タクラマカン砂漠縦断・シルクロード・・その1

 そこはアジア・ユーラシア大陸の中心にあり、氷を載せた山脈に囲まれているという。 高い山に囲まれたタクラマカンという砂漠は、日本の総面積と同じ広さ33万平方キロ。  雄大で奇異な砂の台地は、シルクロードの名と共に、古来から謎めいて語られてきた。 是非、訪ねたいところの一つとしてあたためていた。 今、問題にされる温暖化・気象変動は、黄沙の源のこの砂漠にどうかかわっているのだろうか?2007、07.05月、このあたりにもテーマを据え、私の「タクラマカン砂漠縦断の旅」が始まった。 <新疆ウイグル自治区>  中国で海から最も遠い地域にある。中国の総面積、960万平方kmのうち、6分の1の166万平方kmが新彊自治区だ。東北にモンゴル、西北にはロシア・カザフスタン・キルギススタン・タジクスタン、南はアフガニスタン・パキスタン・インドと隣接する地域だ。日本の4倍、イギリスの7倍、フランスの3倍以上と聞けば、その広さに圧倒される。  新疆の人口2000万人の内860万人の46%がウイグル族。他に、カザフ族、モンゴル族、カイ族、キルギス族・チベット族・トケツ族など13の少数民族がたくましく暮らしている。  近年、都市交通が整い民族の移動が盛んになった。空路が59路線、鉄道1000km、そのうち最大は南疆鉄鉄道で1999年12月にウルムチ→カシュガル間1480kmが開通し、ハイウエィーも整備されている。 広いだけではない。標高差もある地域だから旅の準備には夏・秋・冬の衣類を整えたほどだ。 新疆の「疆」の字、弓は戦争を中の土は土地をあらわし、一は山脈を示し、アルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈を、田は盆地を表し、ジュンガル盆地とタリム盆地のこととガイドの説明。なんというスケールの大きさ、難解だった漢字がこれですっきり腑に落ちた。  成田空港から西安まで5時間弱・・時差を1時間戻した。国内線に乗り継ぎ3時間のフライトで万年氷河を載せた天山山脈が右に見えた。やがて飛行機は山脈を左に越えてウルムチ空港へ着陸。茜色の夕焼け雲が黄沙に消えていた。 新疆自治区の首都はウルムチ、ウルムチとはウイグル語で「美しい牧場」という意味らしい。砂漠が多いのに、ここの産業の80%は農業(米、綿花、ホップ、ぶどう、杏、イチジク)近年、油田探索が進められ、各地で石油産業が拡大していた。 今、中国は「西汽東輸」という政策で西域開拓に力を入れている、新疆で豊富に産出される石油を東に送るという国策だ。多くの内陸の大学生もこの地域の石油関係の業務に就いている。北京・上海に次ぐ給与で厚遇されていると聞く。  三つのシルクロードの起点ハミ中国の喉といわれ、ここからのシルクロードはローマに延びている。その長さは7000kmと記録されている。 ◇西域南路=ハミ・・ニヤ・ケリヤ・ホータン・ヤルカンド・カシュガル→インド→アフガニスタン→ローマへ ◇天山南路=ハミ・・トルファン・コルラ・クチャ・・・カシュガル→キルギス→イリ→ローマ ◇天山北路(草原ロード)・・ハミ→パリコン・ジムサル・イーニン→キルギス・・ローマヘ。まさにすべての道はローマに通じていた。                      ウルムチ市街               デパートの開店を待つ行列  翌日・・・・ウルムチ→天山山脈東部の最高峰、ボゴタ峰の中腹にある氷河湖「天池」をミニクルーズ・どこでも見られた観光客相手の土産もの押し売り現象は今も変わっていない。 