キリマンジャロ・ホロンボハット

帰国して、シュラフ一つ分の空間で過ごした6日間の山小屋生活が何故か恋しい。特にホロンボハットの基地で、アフリカの大地を睥睨し、トリトマやセネシオなど固有の植物を眺めて過ごした時間を思い出す。文明の利器はもとより、世俗のあらゆる情報からも完全に遮断されていた。 人が生きる基本条件だけを満たしたシンプルな生活が懐かしいとは・・・それは限られた非日常生活だから新鮮なのだとわかっている。多くの参加者がウフルピークに立てたのに・・という思いもないではないが、自分の限界に挑んだという満足を得た。人間は負荷をかけることによって、能力が高められることも知った。高山病対策とは一歩一歩自ら歩いて、肉体を上へ運ぶことこそが「順応」することだと・・身をもって体験する。 今回も現地の人との生の交流は得がたい収穫だった。観光旅行では体験できないものだから・・。 執筆のために、タンザニア大使館に資料を請求したら、丁寧なお手紙と8冊もの資料集が届いた。そこには、また是非、キリマンジャロに挑戦してくださいと書いてあった。 Though you didn’t get to the highest peak , Uhuru, you still deserve to be commended for having attempted to climb the most famous and the highest mountain in Africa. Congratulations! May be next time you would make it. Therefore, please don’t give up!

キリマンジャロ登頂・幻のウフルピーク  06.02

2月15日午後2時、初めて体験する標高4800m、キリマンジャロ山頂まであと1000mを残す地点で私は岩にしがみついていた。深い呼吸を繰り返すも、わが心臓と足はもう登ることを拒否している。さっきまで見えていた仲間たちは岩稜の裏に隠れてしまい、誰も見えない。キボハットから200mの高度順応なので現地ガイドは付いていない。 「いったい私はこんなところで何をしているんだろう」と考えていた。 聞えるのは荒涼と鳴る風の音だけ。その風が上空の雲の塊を忙しく動かす。雲の切れ間からポッカリ青い空が・・・。空ってこんなに青かったかしら?   山小屋に降りたらリーダーに告げよう「明日のアタックは中止する」と・・。キボハットに一輪車のタンカーが置いてある。低酸素で動けなくなった人を載せ、麓のモシという街の病院に移送するものだ。私は壊れて一輪車に乗るわけにはゆかない。生きて戻らねばならないから・・。どうやら思考力はある、頭はまだ高山病に冒されていないらしい。  低酸素の状態で私の肉体はどういう反応を示すのだろう、醒めて観察する。高山病の発症は人によって頭痛、吐き気、発熱、下痢、倦怠とまちまちらしい。私のは胃袋が働くのを止めた。全く食欲がない、唇が紫色(チアノーゼ)になり、指先が思うように動かない。 3700mのホロンボハットでリーダーが全員に指輪をはずすことを指示した。体を締め付けるものは血流を停める。体がむくむらしい。心臓の鼓動だけが早い。常時、有酸素運動をしているようだ。 赤道直下、南緯3度に位置しながら氷河を頂く、世界一高い火山で知られるキリマンジャロ(5895m)、に挑もうなんて無謀なことを考えたのは数ヶ月前のこと。それはいくつかの偶然が重なり、あれよあれよという間に具体化していった。東アフリカをわが足で取材したいという思いと、今しか出来ないという加齢との競争が大きな理由だ。登れるところが私の取材限界と割り切った。頂上に立てるとは思わなかったが、指示とおりに頂上用の装備を準備していた。  日本を発ち、オランダのアムステルダムで一泊、タンザニアのキリマンジャロ空港に着いたのは2日目の夜になった。メンバーは北海道、熊本と各地からの14名(男性9名、女性5名)年齢は40代-70代だが最多は60代、スイスのマッターホルンに登頂された人、数十年かけて各地の山を制覇した方、毎日、山へ登るのを習慣にして訓練を積まれた兵ばかり。14名中12名がウフルピークに登頂している。私が敗退者2名の中の一人になった。 中略  書籍に執筆   ともかく敗退しても帰途の下山は酸素が濃くなるばかり・・ポーターと現地ガイドに守られ、るんるん・・・地球を丸抱えしたような気分。眺望を楽しみながら下山した。 3月8日からペルーインカ道を歩きます。こちらも3000mを超えるが高度順応は出来ているから、大丈夫でしょう。