Republic of Turkey・・・トルコ共和国

Turkey(トルコ) 高校生の頃、「世界史」が大の苦手な学科だった。山形県を出たこともない私には、果て遠い異国のカタカナ地名や人名になじめなかった。たぶん想像力も乏しかったからに違いない。 2009年夏、孫娘を連れてトルコを旅した。ヒッタイト帝国・ビザンチン帝国・オスマン・トルコ帝国・近代化まで数千年にわたる古代史の片りんに出合えるかと・・。若い日に、世界史の教科書でなぞったかすかな記憶を探り寄せながら・・。チグリス・ユーフラテス河に開いた文明。今、それらの遺跡を目の前にして少し興奮している。そういえば北インド、ラダックを流れるインダス河上流に立って世界史に思いを馳せたのは確か3年前であった。  日本で考えていた「トルコ共和国」Republic of Turkeyは中東国のイメージが強い。それは近年、よく紛争にかかわる国としてメディア情報で目にし、耳に刷り込まれている国々、シリア・イラク・イランと国境を接しているからだろう。 実際にはこの国の大部分がヨーロッパに近いアジアの大地・アナトリア(小アジア)に位置し、ギリシャ、ブルガリア、グルジア、アルメニアに隣接している。北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に囲まれている。治安もそう悪くなく、物売りに迫られることもない。 トルコ共和国 今回はウズベキスタン航空を利用、タシケントで乗り継ぎ、中央アジアのアラル海上空を飛び、イスタンブールで入国。気温は30度ぐらいだが湿度は少ない。ダウンタウンに向かう途中にも遺跡が見える。この国はいたるところに遺跡が出てくる。そのたびにインフラ整備も変更を余儀なくされるという。 念願のEU加盟もそう遠くないとされていて、既にFTA(自由貿易協定)が締結され、関税なしの貿易が動き出している。また、スポーツなどの国際大会ではヨーロッパグループとして参加している。この度のアメリカ発、金融危機・世界同時不況の影響は避けられなかったものの、それは限定的で経済の発展は進んでいるとの現地ガイドの説明は容易に納得できた。近年、東側の田舎から西側への人口移動が起きているという。目覚ましい近代化や経済発展は、多分に教育制度が貢献しているらしい。(小中学校9年・高校・4年・大学4年)・・各地で大きな瞳の知的な若者に出会った。 日本語の巧みなトルコ人ガイドの口から、興味深い最新のトルコ情報をもらう。 日本の2倍を超える面積に7000万人の人口、人口密度でいえば日本の4分の1になる。自動車工業も盛んで、私たちの50人乗り専用バスも日本の三菱自動車のエンジンを搭載したトルコ製である、立派な道路が整備され、載り心地も申し分ない。6日間で2800kmを移動した。なんとこの国の食糧自給率100%は羨ましい。専用バスの車窓からは地形や気候が変わると様々な農作物・果樹が目に入った。  90%がイスラム教スンニ派に属しているが、政教分離の政策を掲げ、国営のモスクは建設されていない。旅の途中に各地で目にした小さなモスクは地元民の寄付金で建てられたものという。女性の顔を覆うブルカも公共の場では禁止されていた。 イスタンブール 東洋らしく、西洋らしく,歴史,建築,古いもの,新しいもの,世俗的なもの,聖なるものすべてを呑みこみ,歴史の舞台になっていた魅惑的でエキゾチックな都市だ。 古都・イスタンブルは人口300万、ヨーロッパ大陸の一部で、アジア大陸側を隔てるボスボラス海峡にまたがっており、よく言われる「東西文化の交差路」という言葉がまさにぴったり。オスマントルコ時代はイスタンブールが国土・政治の中心であるほど西ヨーロッパから中央アジアまでが勢力内にあったのだから・・。三大陸(アフリカ・アジア・ヨーロッパ)を制覇していたオスマン帝国も17世紀になる衰退が始まった。 第一次大戦後、滅亡の危機からトルコを救った、「トルコの父ムスタファ・ケマル・パシャによって、トルコ共和国が誕生、以来、中央アナトリアのアンカラが新しい首都となっている トリカプ宮殿 歴代スルタンの生活の場で、たとえて言えば徳川時代の江戸城のようなもの、ハレムはさしずめ「大奥」というところ。19世紀には約5,000人が住んでいたという。トプカプ宮殿はイスラム建築の伝統に従い、いくつかの中庭から成り立っている。第4の中庭、今ここがもっぱら観光客の写真スポットだ。ボスボラス海峡と対岸の景色が美しい。時間の気にしながら86カラットのダイヤモンド、金銀財宝で細工された宝剣・王冠・陶磁器など絢爛豪華な展示物で暫し目の保養・・。内部はNo pictures ボスボラス海峡大成建設が海底トンネル工事 トルコ第一の都市イスタンブール。その中央に横たわるのが、街をアジア側とヨーロッパ側のふたつに分断しているボスポラス海峡だ。東西の文化が交わる要衝として、古くから街の繁栄を担ってきたボスポラス海峡は、その反面で、人々の交通の障害となり、橋梁や連絡船の桟橋周辺は、慢性的な交通渋滞に悩まされていた。