ただし、10年前よりは明るく見えるのは気のせいだろうか。    ウルムチ市街地は民族文化の融合が息づき活気がある。新時代に駆け足でそのベールを脱いでいる感が・・。人の動きが早い、あふれる車・建設中の建物が林立し、溢れんばかりのエネルギーだ。  ウイグル博物館で4000年前のミイラ「楼蘭の美女」に対面。他に3800年前の子供のミイラも展示されていた。 ニヤ遺跡(日本の小島氏が私財を投じて発掘)の小河墓地から出土したニュースはNHKでも放映されている。年間降雨量16mm、年間蒸発量2500mmという乾燥地帯はさながらミイラの産地といわれ、各地で発掘された200体がこの博物館に保管されている。 <民族の十字路、カシュガル> 夜、空路、カシュガルへ移動した。 西域南道からシルクロードをヤルカンド→ホータン→ケリヤ→ニヤとオアシスの街を辿り、ニヤからタクラマカン砂漠公路を縦断するコースのスタートだ。  元ソビエト領事館の後を改造したカシュガルのホテルに着いたのが午後10時を過ぎていたが日没が遅い、露店にシシカバブの売店の煙がたちこめている。中国人とは思えない鼻梁の高い顔、目の細い丸顔の漢民族、ロシア系・キルギス系とそれぞれの言語と文字を持ち、民族のるつぼだ。若者が多いが高齢者も目立つ。ぽつねんと所在なさそうに路上にたたずむ老人も・・・ 翌日もカシュガル滞在=世界の屋根、パミール高原へ、国道314号線はウルムチ→パキスタンまで1990kmに延びている。 天山山脈、コンゴル山脈、カラコルム山脈・ヒマラヤ山脈・シントク山脈の5つの山を称して世界の屋根、パミール高原という。4000m級の標高では山に名前が付かないという。K2もカラコルム山脈に入っている。                   黄沙のキルギス族の村 止まない黄沙>  朝から砂が市内を覆い全く視界が利かない、どんよりと曇って雨の前のようだ。風はない。例年黄砂のシーズンは4月中旬から下旬までの2週間なのだが、今年は1か月も続いて長引いているという。ホータンの方からタクラマカン砂漠を吹く風が気流の変化で異常をきたしているらしい。 40名乗りのしっかりしたバスだが車内に置いたペットボトルまでがざらざらしてくる。マスクを付け、サングラスをかけ、帽子・スカーフで頭を覆うという異様な格好だ。いつしか、口を詰むんで鼻呼吸の癖が付いた。徐々に咳をするメンバーも増えている。 <世界の屋根へ> ゴビ砂漠を駆けて、標高3600mの氷河湖・・カラクリ湖までドライブ。この辺りで高山病になる人もいるが今回のメンバーは大丈夫だ。風が強く黄沙が舞い飛び、視界がぼんやりしている。湖の後方にコングール山、ムスターグ・アダなど7000m級のパミールの雄姿が仰げる筈であったが、まったくの幻影になった。日中の太陽もぼんやりで輪郭がはっきりしない。これでは紫外線も届かず日焼けも避けられるだろう。  そういえば、このすぐ隣はアフガニスタンだ、北にタジキスタン、南のカラコルム山脈を越えるとパキスタン・インドに続く。世界の屋根を切り開いて道路が整備されている。かつて法典を求めて玄宗法師が辿った道だ。  ゴビ砂漠に入る、石と砂利と砂の平原が続く、わずかに植物はタマリスクとラクダ草など、やがて切り立った峻厳な岩山が延々と続く。赤い岩と山は鉄分を含み、側を流れる川も赤い水だ。黒い岩山は石炭だ。この地域に資源は豊富だが採掘する技術がない。  色彩を排した無機質な風景がどこまでも続く。ウイグル民族の住む西の果てを過ぎるとキルギス族の住む地域に入った。ヤギ・ヒツジを放牧している。道路を占領して悠々と歩いていた。  