本の沖ノ島のように世界の果ての街つくりをしながら、荒涼としたこの海をどう眺めたのであろうか?今のウシュアイアに当時の影はない。 フェゴ島の島にもアンデスが連なっていて、氷河を頂く、地球の成り立ちを彷彿とさせる。 最終の観光地は山上のホテル、眺望は抜群で添乗員の和田さんの勧めで、坂道を2キロ、展望台まで歩く。帰りには和田さんとジョギング・・最後のソウメン晩餐の用意のためだった。日本の懐かしい味覚に感動!! 午前中、アルゼンチン側の国立公園をバスで、歩いて観光。ビーバーがせき止めて出来たダムやそこここに遊ぶウサギを見ながら南極ブナの樹林帯を散策した。 最南端の島に国際空港がある。フェゴ島の空港から首都ヴェノスアイレスまで3250km。午後私たちが飛ぶ。 空港から3時間遅れで出発、ヴェノスアイレスで5時間の待ち時間があったはずが、乗客が立て込み、アメリカ入国検査が厳しく北米経由地マイアミに着いた時には既に、乗り継ぎのNW機デトロイト行きは出発した後だった。