スリランカ(セイロン島)    インド洋の真珠  その1

ユーラシア大陸、南インドからポツリと一滴、こぼれ落ちたような島がスリランカ(セイロン)民主主義共和国だ。北海道より一回り小さいこの国に、ユネスコに登録された世界遺産が八つある。独自の生態系植生を持つ熱帯雨林と、仏教遺跡である。 建国は紀元前5世紀頃、北インドから移住した、シンハラ人が王国を創り、紀元前3世紀にアショーカの王子マヒンダが仏教(小乗仏教)を伝えたとされる。釈迦がインドから三度ここを訪ねているという。70%が敬虔な仏教徒である。 このこぼれた島と大国インドの間にあるポーク海峡(48km)は、砂洲と浅瀬で水深1~10m、大型船の航海は出来ない。イギリス&インド国は、幾度かここに運河を通しベンガル湾からインド洋へ抜けるルートを計画したが、両国の宗教・経済・環境問題の隔たりが埋められず、未だに進んでいない。この浅瀬は、釈迦が往来した頃は陸続きであったと云われる。 2011年11月中旬、スリランカを訪ねた。 往路はモリディブ(マーレ)経由で13時間のフライトでコロンボ空港に到着。 北緯5度~7度、11月の気温28度、湿度80%、モンスーン型気候、人口2千万、 主な産業は繊維産業,化学薬品、皮革製品、宝石、家具。 コロンボ 三輪車タクシーが賑やかに働いていた。 シギリヤロック 緑の原野の岩山に、要塞のような王宮が残されていた。5世紀にシンハラ王朝の王位を巡り、兄弟があらそったという。平民の女性との間に生まれた長男カーシャバと、王族女性との間に生まれた次男モッガラーナがいた。長男は王位が欲しくて父親を殺害してしまう。弟の反撃を恐れた新王カーシャバが地上180mに築いたのが難攻不落のシギリヤロック宮殿である。 11年後、インドから軍を率いてきた弟との戦いに敗れ自害したという。後に宮殿は仏教僧に寄進された。 入口には沐浴場があった。風車を利用して水の流れを取りいれた庭園、自然を利用したトンネルなど、急な階段を上って最上階に昇り、広がる原野を眺めた。 シギリヤレディー  岸壁の天女たち フレスコ画で豊満な美女が描かれている、十数人もいるだろうか。色鮮やかに残されていて観光の名所になっている。 頭髪を結い上げ髪飾りを付け、胸に宝石をあしらったネックレス、腕も貴石の腕輪で飾り指に蓮の花を持っている。この国は宝石の産地でもある。 象の孤児院 ピナンワラにある象の孤児院を訪ねた。 スリランカでは今でも、運搬や農耕に象の力を役立てている地域がある。古来から、この国民と象との関係は深い。 この象の孤児院には、迷子になった子供の象や、密漁で親を失った象を保護されている。中には目の見えない象や地雷を踏んで足を失ったのもいるという。 一日2度、近くの川原に水浴びに向かう象の群れが見られる。それを見るために大勢の観光客が集まりカメラを構えていた。20~30頭の象がのんびりと水を浴びていた。見ると2~3人の係り員が周りを見回っている。水浴びを終えて象たちが戻る時に、観光客はバナナ売りからバナナを買って象に与えている。 優しい目をしている。草食の大きな動物は癒しでもある。 川原から孤児院まで後ろからついてゆき、ミルクを飲ませた。一リットルのミルク瓶を傾けるとゴクゴクと吸い込み、あっと言う間に飲み干した。片足は鎖でつながれていた。 この孤児院は、政府の野生生物保護局が運営維持して、生育した像は僧院や象使いに引き取られているという。 ダンブッラ石窟寺院 コロンボから148k東にある。紀元前1世紀、自然の洞窟に造られた黄金寺院ともいわれるダンブッラ石窟寺院は、1991年に世界遺産に登録された。 五つの石窟に分かれている。壁や天井まで壁画が描かれ、153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、いずれも最も保存が良いといわれている。 