整備された2車線の道路を人も馬車も牛車も自転車も自動車も走っている。 オアシスの学校近くでは道路のスピードを抑えるために盛り上がり地帯をつくっている。徐行の標識をつくっても誰も守らないからだそうだ。  天山山脈は東西に全長2000km、幅300kmの万年氷河を頂く山並みが砂の台地から眩しく見えた筈なのだが、ここからの眺望も黄沙に阻まれた。  近年の温暖化現象はこの雪解け水を大量に流し、道路を決壊させている。2008年、北京オリンピックまでに修復を急ぐ光景に何度も出会った。  この水はミネラル成分を多量に含んでいて、周辺ではコシヒカリ並みのおいしい米が採れるとは現地ガイドの説明。温暖化で降る雪が少なく、溶けて流れる水が多くなると・・・これから先の心配も。 <資源開発、原油・天然ガス・石炭・鉄>  カシュガル地域はどこも油田の上にあるらしい、中国石油(ペトロチャイナ)のガソリンスタンドが至る所に見られた。石油産出地だが原油からの精製はごく一部で、多くは原油のままタンクローリー&パイプラインで内陸に送られている。従って産油地でありながらガソリンの値段は高い。言語・宗教・文字は違えども公用語は中国語だ。山に地下に埋もれる未開発の鉱物資源は計り知れない。早晩、このエリアに経済の論理が入ってくるのであろう。中国の国旗がはためいていた。  道路の側溝に光ファイバーのケーブルを埋設するパイプが並べられていた。 電子通信のインフラ整備が加速している。この僻地の民族の村にも世界を小さくするツールが入り、徐々に文化を変えてゆくのだろうか?数日前の新聞報道では、シリコンバレーのVC(ベンチャー・キャピタル)の投資マネーが中国向け53%増と報じていた。  しかし、上下水道インフラは手付かずのままなのだ。そこで私たちはたびたびの青空休憩を体験することに・・。来年、8月には北京オリンピックが開催される、この道路をユーラシア大陸の各地から多くの観光客が往来するのだろう。それまでに下水道が間に合うとは思えなかった。 翌日・・・カシュガル滞在 カシュガルは中国最西端にあり、シルクロードの要地として栄えたオアシスの街。西はパミール高原、南はグジラ河まで、北はタクラマカン砂漠、西側との交易があり、特殊な文化と彫刻・工芸品などが盛んだ。 職人街(楽器や工芸品)を散策、まさに職人の街だ。楽器や織物、木工、刃物類など鉄器・タイヤなど手作業の職場兼即売店になっている。これがバザールで売られる、中に木工技術を8歳ぐらいの子供に教えている親子がいた。 20万人のバザールで迷子に・・>  新疆最大のバザールといわれる日曜バザールへ・・20万人が日曜日に集まるというバザールは広い。ここには「鶏のミルク」以外は何でも売っているという。カラフルな布は整然と大量に陳列されている、周辺のオアシスから家族で馬車に乗り、1週間分の必要な生活用品、祝い事の品々や民族衣装を買いに来るのだという。  入り組んだ通路が迷路のようになっていて、この人込みで迷子になったら大変と思いながらも・・なんと私が迷子になってしまった。買い物に興味のない私は、集合場所がこの直線この方面だからとのガイドの説明で先に動いたのが間違いだった。言われたところに集合場所がない。(実は次々に簡易店舗が出来て様変わりしていたのだった)あせって探すが集合時間だけが気にかかる。  この人ごみではウイグル語しか通じない、日本語はともかく英語もまったく通じない。むやみに動いてもだめだと気が付き、電話機の置いてある場所を探した。ホテルに電話して現地ガイドに連絡してもらうのが先決と気が付く。