さらに排気ガスによる大気汚染やエネルギーの過剰消費といった環境問題も深刻化。ボスポラス海峡横断鉄道トンネルの建設は、こうした問題を大幅に解消する第3の交通路として、人々が長い間求めてきた、悲願ともいえるプロジェクトなんだ。 .ボスポラス海峡横断鉄道トンネルの総延長は13.56km。、イスタンブールの東西を一本で結ぶ、街の大動脈となるべく構想されている。世界でも前例のないこの大規模な建設プロジェクトで、設計と施工の中心を担っているのが日本の大成建設。2004年に着工され現在工事が進められている。日本の高度な土木建築技術は、ここでも大きな役割を果たしている。 China sea Lineのタンカーが航海していた。 ブルーモスク(Blue Mosque)スルタン・アフメット・ジャミー オスマントルコ建築の極みと評されてる高さ43m・直径24mの巨大ドームの周囲に6本のミナレット(尖塔)を持つ格式高いイスラム教寺院。 内部装飾につかわれているイズミック産のブルーのタイルに魅了された。 ブルーモスクの言われである。ちなみに6本のミナレットの内部は螺旋階段になっているという。 カッパドキア 標高1200m涼しい。エルジェス山火山活動で堆積した火山灰が長い年月で浸食されて出きた奇岩群は世界自然遺産に恥じない。広大なロケーションに目を見張る。 山のような奇岩の洞窟はホテルに、キリスト教会に、博物館となって今も観光に利用されている。キノコ岩、ラクダ岩など自然が造った不可思議さに驚嘆した。いずれもユニークで美しい。鳩の巣になっている岩山が随所にあった。鳩の糞が火山灰の大地の肥料として利用されていたという。わが孫娘はガイドブックに載っていた伸びるアイスクリームを見つけ出して駈け出していった。伸ばして売っているおじさんと早速コミニュケーションしていた。この地域はトルコ絨毯の産地として名高く、シルクロードの要所になっている。 エフェソス遺跡 40度になろうかという、炎熱の中を歩いていくつかの遺跡をみた。発掘されているもの、修復中のもの、特にエフェソスの古代ローマ遺跡は圧巻。イタリアのボンペイ遺跡を超えるかも知れない。 歴史は紀元前11世紀から2世紀まで続いた、イオニア人がギリシャの都市国家を作ったことに始まり、ローマ帝国有数の都市として発展。最盛期は25万人も住んでいた。この時代の日常生活を残す浴場・公衆便所・野外劇場などが残されていた、この野外劇場は24000人も収容できる円形の広大なもの。音響効果も考えられている。ここでは獣と奴隷の戦いも行われていた特別の出入口があった。ガイドの説明によると、この都が衰退していったのは「水」であったという。何らかの原因で汚染された水、マラリヤ等の疫病が発生人口の半分が死んだ上に、天変地変に見舞われ、港が土砂で埋没,再興不能になったという。 パムッカレ ベルガモン王国やローマ時代の遺跡(ローマ浴場・円形劇場)が数多く残されている。 ここの見どころは石灰棚の温泉だ。豊富なカルシューム二酸化炭素が地表を流れ落ちるとき、石灰質だけが崖に残り、一面が真白い石灰棚になっている。この棚に靴を脱いで足を浸し歩きまわった。心地よい。温泉といっても生温かいのは日照のせいだろう。舌で味わってみたが味は無い。 数千年前、ベルガモン国王も日夜、眺めたであろう景色を眼下に見下ろしながら・・人は変われどこの先数千年後の人類も目にするだろうロケーション。しばし佇んでいた。この日、宿泊したホテルには広い温泉プールがあって、石灰岩の泥パックなるもので興じた。 トロイ トロイと言えばホメロスの叙事詩イーリアスに書かれた「トロイ戦争」の舞台として知られている。紀元前3000年から紀元400年まで繁栄と衰退を繰り返した軌跡を今に伝える遺跡は9層にもなっており、いまだ発掘途中であった。入口に再現された木馬が・・近くはエーゲ海である。 フェリーでダーダネス海峡を渡り、ヨーロッパ側のイスタンブールへ Granddaughter 今回は2番目の孫娘の高校入学祝いを兼ねての旅である。イスタンブール空港で小遣いを外貨(トルコリラ)に両替して異国のお札をしげしげと見ていた。カッパドキアで伸びるアイスクリームに舌鼓を打ち、パムッカレの温水プールではしゃぎ、得意なシンクロもどきの泳ぎを見せてくれた。ホテルでは英語で意思表示ができてご機嫌、街角で「アニハセヨ!」と声をかけられ「コンニチハ」と返事していた。彼女の方向感覚は抜群、4000件ものショップのバザールで方向を見失いそうになる私をリードしてどんどん歩く。 イスタンブールのカフェで寛ぐ彼女は15歳になったばかりだが、身長は私を追い越し165cmを超え、ソフトボールクラブの副キャプテンらしい。初めての日本脱出、毎日めまぐるしく変わる景色と観光スポット、この体験が将来どんな形で彼女の記憶に残るのだろうか。昨年は姉の孫娘をイタリアに連れ出した。3年後に3番目の孫娘が控えている。