スリランカの寺院に入るには、すべて裸足で入ることになっている。その為にサンダルを用意していた。 ポロンナルワ・・・キャンディ・・・ゴール ガルヴィハーラに三体の仏陀(立像・坐像・涅槃像)の石像がある。 ここも裸足になり平らな岩の上を歩いて観光した。 石目が美しい。石とは思えない柔らかな体線に、彩色されていないのがいい。左から三番目の涅槃像の前で、私は電流に触れたように動けなかった。頭部を左にした涅槃の像が、夭折した妹の寝顔に見えたのである。 涅槃像 立像 坐像 1070~1350年までシンハラ王朝の都が置かれた処で、1982年世界遺産に登録された。12世紀~13世紀に栄えた王宮跡仏教美術が多数保存されている。 当時の宮殿は七階建といわれるが、今は三階部分が残されている。 樹の上で果物を食べる猿 首のない巨大な仏像 スリーマハー菩提樹 インドで仏陀が悟りを得たという菩提樹はすでになく、現在は四代目となっている。その枯れてしまった初代菩提樹分け木が、スリランカで、2000年以上を経た今も緑の葉を広げていた。 多くの信者は蓮の花を手向けて祈っていた。私は、大きな件の樹木から地面に落ちた一枚を拾ってきた。 植物の持ち込みは禁止されている、がしっかりと水分を除き乾燥させ、ドライにして持ち帰った。 くっきりと葉脈が見える。 キャンディー シンハラ王朝がイギリスに滅ぼされるまでの約三百年間、都として栄えた都市だ。当時の王権の象徴であった仏歯(ブッダの犬歯)をまつった”仏歯寺”は、仏教徒の篤い信仰の対象となっている。 仏歯寺 紀元前543年、釈迦がインドで入滅し火葬された際、何者かが“仏歯”を手に入れ、四世紀にインドの王が頭髪に隠して、スリランカに持ち込んだと云われている。それを安置している寺である。この仏歯は元アヌラーダにその後、ポロンナルワに移され、1590年にキャンディーの仏歯寺に安置されている。門前で蓮の花やお香などが売られている。 仏歯は二階に金色の七重のダゴバの中に納められている。この部屋が開くのは、一日三回のプージャの時だけ、一階で楽器の演奏が始まるのが合図だ。列に並び、正面で合掌できるのはほんのわずかな時間。多くの参拝者で動けないほどだ。カメラを高く持ち金色のダゴバを写した。 近くにあるマーケットを散策した。なんと多くの食材が売られている。僧衣をまとった人も何かを探していた。 授業の終えた学生が歩いている。元気で弾けそうな笑顔がいい。この国の識字率は高いと聞いた。 ホートン・プレインズ国立公園 二〇一〇年世界遺産登録、ワールドエンド(地の果て)まで約二時間歩いた。生憎の天気で冷たい雨が降り出した。 最終目的地で一瞬ガスが消えてスリランカ中部高地の遺産のジャングルだった。 シンハラージャ森林保護区 スリランカの自然遺産、約一万ヘクタールの熱帯雨林、島国であるが故に固有種が温存されていた。33種の植物、83種の鳥類がいるという。 靴の上から、ヒル避けの白い靴下を履いて、専属のガイドについて珍しい植物や鳥を探索しながら歩いた。子の靴下は化してくれる。ハイキングを終えて返す時によく見ると、数センチの細いヒルが付いていた。 ゴール スリランカ南部最大の町、14世紀頃より東方貿易地として栄えていた。この街は、ポルトガル人やオランダ人に支配されてきたため、時計塔や教会、モスクなど、異質の雰囲気がある。小さな半島の旧市街はその周りを砦が囲み、古い教会や建物が植民地時代の面影を残している。 ジェフリー・バワの設計したライトハウスに宿泊した。インド洋を見ながらのワインなど楽しみたいところだが、あいにくの雨で視界ゼロ。ジェフリー・バワは、シンハラ人とヨーロッパ人のハーフで、イギリスで建築学を学んだ著名な建築家、国会議事堂・ホテル・寺院・大学などを設計している。 沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色宿泊したホテルから 早朝の散策に出かけた。例によって草花や樹木を写しながら歩いていると、初老の男性が私に何か話しかけてきた。現地のシンハラ語でまったく聞き取れないが、何やら「サラ、ブッダ・・」と聞こえ、右手の方を指さしている。どうやら私に何か見せたいものがあるらしい。作業着を着ているが、警戒するような人にも見えない。ついてゆくことにした。 二分ほど歩き角を廻った所に、大きな樹木の幹に見たことのない赤と白の花が、弦のよう巻きついていた。初めて見る不思議な花だ。その時、ハッと脳裏に閃いた。これがきっと、“沙羅双樹の花”かも・・・・。夢中でカメラに納めた。 私が花に興味があると思ったのか、わざわざこの場所に案内してくれたのだ。初老の男性にお礼を言うと、はにかむような笑顔が嬉しそうだった。ついでに私を写してくれるという。ボタンの操作を教えた。 この国の70%が仏教徒である。(ちなみにインドから南回りに流布した上座部小乗仏教) なんという幸運な一日の始まりだった。 実は、日本でいう沙羅双樹は”夏椿”のことらしい。 釈迦が入滅したインドでは夏椿は無いように思うのだが・・・。 この花も、仏陀に係わりのある花らしい、スリランカのガイドはサラの樹と説明している。 図鑑では、サガリバナ科”ホウガンボク”といい、丸い大きな実がなる。英語名、キャノンボールツリー原産地はスリランカ。 やはり、この花は私の沙羅双樹の花にしておきたい。平家物語の”祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり・・・の花の色でなくていい。 ネパール”釈迦生誕の地ルンビニ”郊外の、カピラヴイッツ城跡に咲く朱い花は、やはり無憂樹だった。 ラトウナプーナ 宝石の村 スリランカは、宝石の島として知られている。多くは中南部に位置するラトナプーラで産出される。ブルーサフイア・アレキサンドリア・キャッツアイ・ルビー・ムーンストーンなど・・どれもその筋のマニアには憧れの貴石なのだろう。 土の中から、どのようにして貴石が掘り出されるのか、興味は尽きない。岩山の採掘場に立派な掘削場と採掘機があるのだろうと想像していた。 ところが、バスがストップした道路わきに、屋根だけの採掘坑があった。汚れた作業着に身を包んだ人夫が働いている。 採掘坑は太い木材が組まれ、まず垂直に十メートルほど掘られ、宝石の出る地層に達すると水平に掘り進むという。雨水が入らないように入り口には屋根がかけられている。湧き出す地下水は。パイプを入れコンプレッサーで水を抜いていた。 また有毒ガスも出るので、除去するための設備もあるという。地中から取り出した土砂を笊に入れ、水で泥を洗い流す。やがて笊の中には小さな石だけが残っていた。どれも薄い緑色、やわずかに黄味や赤みを帯びたものがあった。実にアナログな作業だ。この辺りは各地に深い穴が空いているらしい。 レアストーン(稀石) 中にはウランやトリウムという放射性物質を含むものもあるとか。当に貴石ならぬ稀石怪しい色に輝くのだろうか。 セイロンTea 1972年までこの国はセイロン島と呼ばれていた。標高1000mのヌワナエリアでは最高の紅茶が生産されている。元イギリスの植民地であったこの国で、初めて紅茶の栽培を始めたのもイギリス人である。故にイギリス人はコーヒーより紅茶が好きなのである。 B.O.P(ブロークン・オレンジ・ペコ)という銘の甘い香りの紅茶を試飲した。 この国の生産量の10%、7000トンが日本へ輸出されていると聞いた。 茶摘みは地元の女性の手で午前中に行われるのが常だが、昼過ぎの今日も茶畑に人が働いていた。新茶の摘み取りは手で行われる。宏大な茶畑は雇用の場でもある。 ハワイで見た、この樹なんの樹、気になる樹があった。現地の人に聞くと「マナの樹」と言っていた。