ホテルの電話に出たのもウイグル語、何とか英語で自分の名前・ツアー名・ガイド名と今いる場所を汗だくで伝えた。ホテルのご主人にタクシーで迎えに来てもらうという顛末に・・・グループメンバーの時間を空費してしまってひたすら謝罪!迷子初体験だった。  翌日・・・カシュガル郊外にある「モロ仏塔」へ→平山郁夫の世界が砂の真ん中に残されていた。物言わず土の塔が砂の平原に・・嘗てオアシスで栄えた街は砂の中に、はるかに白っぽく外堀の壁の跡と貯水池の跡が見えた。イスラム教徒が仏教徒弾圧のために水流を止めたのだといわれる。また、1600年、唐の三蔵法師が立ち寄って滞在した跡という。少し離れて烽火(のろし)台が残っていた。当時のオアシス、カシュガルの在ったところだ。他国からの侵入を知らせる軍事情報として使われていた。このようなのが各地に残っている。 カシュガルからヤルカンドへ180kmの砂漠を走る。 1999年に開通した南疆鉄道の線路がまっすぐに通っている。カシュガル→ウルムチ間を1日2往復、2週間前にはチケットが完売されるという。 ヤルカンド王陵・・・その昔、ハン王国の王宮あったところの今は、陵墓と監視台のみが雑然とした喧騒の中に・・・。

タクラマカン砂漠・シルクロード・・・その2

<ホータン> 専用バスは、ヤルカンドから国道315号線をホータンへひたすら走った。乾燥地帯に根付いたポプラの並木が美しい。 バスは大揺れに横揺れする、背中の天然マッサージの道だ。ホータンは、タクラマカン砂漠の南西にあり、シルクロード西域南道の一大オアシス都市であり、東西貿易の中継地点として栄えた。人口18万人、うちウイグル族・イスラム教徒が95%を占める。現在でも当時の面影をのこす絨毯織りや絹製品工業が盛んである。  ここには桑の畑が多い。やはりシルクロードだ。丁度、白いグミの実をつけていた。実は食材に、葉は蚕からシルクに、枝はパルプに、幹は楽器にと実に利用価値の高い樹木だと知る。この土地の最初に桑を植えた探検家は帽子の中に桑の種を入れてきたと伝えられている。 繭を糸につむぎ、糸でくくって自然の染料で染める。本物のシルクの柄は伝統の古代模様に・・。織り機の前の若い女性たちが手さばきよく織り上げてゆく。長さ6.3mが基準になっているそうだ。着尺を買うと2枚が必要になる。日本円で買えば2~3万円台からそれ以上も・・ 絨毯もここの重要な産品だ。一日数センチしか織れない大作もグループで割り当て分をこなしていた。20人で1年間かけて仕上げるものもあるという。   <ホータンの玉> 古来より中国の歴代王朝の人びとによって愛でられた玉(ぎょく)のなかの玉「崑崙の玉」の産地として名高い。  日立のショベルカーが何台もホータンの河原を掘り起こして「玉」を探索している。大きな精度のいいものを見つければ数千万円?折から、2008年北京オリンピックのメダルに決まったとか、この作業に出かける若者は一台の三輪自動車に十数名が乗って観光バスにニコニコ笑いかける。彼らの近くにはTVも新聞もなくメディアの影響を受けない。  私たちも白玉河(はくぎょくがわ)で30分間、曰くの玉(ぎょく)を捜した。探す前に現地ガイドから玉の見分け方を伝授してもらう。太陽にかざして手の指の動きが分かるように透き通ったのが価値があるそうだ。炎天下の中で「われこそは・・・」と探し始めたがそう簡単ではない。たくさんの観光客が探した後では無理もない。私は玉でなくても記念になるきれいな石でも・・・と川原の水場に座り込んでいた。そこに「玉(ぎょく)・・・」と子供や土地の女性たちが小さなものを売りに来た。メンバーの一人は女性の小さな玉と口紅と交換していた。どの国の女性もきれいに装いたい思いは同じだと愛しく思えた。 翌日・・・ホータン→ニヤ(民豊)へ ホータン郊外観光=漢代ウテン国の首府、マリクワト古城遺跡。 カメラ持ち込み料10元を支払う、砂漠の中に取り残された遺跡はイスラム教徒との戦いに負けて消えた王朝の跡だ。崑崙山脈の水流をイスラム人に止められた。砂漠に消えた都の名残りは、王宮跡、寺院跡、バザールの面影を残す土の残骸として砂漠の中にオブジェと化していた。 音も色彩もない。三蔵法師がインドからの帰途、半年間を過ごしたところだという。 ケリヤを経由して民豊(ニヤ)へ・・・ホテル事情がよくないが地域がら致し方ない。  ニヤ有名な「小河遺跡」が発見されたところだが一般人の観光は難しいという。 翌日・・いよいよ、ニヤ→クチャへ「タクラマカン砂漠縦断 今日は、12時間で700kを走る。砂漠公路552kmが1995年~1998年に完成している。立派な道路だ。世界の104人の専門家が研究の上に完成した砂漠の高速道路という。 豊富にある砂とタマリスクなどを配分よく混ぜて造られた道は揺れも少ない。まっすぐで広く美しい。 実際の「砂漠公路」は485km入り口と出口の標識があるが料金所ではない。「砂漠公路(525k)は中国石油会社(ペトロチャイナ)がパイプラインを埋設し原油を送るために造った道路で通行料はフリーだ。新疆地域に豊富に産出される原油・天然ガスを内陸の上海まで輸送している。道路に原油用と天然ガス用の2本のパイプが埋設されているとのこと。沿線にペトロチャイナのガソリンスタンドの看板が目立つ。タンクローリーの往来も頻繁に・・。南疆鉄道にもタンクローリーだけの貨車が連なって走っていた。この道路の管理運営も中国石油が行なっている。 この道路は4.5km毎に、ポンプホームという4坪ほどの青い屋根の管理舎が108ケ所設置されている。3月から11月までの間、夫婦2人で両サイドの緑化に携わっている。 日中、4時間おきに地下の水をモーターで吸い上げ、パイプで水をやる作業だ。自分の持ち分エリヤの植物や木々が80%に枯れるとお給料が減額されるという、コヨウ・タマリスク、セキセキ草や砂ナツメなどの生育保存に努めるのが役目だ。水と一緒に肥料も入れて灌漑している。この仕事は夏の間だけで1年分の給料(1ヶ月800元)がもらえるが応募者は多くないという。電気はあるがラジオだけ、食料品は週2回、管理会社が配布してくれる。娯楽も人との対話もない生活は楽ではないだろう。とあるホームの奥さんにお会いした。 数本の細いゴムのパイプの水が樹木の命、根付くとタマリスクは地下13mにも根が伸びて地価の水を探して繁茂する。中には小高い山になって100年も生きているのも多く見られた。生命力の強い砂漠の低木だ。タマリスクは高速道路を造るとき煉瓦と砂に混ぜて使われると葉先の細い砂漠の草だ。  ヘラでえぐったような砂の隆起が地平線の果てまで続く、風紋の形で西から東への風向きがわかる。遠くに噴水のように見えたのは砂嵐だった。細かい粒子は車内に持ち込んだ荷物まで砂まみれ、髪の毛の中もおしてしるべし、マスクもさほど効果なし、なるべく鼻呼吸に努める。乾いた咳をする人が増えた。 盆景さながらに風が作る風紋は砂の芸術品だ。33万平方kmは広い。数時間走ると景色は微妙に変わる、当局が進めている、ストップ・ザ・砂漠に係わらず、かれて行く植物がそこここに見られる。乾燥で部屋に干した衣類の洗ものも数時間で乾く。体も日干しになりそうで水を再々のむ、それは喉の埃を飲み流すためでもある。 砂漠公路の終点近くにタリム河があった。 カラコルム山脈のK2(8611m)を源にするヤルカンド河と、崑崙山脈を源流にするホータン河と天山山脈から流れるアクス河がタリム河に合流する。最後は楼欄城郭の近くロブノールという湖に流れ地下に消えたといわれる河だ。ロブノール湖はさまよえる湖として移動する内陸湖といわれ、タリム河の水を地下に沈め、今なお謎を秘めて語られる。  この道はシルクロードではない。この道路ができる前にイギリス人、スタインは1895年にはじめてこの砂漠を横断している。  温暖化現象はこの地にも例外ではない。33.7万平方kmの砂漠も拡大が進んでいる。国策として止める努力はしているが、例年だと過ぎているはずの砂嵐が今年は今だに治まらない。やはり、気流の変化と温暖化現象と無関係ではないらしい。 小さくなるオアシスと枯れてゆく樹木に追いつかない現状だ。 各山脈からの氷河の雪解け水の変化は、地下水に頼るこの地域の将来へどう影響してゆくのだろう。            樹齢1600年のコヨウ(ポプラ科) コヨウの樹木は「生きて1000年、倒れて1000年、枯れて1000年腐らず」といわれる。樹齢1600年の巨木も大切に保護されていた。そして、ミイラの棺桶になって1億年も残ると・・・何億年もの時間は地球上の自然に見事な順応力を作ったのだと思った。コヨウといい、タマリスクといい・・しげしげと見つめた。 青ぞらトイレも数回経験。公衆トイレより快適だ。みんな元気で12時間、700kmのタクラマカン砂漠を縦断した。ドライバーと車に感謝。夜、遅くに昔、亀磁国として栄え天山南路の要衡地クチャヘ到着した。

タクラマカン砂漠・シルクロード・・その3

翌日・・・クチャ滞在・・ キジル千仏洞=1・5万平方kmの広さを持つ、古代キジ王国といわれ、清の時代にクチャと改名,西域36ケ国の大国だった。 この王国に699年三蔵法師が立ち寄っている。南北200km、石炭・鉄が産出され、トウモロコシ・小麦の農産物や胡桃・ブドウなど・・天山南路の中部に属し東西文化の融合地である。遺跡の発掘で3000年前の人間の生活が解明されている。当時、キジ王国の人口8万人、そのうち僧が3万人。民衆は供養する人の負担に耐えられなくなり、イスラム教に改宗していった。当時の烽火大や監視台が軍事国の名残を残す。 3-7世紀仏教文化が栄え、長安に負けない都市計画の跡が見られる。 <鳩摩羅什> 千仏洞の入り口に法華経の訳で知られる鳩摩羅什の像が建っている。哲学を語るように細見の石の像は往時をしのばせる。 以下、天台宗、広済寺資料より {西暦350頃~409年。「羅什」とも略称される。中国の南北朝時代初期に仏教経典を訳した僧。インドの貴族の血を引く父と、亀茲(キジ)国の王族の母との間に生れた。7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始経典や阿毘達磨仏教を学んだが、大乗に転向した。主に、中観派の諸論書を研究した。384年、亀茲国を攻略した呂光の捕虜となり、以後18年間で涼州での生活を余儀なくされた。のち、401年に後秦の姚興(ヨウコウ)に迎えられて長安に入った。以来、10年足らずの間に精力的に経論の翻訳を行うとともに、多くの門弟を育てた。東アジアの仏教は、鳩摩羅什によって基本的に性格づけられ方向づけられたといってよい。 鳩摩羅什と『法華経』 3種が現在に伝わっている。なかでも、鳩摩羅什が訳した『妙法蓮華経』は名訳であり、この『妙法蓮華経』は中国の隋の時代の高僧である天台大師智顗(538-597)の法華経中心とした仏教へとつながり、日本の伝教大師最澄(天台宗)や日蓮聖人(1222-82)の仏教へとつながる。また、天台大師智顗とほぼ同じ時代、日本の聖徳太子(574-622)も羅什訳の『妙法蓮華経』を読んで有名な『法華義疏』を著作された・・・・・} とある。 キジ国は隋のはじめトケツ民族を滅ぼして安政仏教文化時代に敦煌文化を作った。 その後、チベット・トバ・カイコツ民族の仏教文化が続いたが、12世紀、モンゴルがカイコツに滅ぼされ政治不安を起きイスラム教に改宗され、1200年の歴史が消えてゆく。 背景に供養する僧の数が増え供養義務に耐えられなくなって改宗したとも言われ、偶像崇拝を嫌うイスラム軍がキジ千仏洞の壁画の仏像の顔や目を抉り破壊した。また、金箔は現地の民族がはぎとっていった。四角に切り取られた跡は外国の探検者や研究者に持ちさられ、一部はその国の博物館に展示されている。 クズルガハ烽火台=漢代、異民族の来襲を睨み、クチャのオアシスを見下ろす絶好の位置これも今は砂の中だ。 天山を望む壮大なスバシ(水源、ウイグル語)古城を見学。天山山脈の雪解け水がクチャ川に流れ、古代に築かれた古城。仏塔・寺院・城壁は、日干し煉瓦の崩壊し、残骸が残されている。ここにも三蔵法師も2カ月滞在したという。 <強風で予定変更> 深夜、南疆鉄道に乗って緑のオアシス、トルファン(火州)へ向かう予定が、強風の影響で列車はストップ。急きょ、小型バスでコルラまで5時間の移動となった。 昨年、強風で南疆鉄道が横転して怪我人が出ている。それを教訓に2日間ストップすることが決定したという。ふと、パタゴニアの風速94mを思い出した。 翌日、コルラのホテルに到着。 天山山脈の峠にできたハイウエイをバスは6時間をかけてトルファンに入った、周りに緑はない、鉄の山、赤い砂の岩の間を巡法スピードで上り50km、下り50km見渡す限りのゴビタン砂漠で見慣れた風景が続く、黄沙で万年雪を頂く峰々は視界に入らない。  漆黒であるはずの夜も星は見えないという。タクラマカンの砂が粒子となって、中国内陸の工業地帯の上空でさらに汚染され日本海を飛び越えわが国に届く。 如何ともしがたい黄沙という怪物を改めて怖いと思った。 パインゴル・モンゴル自治区に属する石油の町コルラは、火力発電所、石油開発式部ある豊かで大きな町だ。内陸からエリートが入っているという。6月から8月は最高温度40度というから覚悟!年間降雨量16ミリ、年間蒸発量2500ミリ、この環境でなぜ農作物が育ち、人が生活できるのか? 「鉄門関」を観光、南新疆への通路を守る唐の時代からの関所だ。中国に26か所あるうちの一番西にある関所という。孔雀川の上流で厳しい地形に建っている。631年、三蔵法師も通過したとか、1980年に修復されている。「シンジン」の詩碑がこの関所の様子を詠っていた。 名産は香り梨とブドウ、乾燥した自然環境を利用した葡萄の乾燥庫が林立している。日干し煉瓦もこのように使えば美観である。乾燥材・防腐剤を入れて1週間で乾燥し輸出されているものもあるようだ。日本で安く買える干しブドウと聞いた。 新疆政府は3か月ほどかけ自然乾燥して出荷する模範農家を3か所指定している。その一つの農家を訪問した。330平方mのブドウ畑で600種の栽培をしていた。この農家で夕食、家族ぐるみで接待してくれる。暑いので果実は甘い。 <トルファン滞在>玄娤三蔵が求法の途上に手厚いもてなしを受けた高昌故城(高昌王朝のあと)を観光。紀元前140年、前漢の時代キクシが建立した王宮だ。 三蔵法師がインドにゆく前にもてなしを受け、ここに留まるように言われたが、3日の断食をして求法の意思の堅さを示した。それに感じたキクシはたくさんの路銀を渡し、帰途に必ずまたここに戻るように約束した。出発する前、路銀のお礼に300人の僧に1か月間仏法を講じた場所がある。三蔵法師は帰途にホータンでキクシは滅ぼされ、高昌王国は唐の支配下に置かれたことをきき、別の道を通って長安に戻っている。 シルクロードで最も保存状態の良い遺跡だ。外城・内城・宮城に分けられている。乾燥地帯のため遺跡の保存がいい。1400年前の唐のものが残されている。四方が5kmある。 5世紀に既に唐の長安に酷似した街つくりが出来ていたらしい。今、世界遺産に申請され、修復工事がすすめられていた。 *西遊記で有名な火焔山=トルファン盆地の北東にあり、東北100Km、幅100km標高500m。孫悟空がここで牛魔王や鉄扇姫と戦ったという伝説で知られている。 赤い山に植物は一本もなく、山全体に溝の痕跡がある。炎の燃焼する様に似ているからこの名前に・・。トルファンとはウイグル人の住む町という意味、ジュンガル盆地の一番低いところ、マイナス40mの海抜。火焔山は真夏、地表温度80度でナンが焼けて、砂に埋めると卵が焼けるとは・・。アスターナ古墳群、 乾燥・酷暑・少雨のために千年の古墳が500個もミイラになって保存されている。 役人の墓・商人の墓・庶民の墓の3つの発掘された古墳を見学。 ここは地下の博物館、ミイラの産地とも言われ、たくさんのミイラや出土品の多くはウルムチの博物館に収納されている。 ベゼクリク千仏洞・・ 火焔山の木頭溝壁に彫られた洞窟が77個も現存している。壁画も残っているがドイツの研究者に持ち帰られベルリンで保存されている。大乗仏教の壁画だ。四菩薩とは、普賢菩薩・文殊菩薩・観音菩薩・弥勒菩薩のことだ。 翌日・・・トルファン→ウルムチへ 交河故城=天山山脈から流れる二つの川の中州にできた城、断崖絶壁の山を削って造られた堅牢なお城だ。漢書に「車師前国、交河に都を置く。河は2本に分かれて城の下を流れ、それゆえ交河という。」と記されている。元の末期に戦禍に滅ぼされた。2000年前の城と大仏殿、民居、バザールあと、各地に井戸ができていて、東門の傍にある6つの中の一つは今も水が流れているという。大仏寺院、事務室、貯金箱、牢屋、仏塔、赤ちゃんの墓などが残されている。赤ちゃんの墓に2つの説がある。ひとつは当時疫病が流行ったということ、もう一つは戦いに障害になる赤ちゃんを殺して埋めたという説。 2000年前の光景が彷彿と浮かぶ。この日干し煉瓦の街は、いま世界遺産に申請しているという。 <カレーズ>地下に流れる天山山脈の雪解け水を効率よく取り込んで使うカレーズという仕組みを説明する展示館が出来ていた。竪穴を掘り暗渠を造り斜面を流していた。これで灼熱のトルファン盆地にどうして果樹農園ができたか理解できた。暗渠から流れる水がブドウ畑に今も利用されている。現在もトルファンに1200本近く存在している。 <風力発電> ウルムチ近くの強風地帯にアジアで一番の風力発電所が出来ていた。400台の発電機で今後も増えてゆくという。あまりに風が強すぎるときは自動的に停止する、ドイツの技術が輸入され、今では国内で調達できるという。高さが30m、プロペラの長さが15m、柱の直径が3m・・。 昨夜、トルファンに雨が降った、年間に16mというが、一夜の16ミリ降ったらしい。みんな傘なしで歩いている。恵みの雨という奇遇な偶然に遭遇したわけだ。 翌朝、いやに涼しい、2kmのあるホテル前のぶどう棚の下をジョギングした。節水の看板が立てられていた。